東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

【訂正】パオル君は静かに余生

2010-07-13 21:19:46 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日のテレビでは、パオル君を料理して振る舞うシーンが出ていましたが、あれは別のタコを使った真っ赤なウソでした。
 視聴者を誤解させるような映像を流さないで欲しいと思います。

 NHKニュースのサイトでは、「優勝トロフィーのレプリカがプレゼントされました。世界から占いやテレビ出演が依頼されていますが、タコとしては高齢のため静かに余生を送らせていただくことになりました」と出ています。

 パオル君、よかったですね。

 ・NHKニュース (2010年7月13日)

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梅雨でもなかなか雨降らず

2010-07-13 00:01:00 | 日記・エッセイ・コラム

 天気予報では  マークがついているのに、なかなか降ってくれません。
 畑の水やりに水道代がかからないように雨でも降ってくれたら助かるのに・・・。

 我が家では自然の涼しいよそ風が入ってくるので、エアコンを使う頻度は少ないほうです。
 かといっても、今シーズンに備え、フィルターのお掃除。
 去年の夏から放置してしまったため、ホコリもたくさん積もっていました。
 水洗いができるタイプなので、ラクチンでした。

201007130001  ここでも沖縄とほぼ同じ気候になっているので、沖縄本島最北端の奥共同店で購入した人参の種を蒔いてみました。
 「沖縄紅美人」という品種、本土産とはどんな違いがあるか、収穫が楽しみです。

 ジョローが壊れてしまったので、一度水やりができる大容量6リットル入りのを購入。
 水道の蛇口にホースをつないで散水はどのくらいの水を使ったか、把握できず。
 今年からは節水のため、ジョローで水撒き。

 集中豪雨や局地的な豪雨などで大きな災害が全国各地にあるのに、ここはなぜか雨降らずです・・・。
 豪雨による災害に逢われた皆様、心からお見舞い申し上げます。

201007130003  
 シモクレン(紫木蓮)の花が咲き始めました。
 



201007130002
  3~5月が開花期なのに、7月になって咲くのはかなり気まぐれ!?




201007130004  
 今夜の夕食。ゴーヤー、セロリー、山口からのあおりイカ、桜エビ、ひき肉、春雨をナンブラーで炒めたもの。



201007130005   奮発して買った、国産のウナギかば焼きで夏バテ防止。
 1匹 ?18,000也。(≒1380円)
 中国産は、?6,800(≒500円)。国産よりほぼ3分の1で買えてしまいます。
 年に1度のぜいたく、ケチるよりも国産で夏のエネルギーを蓄えておいたほうがよさそう(笑)

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タコでも超能力!?パオル君が全試合の予想を的中

2010-07-13 00:00:00 | 日記・エッセイ・コラム

 ワールドカップ2010がスペインの優勝で終わってしまいました。
 テレビでパオル君がスペインの優勝を予言しています!と報道されていたとおり、見事に的中してしまいました。
 ドイツの水族館で飼われていて、年齢は2歳。
 すべての試合の予想を的中する確率はわずか0.4%だというのに、何か超能力でも持っているでしょうか・・・。

 今日の夕方、ニュースを見ていたら「ワールドカップの占い師 パオル君引退」と出ていました。
 飼われているタコは平均寿命3年。パオル君は今年2歳。4年後のブラジルまで予想を当ててもらうのは難しい。今回のワールドカップが最後の仕事・・・と出ていたところ、急に茹でたタコの場面。切り刻み、野菜などと一緒に炒めるシーンも出ていました。

 ドックおじさん(父)が「あああっ!!」。パオル君の訃報に慟哭。
 ドックおじさんはずっとテレビでパオル君の予言を見て、どちらが勝つか楽しみにしていたので、たかがタコでも親近感がしたらしい。
 「すごいなぁ~、パオル君が予言したとおりだ」と何度か聞かされました。

 日本海の小さな漁村でアワビとサザエだけではなく、タコを見つけては格闘し、やっと獲得。
 家に持ち帰ってすぐ塩もみ、赤くなるまで茹でてばかりだったのに、パオル君が可哀そうなんて、つじつまが合わない。

 ドックおじさんいわく「そこらへんのタコとは違う。パオル君は特別な存在だ。スペインが優勝したからと言って、焼かれて食べられるのはあまりにも酷すぎる。寿命を全うするまで生かしておくべきだ」と熱弁していました。

