ケープ半島を巡るバスに乗った。過去巡った半島の中でも海岸線がひときわ美しく、草花や動物が美観を盛り上げている。高級リゾート地を経て喜望峰で一休み。喜望峰はポルトガル人、バーソロミューが発見、同じくポルトガル人、ヴァスコ・ダ・ガマが世界一周の途中立ち寄った余りにも有名な岬で、英語名Cape of Good Hope(希望の岬)はポルトガルの王ジョアン二世の命名だ。名前は最高、だがケープ半島の住民に希望を与えてきたであろうか。少数白人が非白人を差別して来たアパルトヘイト(隔離という意)政策や「遠かった夜明け」をバスの運転手が語ってくれ、「以前は人種を示す身分証明書必携だったが近年経営者と使用人の結婚も起こり始め、カラードといわれる人々が増え、多民族国家、多文化社会として発展を続けている」と、職業がある身を喜んでいた。
筆者の脳裡に今でも鮮明に焼き付いているニュースがあるが、黒人の自由を主張して38年間刑務所に入れられていたネルソン・マンデラさんが1990年に釈放されたことだ。先住民、サン族、コイ族がいた南アフリカにオランダ人が入植してケープ植民地を作り、その後イギリスが植民地として奴隷解放を宣言したが奴隷に頼っていたオランダ系の農民の反乱や武装蜂起、イギリス軍との確執の後南ア連邦成立、最初の首相、ボータ以降、黒人を一定居住区に隔離する人種隔離政策、人種間通婚禁止法、背徳法、バス法等の人種差別法が次々と成立し、黒人運動の指導者、ビコは殺され、マンデラさんは投獄され、長く刑務所で過ごすことになったのだ。そのマンデラさんは釈放後に大統領となり、新憲法発効、今は別の大統領だが昨年はFIFAワールドカップも成功裏に終わった。
筆者は喜望峰を眼下に、赤ちゃんを背負ったバブーン(ヒヒ)に微笑みつつアパルトヘイト下の人々の苦しみに暫し思いを馳せた。近くの海岸でペンギンと遊び、鮫の来る湾を見てのち、アフリカ最古の街のステレンボッシュ大学を訪問し、アフリカ最古のワインセラーで試飲し、ケープ・ダッチ方式の美しい建物群の間のレストランで食事、というケープ半島満喫の旅だった。(彩の渦輪)