ペナン島のジョージタウンは予期していたとおり高層ビルも林立し、旧市街の一部を除いて、近代的都市に変っていた。郊外のタンジュン・ブンガは緑と高層ビルがつり合っての新興住宅地、美しい景観だった。が、周辺の海は汚れていた。泳ぐには周辺の小島を選ばなければならない。そこもリゾートとしての観光地化が押し寄せていた。便利性イコール俗化性は仕方のないこと。暖かくて安全で車とアルコール飲料以外は安価(日本の1/3)であることは確認できた。新鮮な果物も豊富だった。
情報を提供してくれた日本人のリタイア組、個人の資質にもよるが幸せそうだった。この写真は彼ら夫妻のコンドミニアム25階からの眺望である。ゴルフ、散歩、食べ歩き、日本人社会との付き合いで老後を消化しているとの感じだった。そこを拠点として大きく行動、飛躍しようという試みはこれからであろう。トヨタの車を日本から持ち込んでいた。生活費は少なくてよさそう。我々夫婦にはペナンはまだちょっと退屈なところに思えた。
コタキナバルに向かった。キナバル山(4100m)登頂のためだった。ワイフはキャメロン・ハイランドへ。興味の対象が異なるのでいつものごとく別行動だ。キナバル入山、登頂、下山までのプロセスはアクシデントの連続だった。特に下山では思いっきり転んで怪我だらけ、よく耐えられたものだった。年寄りの冷や水では済まされない状況を体験した。エピソードのひとつを紹介しよう。余り派手に転ぶのでガイドが私の背負っているバックを渡せといった。勿論有料、私が転ぶたび、その言葉を繰り返した。4回目の転倒は派手だったので遂に「イッツ、フリー」(タダでいいから!)と言ってバックを私の背からもぎ取った。転んだ場所が崖の際だったから危険であると同時にガイドとしての責任を意識したからだろう。私には例え転落してもバックをはなさない意地が働いていた。「登りより下りは楽だろうから、軽くなったものが担げない筈はない」と判断し、またこれは鍛錬にもなると思って。が、疲労と寝不足を計算していなかった。下山完了時、ガイドに新品のシェリフをプレゼントし、彼はとても喜んだ。
登る折には勢いがあったが下りるときはボロボロだった。キナバルでは際立つ年齢に見えただろうか、「年はお幾つ?何処からこられました?」と何度も聞かれた。ぶっつけ単独キナバル登山は75歳の小生が気力によって自ら勝ち得た勲章だった。(自悠人)
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