 パオル君可哀そうに・・・。もし、ドイツの優勝を予言し、本当にドイツが優勝していれば、寿命が尽きるまで生かしていたかも知れません。

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昭和の夏休み

2010-07-12 00:24:06 | 日記・エッセイ・コラム

201007120003  図書館で偶然見つけてしまいました。
 内容に興味があったので、借りています。
 平成も22年になり、「昭和は遠くなりにけり」。
 本書はほとんど昭和30~40年代の夏休みを収録しており、私が過ごした昭和末期の夏休みとはちょっと程遠い感じがしますが、かき氷、海水浴、夏休みの宿題なども共通点が見られ、懐かしく感じました。

201007120002  さて、私の夏休みは!?
 親は実家で理美容を営んでいました。
 同じ屋根の下で父は理容室、母は美容室。
 入り口は2ヶ所なので、それぞれ独立の店舗を構えていました。

 ところが、父は「臨時休業」にしてしょっちゅう海へ素潜り。当時のお客さんもよく晴れていて海が凪いでいれば、必ず素潜りに行っているはずだと察してくれたのか、帰ってくる夕方を見計らい、夕方から夜にかけては来客が増えていました。
 臨時休業のおわびとして、いつも来てくれるお得意様には獲ってきたばかりのサザエやアワビのサービス付き。

 昭和時代のエアコンはパワーが強すぎたのか、キンキン冷えるタイプでした。
 スイッチが1ヶ所しかなく、全部屋に冷風を配管するタイプなので、閉店の間は忍び込み、しょっちゅうかき氷を食べながら涼んでいたのを思い出します。(笑)

 その頃の夏休みアルバムもいちおう大切にとっていますが・・・ほとんど無造作に入れてあり、いつ頃撮ったものなのか不明。
 夏休み初日から2泊3日で野外学習というのが、当時の学校恒例行事のようなので、山奥でのキャンプや、海辺でのキャンプなどが出てきました。
 少子化の影響により、今年度から休校になってしまい、残念なことになりました。
 建前は「休校」となっていますが、事実「廃校」です。

 山口の故郷は日本海側にあり、韓国とは鼻の先。
 2004年の夏、故郷でしばらく滞在し、韓国に向かうプランを作り、ヨングクさんと一緒に旅した。
 カーナビの地図に指さしながら「私の母校」と話すと、ヨングクさんいわく「母校なのに素通りするつもりなのか?せっかくだから寄っていけば」「いや、当時を知る者なんて全然いないんですよ。寄らなくてもいいかも?」彼の勧めもあって、ハンドルを切った。
 母校を卒業してから数十年ぶりに校門を潜ったのだが・・・・全校の児童数が非常に少ないのは記憶しています。
 あのときが最後の訪問だったとは思いもしませんでした。

201007120001  なるほど・・・小湊鉄道も昭和を懐かしむこともできます。
 昭和のレトロっぽいディーセルカーに乗ると、当時住んでいた山陰本線のキハ20のエンジン音(振動)を思い出すこともできます。
 でも、運賃が日本一高いのがネック。
 ICカードのパスモを拒否し、未だに硬い切符と改札鋏が使われているのがすごいです。
 せめてJRと同程度の運賃にしてくれないかな。

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千葉県・千倉郵便局/白浜郵便局/千倉駅

2010-07-11 00:00:00 | 南房総・千葉

201007110003  房総半島ナンバーワンの豪勢なお料理を出してくれる、「政右ヱ門(まさえもん)」
 料理の点数は口コミ★5つ、満点のままランクイン。
 グルメ派の宿 政右ヱ門 クチコミ 
 伊勢海老やアワビまでついていて、リーズナブルなので、鮮魚の味が恋しくなったら、また泊まりに行きたくなってしまいます。
 「民宿」なのに、料理のレベルは旅館の料亭並みでしょう。

201007110004_2  
 北九州の友人も郵便局の風景印を集めるのが趣味とのこと。
 まず、「政右ヱ門」に近い千倉郵便局に行ってみました。



201007110001  風景印はやはり、漁師の街にふさわしく、海と漁船のデザインになっていました。
 日付は5月18日。まるで昨日のようなのに、あれから2ヶ月経ったのですかっ!?光陰矢の如し。

