あけぼの

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世界学会の最中にテロ事件(完) 飛行機事件の対応

2009-03-03 01:57:16 | ブログ

静かな佇まいのトレド市に後ろ髪を惹かれつつ、電車でマドリッドに戻る途中の駅構内で見たものは……恐怖の光景だった。高層ビルに飛行機が頭から突っ込み、ビルがバーンと爆発・炎上する、例のSeptember 11だったのだ。その日から世界中が大変住みにくく変わることになるあの日だった。どの駅も、ホームも、街中に見える全てのテレビが繰り返し真っ赤な炎に崩れるビルを写していた。聞こえるのは人だかりの「オー!」というどよめき。宿舎に戻り、参加者全員が会議場で犠牲者へ黙祷を捧げた。アメリカからの参加者には特に悲壮感が漂った。事件はアメリカで起こったのに参加者の帰国便に支障が出た。筆者はマドリッドからコロラドへ電話した。夫は松茸狩りが趣味で毎年9月上旬にコロラドへ行く。夫の帰路の便は足止めとなり、筆者の飛行機もテロの影響を受け、シンガポールで一泊させられた。NYから遠く離れた人たちにもこうして影響があった911。ましてあのビルにいた人たちの運命は大きく変わったことだろう。日本人留学生について911後にも追跡調査を行ったが、彼らの生活も変化した。制約が増え、苦しくなり、アメリカへ向かう留学生数も減った。

このように旅先で自分では対処できない飛行機事件に巻き込まれることがある。アメリカの飛行機を使う乗客の検査が厳しい国が多い。ウィーンでの出来事。アメリカン・エアラインを利用していた。我々夫婦とも旅好きのため「パスポートの出入国スタンプがやたら多い」という理由で疑われ、しつこい検査・検問の間に我々の乗る飛行機は出てしまい、次のNW社のフライト時間も過ぎ、ヴィエンナ・エアがやむなく引き受けてくれたが、当然帰国は遅れた。昨冬「娘難病で手術!」の電話に驚き即日本へ向かった。これもアメリカン・エアーだった。雪のため国内線が遅れ、シカゴで国際線はもう出た後、当のアメ・エアー社の受付嬢は冷たくて役立たず、出航間際のJALに事情を話し、直前だったが乗せてもらえた。合同運行であることを知っていたので頼み易かった。天候の事情による飛行接続はアメ・エア社が面倒をみるべきことだと思ったが、職員の能力次第なので自分で交渉した。事件に巻き込まれても落ち着いて対応しなければならない。彩の渦輪


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