「医者は飯でも食べているのだろう」と夫。夫の腹立ちは頂点に達し、私のクラスを気にしてくれて「もう帰ろう!」と鼻を押さえつつ上を向いて廊下に出て帰ろうとした。看護婦が飛んできた。命令口調で「椅子に座っていろ!」と。まるで囚人に対する刑吏の態度だ。医者が覗きに来てから待って、待って、待って、ついに1時間以上経ち、5時となった。待たされるならば待合室の方が楽だ。やっと“医者様”がご来室なさり、鼻に麻酔をし「5分で戻る」と言われてからまた待ち、鼻の奥を焼いて手術をしてからまたまた待ったのはやむをえないだろうが、その間私が廊下を歩いてみると我々から後に入った全ての患者が去っていた。待ち時間がたっぷりあり、昨夜のJewish Hospitalの若い女性医師、Ahren Ataubitsの言及した耳鼻科専門医の持つ特殊器具とやらを観察したが、たった二つ、鼻腔を拡げる器具と、はさみを真ん中で折り曲げたような器具だけ。耳鼻咽喉科はほんとに資本のいらない科ですねえ。こんな簡単な器具なら昨夜のAtaubitsさんが病院から支給されてさえいればここに来なくても上手に手術したであろうに。こんな腹立たしい医者と看護婦のところに。
夫を車に乗せ大学に急いだ。家に夫を連れて帰れば学生は去り試験の時間は終わってしまう。夫には大学のロビーの長椅子に休んで待ってもらい、クラスには30分遅れたが試験は無事終了した。だが夫と私の不愉快さは収まらなかった。患者が順繰りに遅れるとか処置の都合上順序が狂うなら理解できるし許せるが、診察室にはほぼ時間通りに現れ、診察もせずに去ったのは処置の都合ではないことが明らかだ。他の患者全てを済ましてから夫のところに来たのだから私たちは落ちつかないわけだ。理由は何か。「オリエンタルを後まわしにしたのでは?」と夫の腹立ちは治まらない。気分が悪いまま硬い椅子で待たされたのだから当然だろう。多文化教育や平和教育が専門の私として見逃すことの出来ない事件だ。次回の受診時に究明せざるを得ない。地域に根付くWyoming Family Practice Center、私立Jewish HospitalのEmergency Room、大学病院に密着し、持ちつ持たれつの有名開業医の三種の医者と看護婦の対応を鼻血事件を通して経験したこの事件、Wyoming Family Practice Centerは喜劇だったが「お金頂戴」看護婦も診察台への導き方と問診は問題なかった。
アメリカの保険制度は良くない。皆異なるランクの保険を持ち、受けられる治療に差がある。安い保険の加入者や保険のない人は死んでくれ、という社会だ。アメリカに17年間住み、仕事もし、アメリカ生活を楽しんできた私たち夫婦だが、こちらでは良い保険を持っていない。そんなシニア夫婦の私たちが安心して住める国ではなさそうだということが鼻血事件を通して解った。日本の保険制度は世界が羨む制度だと聞いているが今やその制度も揺れ始めたという。だがアメリカだけは見習ってほしくない。平等な治療を受けられる保険制度を維持して欲しいと切に願っている。完 (彩の渦輪)