201007110005  
 ここは館山支店千倉集配センターと併設。
 ポストに投函すると、「館山」の消印になってしまいます。
 


201007110009  ここは・・・おなじみの赤い看板はなかったのですが、小笠原郵便局裏の「新東京支店小笠原集配作業所」。
 行くときは重たい荷物を担ぎ、帰りはほとんど手ぶら。
 1000キロ離れていても、本土の東京都内扱いなので、帰りの厄介な荷物はいつも「ゆうパック」任せ。
 当日おがさわら丸に積める締切時刻は午前10時まで。その時刻までに出せば、帰りのおがさわら丸と一緒に積んでくれるので、帰宅した翌日に荷物を受け取れます。

201007110008  
 今度は千葉県最南端の白浜郵便局。
 伊豆諸島最南端は青ヶ島、東京都最南端は母島簡易。
 


201007110002
 野島崎灯台と海、サザエとアワビ獲りの海女さん、漁船のデザインになっていました。
 このあたりだと、必ず 「海」の風景が使われています。
 暑中見舞いにこのような「海」のデザインはちょっと涼しげになりそう。


201007110007  
 新しくなった、千倉駅。
 波をイメージした奇抜なデザインになっています。
 


201007110006_2  ここでも2009年から「東京近郊区間」に組み込まれ、東京まで100キロ以上あるのに、当日限り下車前途無効。
 去年から東京近郊区間が広まったため、300キロ以上あっても当日限り下車前途無効。遠距離切符は途中下車しながら楽しめるはずなのに、それができなくなってしまいました。
 それでも途中下車ができる裏ワザは・・・新幹線経由を組み込めば、途中下車もでき、有効期限も延長できます。

 たとえば、木更津 → 奥多摩  経由:浜野・総武・中央東・青梅線 (全区間在来線)
   2520円、 当日限り下車前途無効。
 どこかで途中下車すると、切符は没収されてしまいます。

 裏ワザの新幹線を組み込めば・・・ 木更津 → 奥多摩  経由:浜野・総武・東京・新幹線・品川・山手・中央東・青梅線  2520円、2日間有効。もちろん、途中下車もできます。

 東京近郊区間でちょっと遠くに行くときは、東京から品川まで(または、上野から大宮まで)新幹線経由で指定してくださいと頼んでしまいます。細かい規則かつ途中下車できる裏ワザまでよく知ってるな~、なんて思われたかも知れません(笑) 

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ここでも韓国料理・那須高原の「かんや」

2010-07-10 00:00:00 | 日記・エッセイ・コラム

201007100001  どんなジャンルのランチにしようかな~とカーナビをいじっていたら、この近くに韓国料理店があったので、迷わずセレクト。
 「かんや」という、ひらがなのお店になっていました。


201007100002 ハン尚宮(母)は石焼きビビンバ。
 テーブル備え付けのコチュジャン(唐辛子味噌)の量が少なかったため、「もっと入れてください」と頼むと、店員さんが目を丸くしていました。
 この写真はきれいに盛り付けてあるのですが、食べる前にかき混ぜてしまいます。
 おこげがある程度ついていたほうが美味しい。
 母も作れる得意料理ですが、器も石焼きだったらいいな~。
 (受け皿の木台とセットで6、7万ウォン(≒4500円~5500円)なので、躊躇してしまいます・・。

201007100003 普通のビビンパもついている、冷麺セット。
 日本人の好みに合わせた韓国料理だと思うが、もう少しキムチが欲しいところ・・・。
 あっさり、さっぱりした味で美味しかったでした。

 冷麺の本場は北朝鮮。

0001080114  2008年1月、家族旅行で盛岡へ行ったときのランチは「ぴょんぴょん舎」。北朝鮮北東部の日本海に面する咸興(??「ハムフン」)市出身の青木輝人氏(日本人に帰化)が日本で冷麺を普及させました。
 盛岡は北緯40度、ちょうど北朝鮮の気候に似ていることから定着してしまったようです。

 わんこそば、ジャージャー麺、そしてこの冷麺が「盛岡の三大麺」として全国に知れ渡っています。

 わざわざ盛岡に行かなくても、首都圏で「ぴょんぴょん舎」の冷麺を味わえるところがあります。
 ホームページによれば、銀座に2店舗、川崎駅西口、埼玉県三郷市の新三郷ラポートにもありました。
 日本人の口にアレンジしたとはいえ、とても美味しい逸品です。

