読売新聞ニュースサイトより
・数日間で姿消す「幻の池」、12年ぶりに出現
7年周期に深さ1.2メートルの池が忽然と現れてきて、10日ほどで姿を消す。
なぜ、そのようにできるか未だに解明できていない、遠州七不思議のひとつだそうです。
出現の記録は
1954(昭和29)年 → 1961(昭和36)年 → 1968(昭和43)年 →
1975(昭和50)年 → 1982(昭和57)年 → 1989(平成元)年までは規則正しく7年周期。
1989年の次は1996(平成8)年のはずなので、どうやって池ができるか真相解明のため監視カメラを設置。カメラに気づかれたのか、現れなかった。
1998(平成10)年にカメラを撤去したところ、池が現れてきました。
この次は2005(平成17)年だが、この年は結局現れてくれず。
もし、周期を狂わせる監視カメラが置かれていなかったら、規則正しく1996(平成8)年に現れ、その次の年は2003(平成15)年、その7年後は今年、2010(平成22)年に出現。
今年は7年ごとの周期を修正されたわけなので、今度の出現は2017(平成29)年の予定。
7月20日、群馬県で38度を記録するほどの猛暑でした。
こちらも朝から気温がうなぎのぼり、ハイビスカスが一気に3個も開花。
となりのイエローはこんなに暑くても咲いてくれません。
真冬でもよく咲いてくれるのはピンクのほうなので、愛着がわいてきます。
母島・脇浜なぎさ公園で咲いていたもの。
2009年9月27日、沖縄本島最北端の「奥」集落。
ここはホームセンター、窓の向こうは土地開発中。
駅前のイトーヨーカドーがここに移転するはずなのに、着工もまだ。
イトーヨーカドーが閉店になり、非常に不便になったという声もあちこち聞かされます・・・。
ホームセンターで日常消耗品の買い物、ついでに食料品も買いたいのにクルマでどこか移動するのも不便。
オレンジ色をした珍しいハイビスカスを見つけ、買い物カゴに入れたとたん、ドックおじさん(父)いわく「冬季は暖房の効いた部屋に置かなければならないし、管理も大変じゃないか」。
なるほど、ドックおじさんの言うとおり。我が家を小笠原や沖縄のようにハイビスカスだらけにすると冬季は大変になること。(笑)
7月20日の午前3時56分頃、韓国からの政府チャーター便が到着。
その様子が朝のニュースに出ていました。
可愛くて小さな飛行機になっていました。小型は燃料タンクの容量により飛行距離も短くなるはずなのに、ここまで飛んで来ました。
JASという見慣れないロゴマークがついていました。
JALと合併する前のレインボーカラーのJASではありません。
どんな会社が運用しているか、ネットで調べてみたところ・・・
株式会社ジェイ・エイ・エス でした。
個人やVIP、国賓、王族が飛行機1台まるごと貸切、国内だけではなく世界どこでも飛んでくれる航空会社のようです。
羽田空港から青ヶ島ヘリポート(飛行距離およそ357キロ)までヘリコプターをチャータするといったいどのくらいの費用がかかるか、気になります。チャーター料、空港使用料、パイロット費などなど含め、片道100万円くらいかな?(私の憶測)
1番安い青ヶ島へのアクセスは
東海汽船 竹芝~八丈島2等 10,330円
伊豆諸島開発 八丈島~青ヶ島 2,620円
計 13,000円。(全区間船旅、東京から16時間)
羽田から2時間で青ヶ島に行けるルートは
ANA 東京~八丈島 特別割引 12,500円
東邦航空 八丈島~青ヶ島 11,210円
計 24,000円。
ヘリチャーターの100万円はやはり、手の届かない高嶺の花。
東京都最西端の檜原村で購入した、「レンゲショウマ」がやっと咲きました。
「御岳山の斜面のように湿気を好んでいるので、日陰で育つといいですよ」と言われ、日の当たらない場所で育ててみたところ、枯れてしまいました。
今度は日の当たる場所に移動してみたところ、やっと咲いてくれました。
日陰ではなく、ひなたのほうが向いているみたいです。
真下に向けての開花、カメラは真上なので、背景に青空が広がっています。 山口県の実家から株分けした、紫色の菊。
伯母に聞いたところ「紫苑(しおん)だよ」と教えてくれました。
異国の地に慣れたのか、毎年同じ時期に咲いてくれます。 今年のトマトときゅうりは豊作。
トマトときゅうりは4個の苗、ゴーヤーは1個だけ。
ゴーヤーは天に向かう支柱が見つからず、ふてくされているのか、成長が止まってしまいました。
