生家には祖父の築いた庭園がある。その庭園には池が、池の周りには勾配があり、その勾配を利用して石が置かれていた。池には橋がかかり、上から滝が流れ落ち、石の側面もなかなか風情があった。大石類は祖父の全盛時代、人夫を動員して河原から運ばせたもの。こじんまりとしていたが、30坪ぐらいのL字型の庭で、戦後は庭園税のかかった見栄えのする、田舎では際立つ庭だった。子供の頃、庭石に生えた苔をむしり取ってこっぴどく叱られたことがある。池の鯉はいたりいなかったりしたが事情があったのだろう。周りに植えた木々の剪定はお盆前よく植木屋さんに頼んでいた。経済事情もあったのかある時期から手の届くところは父が原型を維持しながら自分でやり出した。高いところの剪定は私がやらされた。父は下から「あの枝を!」、「この枝を!」と命じた。「庭木は茂っては枯れるのだ、木のど真ん中を風が通るように透かすのがコツだ!」と。「上向き下向きの小枝は切落とす」などと教えてもらった(I)。庭木の種類だが「モチ、もっこく、木犀など頭に“も”のつく木を7つ以上植えるのが良い庭だ」と言っていた。「葉っぱが落ちて冬期丸裸になる木は好まれないが紅葉は別格、秋の彩りは鑑賞の価値があるのだから良い、紅梅も春先綺麗だから好まれる」と。嫌われるのは大木になる琵琶、ザクロ、藤など。柿など実用向きは庭園から離れた屋敷の方に植えよ、等、木の選び方(II)も習った。庭木にはそれぞれ目的がある。観賞要素は花が咲く木、幹を観賞する木、自然に枝ぶりがよくなる木、など特徴を持つもの。生活上家や庭の面積との関わりで植えられるもの、例えば風よけ、陽よけ、火よけ、目隠し、等だ(III)。以上の如く、先祖からの庭園を守るのが父の造園哲学であった。父は鳥取県に住んでこの造園哲学を一生維持していたが、自分は東京に住んでいるので父に教わった造園哲学の(I)だけは実現しているが(II)、や(III)は中途半端だ。よく見かける柿の木だけは植えてませんヨ。(自悠人)
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