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戰爭博物館の圖書館

2010-07-09 00:00:00 | 日記・エッセイ・コラム

201007080012  博物館の隣接する建物は、図書館になっていました。
 館内を見渡せる場所に館長さんの執務机が置かれていました。
 80歳になっても現役でお仕事とは素晴らしい。
 そのような仕事があるからこそ、頭の働きに刺激が入ってきて、若返りもできてしまいますね。

 体を動かずにじっとしていたら、そのまま寝たきりになってしまう心配もありますので、時々無理のない範囲で体を動かしたり、自分の好きなものに取り組んだり、脳を刺激すると若返りできるデータも出ているようです。

201007080011  戦争遺品の展示コーナーはちゃんとジャンルごとに分類されていたのですが、図書館は無造作に置かれていました。
 湿度が高いため、カビが生えてしまった貴重な本たちが・・・。
 これらの本たちは国立国会図書館も欲しがるほどの古書がいっぱい。
 
 どんな本が所蔵しているかわかりませんし、今となっては貴重な書籍がそこに眠らせたままになっているかも知れません。
 図書館の専門知識を持つ司書の方に整理をお願いするとよいかも・・・。
 青ヶ島村立図書館も1999年に初めて上陸したときは、「うわぁ~並び方が無造作だなぁ~」と思っていましたが、2007年、久しぶりに行くと、日本十進分類法に沿った並び方になっていました。(もしかすると、おとなりの八丈町立図書館の司書さんたちが整理して下さったかも知れません)

201007080009  なんで北朝鮮(※)の雑誌が転がっているんですかっ!?
 (※北朝鮮では、自分の国を「朝鮮(?? 「チョソン」)」と言います。韓国は「南朝鮮(???「ナムチョソン」)」。「北」や「南」を冠すると、蔑む意味になる)韓国も北朝鮮を「北韓(??「プッハン」)と言っていますし・・・。

 残念ながら、湿気で紙と紙がくっついてしまいました。

201007080010  朝鮮の雑誌なのに、なぜか日本語で書かれています。
 朝鮮の元号、チュチェ(漢字は「主体 ??」)、永久国家主席の金日成さまの誕生日(1912年)を元年とし、1997年(チュチェ86年)に制定されたもの。
 1912年をチュチェ(主体)元年とし計算してみると、90年は西暦2001年。今年2010年はチュチェ(主体)99年になります。

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戰前の日常品色々

2010-07-08 00:08:50 | 日記・エッセイ・コラム

201007080001  昭和天皇と皇后さまの肖像画。
 明治時代に制定された大日本帝國憲法に基づき、天皇陛下を神様として崇拝されていました。
 天皇は「現人神」(あらひとがみ)と言い、この世に現れた人間の姿をした神様を意味します。
 この肖像画は戦前どこの家庭でも部屋の真正面に飾られていたそうです。
 昭和21年、昭和天皇は「人間宣言」と称される詔書を公布。

Kitacho 朝鮮民主主義共和国もかつては大日本帝國の植民地。
 昭和天皇と皇后の肖像画を崇められていたときと同じように、金日成主席様と金正日総書記の肖像画を家庭、公共施設、地下鉄車両、駅舎、空港、学校の教室・・・どこでも揚げられています。
 肖像画を大切に扱われているか、打ち抜き検査に来て、少しでもホコリがついていただけでも、強制労働所に連れて行かれるそうです。これは北朝鮮に関する本からの情報でした。

 (写真は国境付近の韓国側の「北朝鮮資料館」で撮影)

201007080002  昭和天皇は数だくさんの写真が残されていますが、大正天皇と明治天皇はこの写真しかありません。
 「現人神」とし、写真を撮るだけでも不敬なことでとても畏れ多く、できなかったそうです。


201007080003  汽車の無料乗車券付の赤紙。
 本郷職隊區司令部が長野県の一般人に昭和17年3月20日午後1時までに東京都麹町區代官町近御歩兵弐連隊に到着せよ。と命ずる通知書。
 乗車區間  自 松本驛  至 東京驛
 乗車月日 昭和17年3月19日