他の家で育てているゴーヤーを見ていると、緑のカーテンが2階まで覆われていました。ゴーヤーは横に広がるわけではなく、天に向かう性質だったのですね。
青ヶ島からやってきた、ロベ(正式名称はフェニックスロベレニー)。
小さなカマキリも自分に似た色の植物を見つけてはカモフラージュ。 我が家に来てから2年目。
青ヶ島の気候に合わせるべく、冬の間はハイビスカスと一緒に屋内で育てています。
ロベよ、そろそろ青ヶ島に帰りたくないですか~?(笑)
7月19日は海の日。
例年なら、すっきりしない「海の日」なのに、今年は全国的に30度以上の猛暑でした。
去年(2009年)の皆既日食は7月22日、全国的に雨だったのは記憶しています。
皆既継続時間が全国最大の悪石島(6分30秒)でさえ、当日は雨。
結局、観測出来たのは小笠原諸島のはるか南、硫黄島でした。
今年が皆既日食の年だったらよかったのに・・・。
ここは田舎なので、エアコンがなくても大丈夫でした。
せっかくエアコンを取り付けてあるのに、スイッチを入れる機会はあまりありません。
電気代がかからないのは助かります・・・(笑)
まぶしい太陽を見ると、小笠原を思い出してしまいます。
去年動画撮影したものですが、この映像で涼んでくださいね。
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<noscript></noscript> 庭先のゴーヤーはその後どうなったかというと・・・たった1本だけの苗を植えたため、トマトやきゅうりに押され気味。
横に広がってくれればいいと安易な考えなのか、3、4メートル超すような支柱をしてあげなかったので、1本も実ってくれず。
トマトときゅうりとごちゃまぜなので、私は遠慮しておくと成長もストップしてしまったみたいです。
来年は2階を超すような支柱を立て、緑のカーテンを作るので、今年はごめんなさいね。
せっかくここまで育ててあげたのに、ゴーヤーにとってはストレスだったようです。
店で買ったものをハン尚宮(母)がいろんなゴーヤー料理を作ってくれました。 ゴーヤー、豆腐と卵のクリーム炒め。
ゴーヤーチャンプルーに近い味ですが、母のオリジナル。
(7月1日)
ゴーヤー、セロリーが使われています。
セロリーは自家製。
(7月8日)
(7月9日と15日)
ゴーヤーと夏野菜たっぷり。
中華風に仕上げたものです。
前者は牛のひき肉、後者は牛肉。 これも母のオリジナル。
ただ天ぷらするだけで、輪っかが出来てしまう。
その空間を埋めるかように桜えびも入っていました。
(7月13日) 酢もの。ゴーヤーだけではなく、きゅうり、ミョウガ付き。
(7月15日)
血液をサラサラにして血圧を下げる成分が含まれています。
血糖値を下げる効果もあり、糖尿病予防になります。
ガン細胞を攻撃してくれる成分が含まれているので、なかなかガンになりにくい。
道理で沖縄県は長寿日本一なわけです。
我が家では琉球かぶれなので、長生きできていればいいな~と思っています。
この本の表紙をぱっと見て、「青ヶ島だ!」と即座に答えられた方はその島にお住まいの方々と大好きな方。
空から見ると、まるで軍艦のような島になっていますね。
日本の有人433島のうち、青ヶ島を選ぶなんて、最近クローズアップされているような気がします。 この本を手に取り、真っ先に開いたページは・・・・
やはり、青ヶ島。
小笠原に行くよりもアクセスが非常に難しい。
秘境が大好きな方にとってはあこがれの島。
梅雨明け直後は海も凪ぎ、ヘリも還住丸もほぼ毎日安定した就航になるでしょう。
青ヶ島へはこの期間にすると、予定も立てやすいかも知れません。 小笠原村に属する、南鳥島までも収録されています。
東京から東へ1900キロ、日本最東端。
気象庁、海上保安庁、海上自衛隊が駐在。
残念ながら一般人のアクセスはありません。
東京都の島だけではなく、北海道の利尻島から沖縄県の与那国島まで全国の有人島を網羅。
-原色- 日本島図鑑 日本の島433有人島全収録
著者:加藤 庸二(かとう ようじ)
出版社:新星出版社
発刊日:2010年7月15日
ISBN: 978-4-405-07130-8
定価:2500円+税
7月17日のお昼頃、九州北部から関東甲信地方で梅雨明けしたとみられると発表がありました。
7月15日あたりから青空が広がり、もうこれで梅雨が明けたのではないかと思われるような天気が続きました。
「梅雨明けたしたとみられる」という、あいまいな表現にひっかかってしまいます。
この先も戻り梅雨があり、雨が降る可能性が少しでもあるでしょうか・・・?
