パレオエクスプレス。なんと響きのよい綴り。
エクスプレスを日本語にすると「急行」、パレオとは?
秩父地方の土層を分析してみると、気の遠くなりそうな昔に生息していた海獣「パレオパラドキシア」の化石にちなみ、「パレオエクスプレス」と名付けたそうです。
秩父は山のイメージがするのに、大昔は海だったとは信じられませんね。
熊谷を10時10分に発車、56.8キロ先の終点三峰口には12時50分到着。
長瀞駅や秩父駅でおよそ10分くらい停車、その間に何本か追い抜かれてしまいました。
今から10年くらい前のパレオエクスプレスは戦前の旧型客車(自動扉ではなく、手動式のオハ33やスハフ42等)をけん引、車内販売サービスはあまりなかったのに、冷暖房付きの12系(自動扉)に置き換えられてからは駅弁やSLグッズ、アイスクリーム、かき氷などの車内販売が頻繁に往来。 当初、ランチは三峰口駅前のそば屋にしようと思っていたのに、美味しそうなお弁当の香りに釣られて購入。
C58 363の駅弁(1000円)。
C58(シゴハチ)は1938(昭和13)年から1947(昭和22)年にかけ、427両製造。
パレオエクスプレスは363番目に製造されたもので、1944(昭和19)年2月19日生まれ。主に東北地方各線の国鉄機関区で活躍、1972(昭和47)年10月2日廃車。
埼玉県の鴻巣(こうのす)市立吹上(ふきあげ)小学校の校庭で動態保存、1987(昭和62)年、JR東日本高崎運転所で修復工事し、15年ぶりに復活。
1988(昭和63)年から秩父鉄道の観光列車に任命し、今年で22年目。
車両年齢66歳でもバリバリの現役で頑張っています。 秩父路を走るSL弁当の中身は・・・・
黒豚のメンチ、黒豚の焼き肉、秩父味噌のポテト、しゃくしな漬(秩父特産)、味付け三角こんにゃく、しそ小梅干し、味噌屋の味噌羊羹。
なるほど、秩父の郷土料理で詰まっていました。
寄居あたりからは青々しい緑の風景が続くようになるので、その若葉を眺めながらSL弁当を堪能。
長瀞(ながとろ)駅で10分くらいの停車なので、撮影。
ホームに降りると、先頭のSLはすごい人だかり。 機関士さんの動輪メンテナンス。
戦前の蒸気機関車を操縦できる先輩から平成生まれの若者に引き継がれています。そういう人材はとても大切ですね。
機関士席。
夏場はエアコンもなく、石炭を燃やす炉からの熱で過酷な環境かも・・・?
蒸気機関車全盛期の機関士さんはものすごく大変な思いをしていたかも知れません。
秩父鉄道は古めかしい電車ばかりなので、珍しがられています。
私は一応、ツアーのガイド役になっているので、この電車を説明。
「昭和20年代だと思うけど、秩父鉄道オリジナルの塗色です」 昭和37年製造になっていました。
昭和37年といえば、西暦1962年。今年は2010年なので、計算してみると48年。
半世紀近く現役で頑張っているのはすごいことです。 戦後の高度経済成長期に多量生産された、国鉄の101系電車。
カラー液晶モニターで案内するハイテクな省エネE233系世代から見れば、ものすごく昭和のボロでも斬新な気分。 左側は東京急行電鉄から転属。
旧型ですけど、秩父鉄道にとっては最も新しい電車になります。
右側は西武鉄道から転属。急行用として、ロングシートからクロスシートに改造。
都営地下鉄三田線から転属した車両もありますし、秩父鉄道は昔懐かしい電車ばかりのオンパレード。
アクアライン高速バスは東京駅八重洲口で発着。
八重洲口にあった大丸は解体、高層ビルもなくなり、新幹線が見えるほど景色が変わっています。
工事前は在来線のJR東日本と新幹線のJR東海の「みどりの窓口」が対峙するかような配置だったのですが、今はほとんどJR東海が陣取っています。
窓口を意識していなかったのに、出てきたのは「東京駅MR904発行」でした。
904は「クレヨン」と読めますし、私のニックネームでもあります。(笑)
(3-タ)は発行会社ごとに割り当てられ、1は北海道、2は東日本、3は東海、4は西日本、5は四国、6は九州。
今回は「3」なので、JR東海発行。
「タ」の文字は乗車駅、降車駅とも自社線完結なら省略。「タ」は他社線にまたがる場合に印字されます。熊谷は東日本なので、他社線扱い。
R581 はクレジットカードの取り扱い番号。
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今年(2010年)の2月17日の日付が入っているので、その後、放送があったみたいです。
テレビの宣伝力はすごいので、連日満室になっています。予約はお早めに~。今回は4月上旬に予約を入れたので1ヶ月以上前確保。
前回はお正月を過ぎたあたり、今回来てみると有名芸能人の写真やサイン入り色紙が増えました。
なんと!森三中も来ていました!