 發行日の日付は見当たらないが、赤紙をもらって、すぐ翌日の汽車に乗って行きなさいという強行的だったものかと伺えます。 

 戦地に赴きたくないはずなのに、赤紙をもらうと「おめでとうございます」と祝う風習がこの時代にありました。 

201007080004  これは絶対にもらいたくなかったはずの死亡通知書。
 赴任先は召集を受けた場所で言い渡されるので、家族に自分はどこに行くのかは知らされていないそうです。
 当然のことながら、残された家族は愛する人はどこに行って、今何をしているか、知るべきものは全くない。

 赴任先からのはがきや手紙が来るわけだが、料金印字面は「軍事郵便」なので、消印は省略。返事の宛先も、召集の受けた場所の住所でしか知らない。
 たとえば、「木更津航空機基地気付」が宛先になっていれば、軍事郵便配達員が戦闘機に積み、はるばる1250キロ離れた硫黄島に配達されたケースもありました。

201007080005  
 戦前の雑誌。
 タイトルは左からではなく、右からになっています。
 

201007080008  館内は戦前だけではなく、戦後のものまで陳列。
 昭和20年代末期に出た、14型テレビ。
 当時はなんと25万円!!
 14型のアナログテレビを処分したくて、リサイクルショップに持ち込み。
 買い取りは1円になってしまいますとのこと。
 「1円はいらないです。引き取ってくださいな~」
 テレビを処分するのに家電リサイクル法によると1700円の手数料がかかる。
 1700円かかるところがタダで引き取ってもらえると嬉しい。
 しばらくして、リサイクルショップのテレビコーナーに行ってみると、「00年製 アナログ14型インチ 取扱説明書なし リモコン付き 300円」の値札が貼られていました。

 昭和20年代末期の25万円とは雲泥の差。(笑)

201007080007
 えーっ!?これは洗濯機。
 クルクル回転しながら洗えるわけだ。



201007080006  1950(昭和25)年まで使われていた、壁掛け式電話。
 あれから60年・・・電話機がすごくコンパクトになり、音声だけではなく、電子メール、インターネットのWebサイト、しかもお互いに顔も見ながらのテレビ電話もできてしまう。

 今から60年後といえば、2070年。その頃の電話機はどうなっているか知りたい。
 たぶん、昭和25年の発想で今の携帯電話を想像できなかったと同じように、もっとすごいものが出来ているでしょう。

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戰爭博物館 展示品いろいろ

2010-07-07 00:00:41 | 日記・エッセイ・コラム

 「ご自由に展示品の撮影をしても構いません」とのことでしたので、いろいろ撮ってきました。
 戦時中は日の丸を意味する日章旗と、日の丸から赤い光を放つ朝日のような旗の2つが使われていました。
 朝日のような旗は「大日本帝國陸軍」を意味し、昭和20(1945)年8月15日までに存在していた組織。

201007060007  博物館入り口の横に置かれていた、戦闘機の操縦席。
 死の旅路に出発する「神風特攻隊」は秘密作戦であったため、ほとんど10代の青少年は家族に知られることはなく、自ら敵機に体当たりして亡くなられた方も多い。

 戦闘機そのものが兵器であったため、跡形もなく爆発してしまいましたが、こうして残されているのは戦火を免れたものだと思われる。

201007070001  A級戦犯者の東條英機。
 「昭和16年12月8日、真珠湾を不法攻撃し、米軍と一般人を殺害した罪」として、昭和23年11月12日の東京裁判で死刑判決。
 同年12月23日に巣鴨拘置所(現在は池袋のサンシャインシティ60に隣接する「東池袋中央公園」)で死刑執行。
 公園内の死刑が行われた場所に「戦犯者慰霊碑」が安置されています。



201007070003
 日本軍の食器類。




Ogasawara2  
 小笠原・父島の戦跡ツアーに参加したときのジャングルに残された食器。
 日本軍のトレードマークの星がついています。


201007070002  ハン尚宮(母)いわく、「私も子供のころはこの服だった」。
 当時は韓国に住んでいたため、チマチョゴリのような服を着せられていたのこと。


201007070004  軍事郵便。
 軍事郵便は戦時に赴いた兵士が自分の安否を家族に知らせるために使われた、無料制度の郵便。
 差し出すと、検閲官が手紙の内容を読み、知らせてはまずい部分を墨で消し、検閲済のスタンプとともに検閲者の認印。
 たとえば、小笠原の硫黄島に配属されましたと書くと墨で消されてしまう。年間常夏に赴きましたとか、うまく言葉の表現を変えなければならないそうです。

