わたしはマリーゴールドの花の香りが好きです。
庭に咲いていたマリーゴールドの花を花瓶に生けてもらいました。夏の花なのに、まだ庭を明るくしてくれています。
わたしはマリーゴールドの花の香りが好きです。
庭に咲いていたマリーゴールドの花を花瓶に生けてもらいました。夏の花なのに、まだ庭を明るくしてくれています。
天山、標高約1040mの山は、ススキの穂のトンネルが幾箇所かありました。
この写真は天山ダム公園にありました。秋晴れでした。
ススキがわたしを爽やかな秋にしました。
1000mほどの高さの天山にドライブして来ました、数日前に。
7合目ほどにある登山口駐車場まで行きました。
気温は20℃。空気が、ひんやりしました。
紅葉が、わずかに始まっていました。
秋の山の雰囲気を味わって来ました。
金立コスモス公園に行きました、数日前に。コスモスに癒されました。
まだコスモスは全開にはなっていませんでした。訪問者も少なかった。
ああいいなあ。と、そう言ってみる。
すると、ああいいなあ、になる。
*
ああいいなあ、をしていた方がいい。
ああいいなあを感じて,今日の日を生きていた方がいい。
*
明るくなれていい。
朗らかになれていい。
わはははは、お爺さんよく働いたぞ。(て、たって、ほんとうはたいしたことはしていない、のに、気持ちだけがそういう気がする)満足をしている。満足、ってったって、ただ、だらりとして、いい気持ちになっているだけなのだが。
午前中、畑に出て、種蒔く準備をして、そこへ数種類の秋野菜の種蒔きをして、12時半に作業中止した、ホースで水撒きをした。ぜんぶ、ゆっくりゆっくり。しかも休み休み。
お爺さんは、お爺さん、よろよろしながら作業を続けた。いつまでこうやって畑作業ができるんだろうと、いつも不安になる。まあ、その時はその時。いまから不安を託(かこ)っているこたああるまい。
お昼は素麺を食べた。麺汁に麺をつけて、つるつるつると啜って食べた。働いた後だったので、余計、おいしかった。
「己は俗中の俗物」ということをいやさらに突きつけられる。一晩中、これでもかこれでもかという具合に突きつけられる。俗悪は夢を見ている。反吐が出そうな悪臭ぷんぷんの己の、夢を見て、唸って、目が覚める。「此がオレか」とがっかりする。
村人:「和尚様、死んだら何処に行かれますか?」
白隠禅師:「何処にも行かぬ。此処におる」
*
なんかで此処を読んだことがあるのを、いま思い出した。
*
「何処にも行かぬ」のなら「此処におる」しかないだろうなあ。
*
このお爺さんも何処にも行かぬような気がする。死んだ後も、此処におりそうな気がする。
ただし、その居るべき「此処」は拡大している。数千数万数億倍も拡大しているだろう。でも、此処は間違いなく此処だ。
*
肉体は死んで非物質化しているが、わたしはわたしでいるような気がしている。明るく朗らかでいるような気がしている。
その「わたし」のスケールもまた数千数万数億倍しているだろうが。わたしの意識体は宇宙大になっているかもしれない。
*
白隠禅師の言うところの「此処」はどんな此処なんだろうか。独自な此処だろうなあ。さぞかし、明るい朗らかな広大無辺な此処だろうなあ。
ほほっ、晴れてきました。小雨が止んで、日が射して来ました。
気温も上がってきました。23・7℃になりました。
もう長袖シャツを半袖シャツにしてもよさそうです。
畑に出て行ってもよさそうです。
高菜の種を蒔き直します。蒔いても発芽しませんでした。
もういいでしょう。発芽の条件がそろったでしょう。
高菜の間引き菜の青い青い一夜漬けが食べたくなりました。
食べられるのは、しかし、一月後になるでしょう。