先日、夫自悠人のウン十3歳の誕生日、大きな鯛、古代米入り胚芽米、エビスビールやテキーラでお祝いした。昭和一桁だが姿勢もよく元気者、勿論認知症もなく10歳若くも見える自悠人だが、この日ボソッと呟いた:
「長く生きても目標がないと人生つまらない」と。
「目標はあるじゃない!約2年後、美術館を借り切って絵の個展を開くんでしょ。頑張って沢山仕上げなくちゃあ!」と筆者。
「それはあるけど、年を重ねると侘しさが脳裏をよぎり出すんだよ。この頃よく自問するんだ。人生ってなんだろう、と。平衡感覚がひどく落ちたので人生を気にしだしたのかな」。
筆者も考えた。病歴有りの筆者には2年後の目標を持てるのは贅沢だ。1日1日ベストを尽くして生きるのみ。「ベストを尽くして生きた日々の総和」が人生だと考えてきた。だから手抜きは出来ない。今日の予定は必ず今日済ます。明日の予定を書いてから布団に入る。「あれしなきゃ、これしなきゃ」、といつも追いかけられ(自身に)、いつも気忙しく、その挙句6、7年来の不眠症。だが全く別の生き方もあるだろう。人生とは?
筆者にとって人生の定義はやはり「真剣に生きる日々の総和」。「1日1日をベストを尽くして生きたらそれが美しい人生になると考える」と筆者が言ったら、自悠人は「あれしなきゃ、これしなきゃ、と追いかけられるのは息がつまるよ。ところで今日の鯛はうまかったなあ。食べた美食の総和が我が人生だ」と、冗談を言う元気が戻った。鯛のお蔭さまで。(彩の渦輪)
福井ではこの日、学力向上を祈願して、天神様の掛け軸の前に焼きガレイ(鯛ではなく鰈です)をお供えするというおうちもあります。うちでは、ここ数年美味しそうな焼きガレイが手に入った場合のみいただいております。何せ帰りが遅いのでスーパーヘ行っても残り物しかないのです(^O^)・・・贅沢なことを言ってはいけませんね。
御夫妻の会話がおもしろくて笑っちゃいました!。「ベストを尽くして生きた日々の総和が人生」「食べた美食の総和が人生」どちらも頷けて、さすが人生を重ねた方のお話は面白いなあ。