201007070005  昔の銭単位のはがきや手紙。
 今の時代、1円玉だけで何も買えないのに、昔は何枚か買えました。
 4銭切手25枚で1円。2銭切手50枚で1円。
 戦前の1円は今の価値で言えば、1000円くらいでしょうか。

201007070006
 菊の紋入りの天皇陛下恩賜のたばこ。
 喫煙者が大幅に減少し、平成15(2003)年から施行された健康増進法により平成18(2006)年廃止。
 

201007070007  
 兵士の階級ごとに割り当てられた帽子。




201007070008  映画「硫黄島の戦い」で脚光を浴びた、玉砕総指揮官、栗林忠道氏の肖像画。
 平成18年(2006)年、テレビ局が戦後初めて硫黄島で栗林忠道氏が指揮を執っていた地下壕を公開。
 湿度も高く、非常に蒸し暑いところ。しかし、遺骨は2010年現在、まだ見つかっていないようです。

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大日本帝國 戰爭博物館

2010-07-06 00:01:00 | 日記・エッセイ・コラム

201007060001 なんなんだ!?古めかしい旧字体の漢字が使われています。
 観光ガイド雑誌の「まっぷる」や「るるぶ」には載っていない、一風変わったB級観光スポット地だそうです。
 


201007060003  この博物館は館長の栗林白岳さんが私財を投じて、1987(昭和62)年建立。
 今年80歳とおっしゃっていましたので、計算してみると1930(昭和5)年生まれ。
 戦局が激しくなった1944(昭和19)年、満蒙開拓青少年義勇軍に14歳で自ら志願。
 その後、獣医生として関東軍に所属、上等兵として終戦を迎えた。
 太ももに鉄砲の弾が当たり、貫通。獣医の知識を生かし、自らの手で弾を抜き取り治療を施したという。
 戦争を二度と繰り返さない後世のためにこれだけの量を収集されたのは本当に素晴らしい。

201007060004   はるばる外国のサイパン島より帰還した戦車。この戦車は昭和18年満州國(今の中国)公主領戦車隊よりサイパン防衛に参加し、同海岸で玉砕。鎮魂の品であり、遺品でもある。平成18年、同島海岸で発見し、日本に帰国。 
 館長さんの手作り看板にそのような説明文が書かれていました。

 サイパン島は東京から南へおよそ2500キロなので、小笠原の父島からおよそ1500キロ。父島へは、おがさわら丸で25時間半かかるのに、サイパンへは飛行機でおよそ3時間。
 
201007060002
 ホンモノの戦闘機が飾られた、博物館の入り口。
 遠くから見ても迫力があります。



201007060005 まるで大日本帝國を思わせるような、受付の雰囲気もすごい。
 受付の係員は女性の方でした。
 「日本刀2本、自決用短刀1本を心なき方に盗まれてしまいましたので、館内各所で防犯カメラで録画中です」とのこと。
 

201007060006  受付の横で鎮座。
 日露戦争を舞台にしたNHKドラマの「坂の上の雲」でのロケに使われたとのこと。
 「坂の上の雲」を書いたのは、司馬遼太郎さん。
 彼も戦争を経験しているので、フィクションを基に小説化。
 その小説を映像化にするのに、これらの展示資料が役に立ったわけですね。 

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今年の台風まだ1個 「北冷西暑」の夏に?

2010-07-06 00:00:00 | 日記・エッセイ・コラム

(7月5日の 産経ニュースより)

7月に入り夏本番間近だが、今年は台風がまだ1個しか発生していない。気象庁によると、6月末現在で台風が1個以下だったのは平成10年以来12年ぶりで、昭和26年の統計開始以降、ほかには3回(昭和48、50、58年)あるだけだ。同庁は、インド洋の海面水温が高いことが原因の可能性があるとみており、北日本を中心とした冷夏など天候不順につながる恐れもあるとしている。

 今年の台風は、3月24日に発生した1号のみ。6月末までの発生数の平年値は4・5個。

 気象庁によると、今年はインド洋の海面水温が高く、大気の対流活動が活発化。逆にフィリピン近海は対流活動が弱く、台風が発生しにくい状態になっている。インド洋で上昇気流が盛んになる一方、フィリピン付近では下降気流が強まっているためとみられる。

