言わずと知れた、「ひめゆりの塔」。
沖縄戦争で従軍看護婦として亡くなられた「ひめゆり学徒隊」の遺骨を祀った慰霊塔。女子生徒の名前が刻まれています。
この近くに「ひめゆり平和祈念資料館」があり、壕の中から出てきた遺品などが展示されている。
最近、館内の展示内容がリニューアルされ、従軍看護婦の経験を持つ証人のビデオも字幕が付くようになった。
寝る時間もなく、昼も夜も次々と運ばれてくる負傷兵の治療、負傷兵の腐敗が進んだ腕や足を切断し、遺体置場まで運んだのも彼女たちの仕事。
同じ人間なのに地球のどこかで戦争を続けているところがある。
一刻も早く北朝鮮も含む世界が平和になりますように・・・。
今度は車で10分のところの「沖縄県平和祈念資料館」へ。
展示品だけではなく、本土には所蔵していない、戦争に関する郷土資料の図書館も備えている。
ここに訪ねたのは3回目、前回は1日中図書館で調べたりしていました。
沖縄本島最南端の海岸。
1945(昭和20)年6月23日、解散命令が言い渡され、米軍が目の前に迫り、銃弾の飛び交うさなか、「米軍に捕まるよりはマシだ」と投身や手榴弾自決があった場所は右側の荒崎海岸。
米軍は女子生徒までも殺害するつもりはなかったのに、大日本帝國の誤った訓示で尊い命がたくさん奪われてしまったのです。
今日のランチは・・・・「与那原家沖縄そば」。(資料館から車でおよそ15分) 味覚にうるさいハン尚宮(母)のためにネットでサーチしたお店。
観光地のレストランは、まずかったり、心のこもっていない料理が出ることもあるので、やはり評判のよいお店でないと・・・。
ハン尚宮はどうしても顔を出したくないと言っていますので、画像処理してあります。
お勧めは清原選手が食べた「チキンかつそば」。
ドックおじさん(父)が「お、これは清原選手が食べたものと同じなのか、私も注文しようかな」
「チキンってのは、鶏肉」
「げーっ、いらん!ほかにする」
「じゃ、私はこれ」
チキンは外来語なので、トンカツかと勘違いしていたみたい。
また食べかけでごめんなさい、これもボリュームがあって美味しかった。