そういえば、大島美幸さんの旦那さんも地元(千倉町)出身。旦那さんの書いた「ブスの瞳に恋して」を読んでからはすっかり大島さんのファンになってしまいました。大島さんご自身の書物「○○の瞳が恋されて」もすごく面白いです。
本のタイトルではそうなっていますが、実際テレビで見るとお肌がキュートなお方です。(^O^)
前回と同じく、伊勢海老が激しく動いていました。友人は初めて見たと目玉が飛び出るほど、びっくり~!これだけではなく、次々と出来立てのお料理が運ばれるので、満腹度120パーセント。
今度は房総半島の南、千倉町に来ています。「政右ヱ門(まさえもん)」は超豪華な鮮魚中心のお料理が出されるので、二回目のリピーター。前回は活きたままの伊勢海老、あわびの踊り焼き、お花の天ぷら。初夏のお料理はどんな内容になるか、とても楽しみ(^O^) 写真は「まさえもん」のお部屋からの風景。
故郷(日本海の小さな漁村を思い出します。)
職場の同僚に勧められた場所です。「青ヶ島が好きだよね?市内の秘境って知っている?石塚という場所」と聞かれ、「まいうーの石塚さんのことですかい?」「違うんだってば!市原市内の地名。市内で比較的高い集落地なんだよ。知らなかったの!?行ってみたら感動するかも」
そんな会話を交わして数ヶ月後、ここにやって来ました。
ここでも市原市内です。 詳しいことは後日アップします。(^O^)
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ここも近所です。千葉はいいところじゃないと奥多摩ばかり通っていたのに、近くにあったとは!?
新緑の養老渓谷(市原市&大多喜町)です。
5月16日は九州の友人が上京、リクエストは「SLと鉄道博物館」。
朝から効率よくスケジュールを組められるのは東京駅に朝7時8分に到着する、寝台特急のサンライズ出雲・瀬戸。
出雲は出雲市から伯備線経由、瀬戸は高松から本四備讃線(瀬戸大橋)経由で岡山に到着すると、仲良く連結。岡山まで新幹線、在来線に乗り継ぐときはサンライズの特急料金は半額とアドバイス。(同時に両方の特急券をお買い求めになるときが条件になります)
朝7時に東京駅に着くので、ここを5時に出たところ、早朝のアクアラインと首都高速は非常に空いていて、6時過ぎに到着。
東京駅八重州口の地下に駐車場は1時間あたり600円。
10時間停めると6千円。アクアライン高速バスターミナルの木更津金田駐車場だと1日400円。
木更津金田から東京駅まで高速道路が空いていればわずか30分、高速バスで行ったほうが賢明。 サイライズの車掌さんは東京までJR西日本の米子車掌所(出雲)、岡山車掌所(瀬戸)が乗務。
運転士さんは、各運転所ごと担当なので、駅伝みたいに途中で何人か交替することになっています。
秩父鉄道の熊谷駅。
この電車を見て、ピンと来た人はおそらく30代以上。
山手線で昭和63(1988)年頃まで活躍していた、懐かしい電車です。
少しずつアップしていきますね。
1個下の記事を読んでくれた、友人からのコメント。
友人はたぶん、沖ノ鳥島を福岡県の沖ノ島と読み間違えているかも・・・?と4月13日に「沖ノ鳥島かと思った」をアップしました。
「アンビリバボーのバックナンバーを見てみて。沖ノ鳥島が出ているよ」と携帯にメールが届きました。
過去放映されたバックナンバーを確認すると、確かに沖ノ鳥島が出ていました。
ごめんなさい。その日は4時間スペシャルなので、録画して自分の興味ありそうなところだけを見るつもりでした。