 こうした状況は「エルニーニョ現象」終息直後によくみられるという。今年は春にエルニーニョが終息したばかりで、6月末までの台風が1個以下だった過去4回のうち、3回はエルニーニョが終息した年だった。さらにフィリピン付近の対流活動が不活発だと、台風が少ないだけでなく、太平洋高気圧の北への張り出しが弱まり、西日本は暑いが北日本は気温が低い「北冷西暑」パターンになりやすいという。

 同様に台風が少なかった昭和58、平成10年夏は「北冷西暑」で、「大気の状況が今年と類似している」(気象庁気候情報課)という。


 (ここまで)
 毎日天気予報や天気図を確認しているのに、台風のマークや進路予想図を1個も見かけず。
 ブログを始めた年の2005(平成17)年は小笠原の母島、父島
 2006(平成18)年は伊豆諸島の中でまだ行ったことのない御蔵島のはずだったが、波が高くて八丈島にお流れ。朝来た船でそのまま折り返せば、午後御蔵島に降りられたかも知れない。港の状態が良くなければ、三宅島になってしまう。 
 振り回されたくないので、八丈島に急きょ変更。
 2007年(平成19)年は青ヶ島へ4回目、5年ぶりの上陸。
 2008年(平成20)年は御蔵島へリベンジ。
 当初、梅雨明け直後の7月を考えていたのに、すべて宿が満室に。7月に宿泊したいときは、2ヶ月前の5月に申し込んで抽選で決定、とのこと。へぇ~と思いながら、7月の2ヶ月先の9月に変更。心配していた台風の発生もなく、すべて予定通りに。
 2009年(平成21)年は再び小笠原の母島、父島
 今年は1998(平成10)年の夏に類似しているとのこと、毎年恒例の島旅は予定通り順調になれそう!?
 予定が狂ったのは、梅雨明けが最も遅かった2006(平成18)年だけでした。

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フツーのおばさんが見た北朝鮮

2010-07-05 00:01:00 | 日記・エッセイ・コラム

201007050002  韓国は「そうだ、韓国へ行こう」といったような感覚でその日のうちに行けるのに、陸続きの北朝鮮に行くのにハードルが非常に高い。
 38度線付近の展望台からは北朝鮮の開城(ケソン)の街並みや偉大なる首領様の「金日成」銅像などが望遠鏡のレンズを通してよく見えるのに、そこに行くのにいったん中国やロシアを経由しなければならない。ほんの数キロ先なのに・・・。
 日本統治時代の行政区分は「平壤府」、東京から平壤ゆき(経由:東海道・山陽・下關・京釜・京義)の切符も発売、郵便局も「平壤」(当時は日本語読みで「ヘイジヤウ」)の消印も日本様式。

 大日本帝國が1945(昭和20)年8月15日敗戦、朝鮮半島を手放す。
 隣接する旧ソビエト連邦が朝鮮半島を自分のものにしたい。
 日本と戦って勝利したアメリカも朝鮮半島を自分のものにしたい。
 主権を巡って、1950(昭和25)年6月25日、朝鮮戦争勃発。
 
 朝鮮半島全地域をソ連軍の率いる北朝鮮にした時期もあったが、再び、アメリカの韓国軍が攻めるなどにして、皮肉にも日本では朝鮮戦争の特需により、高度経済成長期を迎えてしまった。

 1953(昭和28)年7月17日、朝鮮半島の南北を分かれる38度線で休戦協定を結ぶ。
 今年は2010年なので、休戦57年目になります。

 まだ戦争が終わっていない状態なので、「大韓民国の国民たる男子は憲法と兵役法の定めに従って、兵役義務を誠実に遂行しなければならない」という兵役法第3条があり、19歳になれば、戦時中のような赤紙のような通知書が本人に届くそうです。
 たとえ、志願していなくても強制的に連れて行かれてしまいます。

 ほとんど韓国の男性はこういう兵役を経験しているので、体格もよくメタボはほとんど皆無。
 障害者の兵役義務は免除されていますが、昔はろう者も兵役対象だったそうです。韓国映画の「ブラザーフッド」も、「目の見えぬ者は免除だ!」といったセリフも入っていますので、ろう者は手足が不自由なく使えるので、徴兵対象だったこともうかがえます。

 ところが、銃砲の音などに気づくのが遅かったため、残念ながら亡くなられた方も出たため、ろう者も免除になりました。(数年前、韓国の友人から聞いたお話です)