連休中は連続出勤なので、今日(金曜日)はオフ。
朝から入道雲がもくもくと出ていました。
これでもう梅雨明け確定のはずだけど、気象庁からの発表はまだです。
7月1日から京葉線に中央線とまったく同じタイプの新しい電車の運用が始まりました。
新しいのが出ると乗ってみたくなるのが私のポリシー。
行くときは、なかなか新しいE233系に捕まえることはできなかったのですが、スカイブルーの201系。
この201系電車(昭和54年製)も、かつては中央線と総武線各駅停車用で使われていたものをお下がりとして京葉線にやってきたものです。
これから相次いで新しいのが入るため、30年以上も活躍している古い電車もまもなく淘汰されてしまいます。
車内は国鉄っぽさ雰囲気が漂うのですが、これもしばらくすれば見納めになってしまいそう。 帰りは・・・・奇遇にもピカピカ
のE233系でした!!別に狙ったわけではないのに、ラッキーです。
ドアが開き、車内に入ると真新しいにおいがプンプン。マイカーの新車を購入した直後のにおいに似ていました。 今回は蘇我までですが、もちろんボロ房(内房、外房)線にも直通します。国鉄の古くてボロ(113系)ばかりの路線にお下がりではなく、最初から新しいものが入ると嬉しいです。
検見川浜駅のホームから見える真夏の象徴、入道雲。 側面の行先表示。
ドア付近の上部に2つの液晶モニター。
次の停車駅を案内したり、路線図、首都圏のJR線で遅れが生じている路線の案内、天気予報、商品のコマーシャル・・・などなど。
たとえば、駅ホームで「○○分の遅れが生じております」と音声のアナウンスがあっても聞こえない。E233系のモニターには「○○のため、○○分の遅れが出ています」と音声でアナウンスしたものと同じように文字で表示。こういうバリアフリーな電車を次々と導入してほしいです。
海浜幕張から蘇我までわずかですが、車窓の動画を編集してみました。
青梅線の奥多摩路も、全く同じ電車(E233系)が使われています。平地で走る都会的な風景と山岳路線の風景も同時にお楽しみください。
今、考えてみるとボロ房線から京葉線経由で奥多摩に行くのに、全区間真新しい電車で行けることも判明。時代が変わってきましたね。
朝日新聞 4月29日朝刊 39ページ(社会面)に青ヶ島が載りました。
・新聞の内容は こちら です。
でも、何が言いたいのか、よくわからない内容でした。
外国人が青ヶ島に多量移住するのは考えられない話ですし、現実とはあまりにもかけ離れた話を記事にしないで欲しいですね。
日本のどこを探しても平和なところは青ヶ島村。ここに来れば、都会の喧騒さを忘れさせてくれる、パワースポットのようなところです。
今日のお天気は
のち
ですと出ていたのに、ご覧のとおり夏本番らしいお天気でした。
いったい、今年の梅雨は・・・!?
