製糸から始まった日本の近代化 昨2014年6月、世界遺産に登録されて以来連日人、人、人で賑わう富岡製糸工場へ。明治維新直後の明治5年から115年間にわたり創業し続けた富岡製糸場は日本近代化の幕開けの象徴だ。原動力となったのは深谷の偉人たち、明治新政府の大蔵省租税正だった渋沢栄一、尾高惇忠、韮塚直次郎や建設の指導者、フランス人、ポール・ブリュナ等の熱意と協力だった。渋沢栄一の雅号、青淵という雑誌は今もあり、筆者は時々旅行記を載せていただけるので特に親しみを感じる群馬訪問だった。
鎖国が解かれ外国との交易開始した当時の主たる輸出品、生糸の需要が高まったが手動そう糸法では良質の生糸を大量生産できない。量産化を目指し政府は機械をフランスから輸入、明治3年、生糸に精通したブリュナを指導者に、当時養蚕が盛んで良質の水や燃料の石炭が確保できる富岡が選ばれ、ブリュナや製図工等10人のフランス人を雇い入れた。300釜のフランス式そう糸器も設置、世界最大規模のそう糸場が出来た。さあ、準備は出来た。ところが、である。工女が集まらなかったのだ。その訳は?「生き血を絞られる!」と工女募集難航 建設指導者として迎えたフランス人たちが飲む赤ワインを血と思い込み、「就職すれば血を絞られる」とデマが飛び、応募者が無かったのだという。(続く!!!)(彩の渦輪)
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