飛ばしすぎたのか、「沖ノ島」が出たときは「沖ノ鳥島と沖ノ島。字が似ているのでたぶん勘違いしているだろうな」と。
その勘違いは私でした。ごめんなさいね・・・。
沖ノ島の前にちゃんと沖ノ鳥島が出ました!! ここは北小島なので、住所は「東京都小笠原村沖ノ鳥島1番地」になります。
どう見ても片足しか立てられないスペースですが、大切な日本領土。
1個下の記事に載っている写真は東小島のわずか海面上に突き出た岩、「沖ノ鳥島2番地」。
どちらも堅牢なチタンで守られています。アンビリバボーでは860億円もの巨額を投じ、海面上に突き出た日本領土を保護する工事が始まったのは1987(昭和62)年。 沖ノ鳥島だけではなく、硫黄島も出ました。
日米26000名の兵士が亡くなられました。
すり鉢山が変形するほどの爆撃が続いたそうです。
現在は一般人の上陸は許されず、小笠原村に住所を有する住民なら年1回実施する慰霊に参加することは可能。
現在はおよそ400名の自衛官が交代で住んでいますが、就寝前は英霊を供養するために必ず1杯のコップを捧げなければなりません。
それを忘れてしまうと、就寝中に兵士たちの姿を現すこともあるそうです。
航空自衛隊が内地の基地に戻るとき、背中に何かすがっているような感じが続いたが、内地に戻ると身が軽くなった。これは硫黄島で命を落とされた英霊だと思われる。
5月14日の読売新聞朝刊のトップページに載っていたものです。
文字よりカラー写真が目につき、とっさに「これは沖ノ鳥島だ!」。
「メガチャイナ」というシリーズ連載中、今日は沖ノ鳥島を取り上げてくれました。
「4月7日早朝、島の間際で停泊した5隻の(海上自衛隊の)練習艦隊から次々と小型艇が降ろされ、幹部候補生学校を卒業したばかりの188人が交代交代に上陸した。」(略)
「中国は沖ノ鳥島周辺で潜水艦が自由に動き回れることを証明して見せた」 と書かれています。
沖ノ鳥島は小笠原村に属し、日本の最南端。
それを失ってしまうと、我が国の国境線が大幅に後退し、広大な経済水域も失ってしまう。
やっと1人が立てられるほどの沖ノ鳥島が水没してしまわないように、8億円の費用をかけ、直径50メートルの特殊コンクリートに堅牢なチタン製ネットで保護しています。
常時、水没することはなく海面上に出ていれば島なのに、「沖ノ鳥島は島ではなく、ただの岩礁。日本の経済水域ではない」と中国政府。
2、3年ほど前に灯台を設置し、「日本国東京都小笠原村沖ノ鳥島1番地 北緯20°25′32″ 東経136°4′52″」の住所プレートも設置し、中国の主張を退けようとした。
・沖ノ鳥島フォーラム (東京都主催の沖ノ鳥島フォーラムに行ったときのレポートです)
この写真は、
「日本人がいけない「日本領土」 著者:山本 皓一
出版社:小学館
ISBN:978-4-09-389706-8
発刊年:2007年6月4日
定価:1800円+税 に載っていた、沖ノ鳥島の写真。 「誰も国境を知らない」 著者:西牟田 靖
出版社:情報センター局
ISBN:978-4-7958-4892-4
発刊年:2008年10月7日
定価:1700円+税
3階建てのアパートみたいなものは沖ノ鳥島観測施設。
沖ノ鳥島の具体的な写真が載っている本はこの2冊だけです。
著者が実際に沖ノ鳥島に上陸したときの様子が書かれていますので、私もまるでそこに行っているかような気分をさせてくれます。
東京からグアムは約2500キロ、飛行機でおよそ3時間だが、1800キロの沖ノ鳥島は一生上陸できないかも・・・。