【9月27日(水曜日) 沖縄3日目】
朝食はパシフィックホテルのバイキング。
「パシフィック」は国際的に名の知られているホテルだというのに、味は・・・普通でした。 昨日のムーンビーチホテルのほうが美味しかったな。
今日は3日目、主に南部の戦跡めぐり。
沖縄戦争は太平洋戦争末期の1945(昭和20)年4月、本土攻略の航空基地・補給基地の確保のため沖縄に上陸。
日本軍はそれに対抗するために開戦。高等学校の女子生徒などの民間人を巻き込んだ日本国内での最大規模の地上戦であった。
ひめゆりの塔に向かう途中、最後の野戦病院の「糸洲の壕」があるのを思い出し、やはり両親に本物の壕を見せたほうがよいと引き返した。 此の洞窟は第二十四師団第二野戦病院の跡である。
長野富山石川県出身の将兵防衛召集兵並に従軍看護婦積徳高等女学校看護隊が傷病兵を収容した壕跡である。
(原文のまま)
米軍が沖縄全地域を攻め落とした3日後の1945(昭和20)年6月26日、看護隊の解散命令が出た。その時、小池隊長は「決して死んでは いけない、必ず生きて家族のもとに帰りなさい・・・」と言った。その後、小池隊長はこの壕で自決。
突然の解散命令に戸惑い、行く当てもなく、米軍の捕虜になるよりはマシだと糸満の海に身を投げたりする女子生徒もいた。
当時は米軍に捕まりそうになったら自決しろという大日本帝國の通達があったらしい。 壕の入り口。
あまり目立たない場所にありました。
水の湧き出る場所が近くにあるせいか、このあたりだけ湿度が高くてどんよりとした空気が漂っていました。
この奥に行けば、野戦病院の跡が見られるが、真っ暗でこれ以上進めませんでした。
歩ける人(独歩兵)は他の場所に移動していたが、手足を失った重傷兵だと青酸カリの入った水で強制的に自決させていた。