集中豪雨による災害情報が相次いで出ているのに、ここは全然雨降らず。
夜になると、涼しい爽やかなよそ風。そのおかげでエアコンいらず。
電気代がかからないので、非常に助かっております。
テレビで山口県で集中豪雨による災害が出ました!と出ると、日本海に面した小さな漁村の故郷を案じていたところ、紙電話が届きました。
川の水かさも濁流で非常にあふれており、あと10センチまで迫ってきました。10センチを超えていれば、間違いなく住宅浸水になるところでした。今はおさまっていますが・・・とのこと。
ここは梅雨とは思えぬほどのよい天気ばかり続いています。 晴れていると、母島・南崎富士から見た絶景をふと思い出してしまいます。
(写真は2009年7月29日 水曜日 午前10時40分。
都道最南端の遊歩道から歩いて1時間20分くらい)
考えていることは「母島」「南崎」「小笠原」「青ヶ島」「海も凪いでいる」「船も安定就航」という脳の成分かも・・。
職場の鉄子さんが鹿児島のおばあさまのところへ里帰りしたときのお土産。
「うわっ!大きなカブ初めてみた!」と目を丸くしてびっくりしてしまいました。
鉄子さんなので、「東京から鹿児島まで新幹線?」と聞いたところ、首を横に振り「時間的にきついので飛行機」。 へぇ・・・面白いこと書かれていますね。
桜島山麓は世界一小さな「みかん」と世界一大きな「桜島大根」が特産品になっているとのこと。
1本30キログラム、胴回り1.4メートルに及ぶものもあるそうです。
鹿児島の珍品ありがとうございま~す!!
ところで東京から新幹線で行くと、切符の経由は「東京・新幹線・博多・鹿児島線・新八代・新幹線・鹿児島中央」。まだつながっていないので、博多から新八代間は在来線特急の「つばめリレー号」利用で最速8時間。
来年の2011年3月、博多まで全通すれば、経由欄が「東京・新幹線・鹿児島中央」のすっきりした表示になるそうです。
残念ながら九州新幹線が乗り入れるのは、新大阪まで。東京へは新大阪で乗り換えになりそうです。
全区間開通すると、鹿児島中央から新大阪まで4時間、乗り換えて東京まで2時間半なので、現行の8時間から6時間半に短縮。
今はめったに見かけることはなくなった、丸い鼻の「0系」は小倉から東京までの要所時間は6時間だったのは記憶しているので、鹿児島から東京まで6時間半はかなりスピードアップを図ったということになります。
国鉄時代のひかり号は 小倉9時20分(?) → 東京15時20分(?) 停車駅:広島・岡山・新大阪・京都・名古屋だったかな??
国鉄時代の指定席予約端末(マルス)は先頭車から順番のようなので、1ヶ月前予約するといつも先頭車の16号車でした。(笑)
そのため、小倉駅から乗るときはホームの端に行かなければならず、めんどくさい思いもしたことも。
厚い雲に覆われながらも全然雨降らず・・・。
夜になって、やっと降ってくれました。
気温20度、久々のクールダウン。
この頃になると、東京から南へ1000キロ離れた小笠原をふと思い出します。
小笠原で出会った人のなかで1番印象に残ったのは、父島タクシーのガイドさん。
某化粧品のコマーシャルに香椎由宇さんが出ると、思い出します。
今も元気でやっているかな~と父島タクシーさんのホームページにアクセスしてみると、相変わらず毎日海のガイドに出ているようで、日記もほぼ毎日更新中。
香椎由宇さん似のガイドさんは「のどか」というお名前です。
手話でどんなふうに表現するの?と興味を持ってくれた陽気なガイドさんなので、一生の思い出になりました。
偶然なのか、7月13日読売新聞夕刊のトップページに「小笠原の野良猫 お引っ越し 100匹、本土でペットに」と出ていました。
猫はもともと島民が飼っていたものが野生化し、人里離れた場所に住みつき、天然記念物の野鳥を捕まえたりして島の生態系に悪影響があった。
2005年からNPO法人・小笠原自然文化研究所と東京都野獣医師会などが捕獲し、本土へ運ばれた。ペットとして飼いならし、これまでに100匹を超える猫に親里が見つかった。
同研究所によると、野生した猫は父島と母島でまだ150匹以上いると見られ、絶滅危惧種のアカガシラカラスバトの生息を脅かしている。
2011年7月の世界遺産登録に向け、住民たちは猫の保護に乗り出したと書かれています。