 すっかり話が長くなってしまいました。

 2003年、いやそれ以前だったかも知れませんが、北朝鮮旅行の情報収集。
 1人30万円かかること、中国大使館にVISAの発給が必要なこと、現地のガイド人と付き添いになること・・・の気が遠くなりそうな文言でした。
 
 私の代わりのこの本の著者が北朝鮮に行ってくれました。
 拉致問題が公になる前なので、北朝鮮側も日本人観光客の受け入れも容易かった頃の話になっています。

201007050003  この本を読めば、まるで私も北朝鮮に旅行しているかような気分に浸ってくれます。
 北朝鮮はベールに包まれた謎の国。
 ここで詳しく書けませんので、本書をご購入なさるか、または最寄りの図書館でリクエストをお願いいたします。

「フツーのおばさんが見た北朝鮮」
 著者:谷合 規子(たにあい のりこ)
 出版社:元就出版社
 発刊年月日:2010年6月10日
 ISBN:978-4-86106-1489-9
 定価:1500円+税

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やっとイエローのハイビスカスが開花

2010-07-05 00:00:00 | 日記・エッセイ・コラム

201007050001 去年の夏からピンクとイエローのハイビスカスを育てています。
 同じハイビスカスなのに、ピンクは真冬の暖かい部屋で開花する気まぐれ、イエローは本格的な夏になってからでないと咲かない律儀。
 ピンクは自分の好きなように咲いてくれるのに、イエローのはなかなか咲いてくれないな~と気にもんでいたのですが、出番をきっちり計画を立てているみたいです。(笑)
 ここは田舎なので、エアコンがなくても窓を少し開けただけで涼しいよそ風が入ってきます。

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怪電話の発信元は!?

2010-07-04 00:00:00 | 日記・エッセイ・コラム

201007040001  ハン尚宮(母)いわく・・・
 「毎朝、毎朝、毎朝・・・・同じ時刻にファックスの着信を知らせるランプが光るけど、ファックスが出てこない」
 「いたずら電話にしては毎日同じ時間にかかってくるなんて不気味だね」
 
 「着信してきたら、ディスプレスに表示される番号を控えておくように」
 ドックおじさん(父)「それがほんの瞬間だし、番号の表示もなかった」

 もしかすると、霊界からの電話?

 もし、それが本当だとしたら、私たちは耳が聞こえないということは理解できているだろうか。電話の代わりになる手段、ファックスまたは電子メールとかにすればいいのに?と首をかしげながら出勤。

 050から始まるIPフォンは発信、着信の記録をすべて残せるので、調べてみたところ、怪電話がかかってくる時間帯に外部からの着信履歴なし。

 ということは、子機に関係ありそう?

 パソコンのとなりにファックスの子機が置かれています。
 電話ができるわけじゃないのに、何で使っているかというと、リビングから私の部屋までかなり離れているので、ファックスの内線ボタンを押すと、子機のディズプレイにオレンジ色のランプが光ります。
 リビングからの呼び出しだとわかるので、わざわざ来てもらう手間が省けるわけだ。
 来てもらったほうが足腰の運動になれるので、そのほうがいいですけど・・・。

 検証してみたところ、パソコンと子機充電器のすべて電源を落とすと、リビングのファックス機が着信のオレンジ色に光ることが判明。

 毎日同じ時刻にかかってくる怪電話とは、出勤前に関連していました。
 
 「毎日同じ時刻にかかってくる怪電話は、子機の電源を切るとファックスも光る」と説明。
 不気味な怪電話の真相解明。(笑)

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しゅわ絵本

2010-07-03 00:03:00 | 日記・エッセイ・コラム

 日本でただひとつ、手話で授業を行う「明晴学園」のブログを最近、立ち上げたそうです。
 興味深い記事を見つけましたので、ご紹介したいと思います。

 ・しゅわ絵本 (明晴学園のブログ)

 明晴学園の先生たちが出演、しゅわ絵本の動画サンプルが載っています。

 ・ダブル・ピー オンラインショップ (DVDの購入先になります)

 日本手話は日本語とまったく異なる文法なので、絵本に載っている日本語そのままを手話にしてもまったく魅力のないものになってしまいます。
 このしゅわ絵本は日本語を日本手話に翻訳されているので、見ている人たちを魅了させられるものです。

コメント (4)
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