虹は懸かる夕べの空 雪ふる夜の炉につどえる
あわれよろしその七色 人の胸に虹は生きぬ
されど仰ぐひまもあらで たまゆらなる夢に似たれ
はやも消ゆる彩の渦輪 気高かりしその姿よ
西条八十作詞・近衛秀麿作曲のこの歌が詩も曲もとても美しく味わい深いこと、以前に書いた。毎日短時間弾いているが、進歩は遅々としている。聴衆がうっとりするように弾けるのはいつのことだろう。指は中々言う事を聞かぬが頭は過去に見た虹の真下を駆け巡る。特に思い出深いのはスコットランドで出あったたダブル・レインボウだ。 私は大型バスの中だった。どこに行っても目が醒めるほど緑が鮮やかなこのスコットランドの美しさ。バスの中で目覚めるたび窓外の景色にはっとする。エジンバラに近づいているバスの中で私が何回目かに目覚めると目の前に大きなダブル・レインボーのアーチが!バスはそのアーチ向かっているのだ。バスが進んでも、進んでも、虹は目の前にある。バスはアーチの下をぐんぐん走る。走っても、走っても、虹はまだそこにある。より明るくより色濃く、より鮮明に見えてくる。虹の一つの根元はうっすらと色がついた巨大で透明なシリンダーだ。そのシリンダーのなかに村の住宅が輝き、燃えて漂って輪郭を見せている。七色の虹の炎に包まれて。なんと素敵な童話の世界だ。私の目前にはその全部が見渡せる虹の弧が燃えて輝いている。その二重のアーチの下を女の子が縄跳びでするように、バスは勢いよくくぐっていくのだった。 この虹の曲は過去出会った数々の鮮やかな虹を思い出しながら時間をかけて楽しむことになりそうだ。(彩の渦輪) (Jan. 23, 2008)
人生を語るようになると年だと言われるが、最近人生を例える単語がよく浮かぶ。人生は一本の鉛筆に見立てることが出来よう。私は鉛筆を小刀で削った世代だが、鉛筆から削り取られてくるりとカーブした一削り一削りはいとおしい一日であり、一週間であり、一月だ。人によって一削りの大きさも色合いも密度も光沢も異なろうが、年を重ねるほど削り屑が密度と輝きを増して行くのが理想だ。年令を重ねた人の鉛筆にも、削り屑だけではなく、なお未来があって欲しいものだ。
忙しかった一日が終わって布団に入る瞬間は幸せなひとときだ。眠気と戦いつつ頑張って、やっと布団に入った時などはとりわけ安堵し、何も考えずに安らかに眠りにつく。しかし最近布団の中で「ちょっと待て!」と呼びかける声が聞こえる。「小刀で今まさに鉛筆を削り取ろうとしているのだよ!」と。私の人生が今削り取られようとしているのだ。一夜明ければ人生は確実に短くなっている。三夜明ければ更に短く、一ヶ月ではいよよ、鉛筆は、人生は、減っている。
認めたくはないものだが人はみな高齢者と呼ばれるグループに引きずり込まれる。私は2月でなんと七〇歳という年齢に届く。驚きだ。三〇才の大台に乗ることで大変ショックを受けたのはつい昨日のことに思えるのに、昔で言う年寄りになるとは信じられないことだ。驚きはするがわが人生に後悔はない。自分の未熟さのゆえに言葉の刃でうっかり人さまの心を傷つけたことがある、という後悔以外には。自分の人生を自分でデザインし、自分の人生には自分で責任を持つ、という原則に則って生きてきたという満足感があるからだろう。多くの人にとっても同様であろうが、削り取られた鉛筆の木屑たちは美しく輝いて懐かしくもいとおしい。にもかかわらずだ。最近は布団に入ってほっとした瞬間、鉛筆を削ろうとしている小刀が目に浮かぶのだ。「明日は確実に減っているおまえの人生、仇や疎かに日に夜を継いではいけない」と小刀が口を利く。そこで「今日は充実して過ごせただろうか?」と反省する。自分に合格点を与え得る日には「よい一削りを有難うございました」と感謝して眠りに就く。目覚めれば明日という一日の朝ではなく余生すべての初日である、という格言を胸に、日の出に向かう夢路を辿る。(Jan.14,’08)(彩の渦輪)
仕事も肩書きもあった人生を終えて今は気ままに「エイ、ヤー」で行動して生きている。定年後は過去の経験と感で培った人生から脱却したいものだ。時代も大きく変わってきており今までの思考と行動ではついて行けなくなっている。だから今自分を変える事によって時代にも適応でき、活動的で新たな人生が体験出来るのだ。何が出来て何が出来ないなど過去のことには執着しない。高齢者の異文化環境も刺激があってよいものだ。考えられることを思いつくままにトライし、生れもっての好奇心で行動してみるだけである。
旅も好きだからコスタリカのように南国トロピカルの川と化した熱い温泉に浴す幸運にも出会えた。ヴェネズエラでは2日間ボートで川を溯上し、ジャングルを歩き、眼前に1000mの落差の滝も見た。泳いだ滝壷で入歯が勝手に泳ぎ出したのにはあせったが。南米の氷河でクレパスを飛び越えながら登ったり下ったり。一汗かいての極めつけはそこの氷を砕いてのオン・ザ・ロック。数万年前の味覚だった。アラスカでは船で銀鮭釣りをした。魚に身体を引張られてよたづいた足応えは感動そのものだった。汗だくで登ったペルーのワイナピチュ山頂の大石の上からマチュピチュの遺跡群を眺望したのは71歳の誕生日だった。外国語という武器もなく資金も年金をやりくりしての丸腰人生だが生活に変化を求めて楽しんでいる。(自悠人)
シンシナテイ大学、レイモンド・ウォルターズ・カレッジの日本語、冬の学期の初日に一年生の教室に入ると、えもいえず嬉しそうな学生の笑顔が迎えてくれた。クリスもトラヴィスもブライアンもゲイリーもスコットもジョーダンも、デレックもみんな、みんなだ。なんとも表現しがたい優しくはにかんだ笑顔がみんな私の視線を待ち、教壇に落ち着く私に自分の視線を移動する。アメリカの大学一年生がこんなに純情だなんて。これらの笑顔は多分一学期の私の教え方や私と学生の関係を物語っているだろうと、心がふんわかとした。教師にとってはこの笑顔は宝石だ。今学期も一層準備に時間をかけ、誠心誠意の指導を心掛けよう!彩の渦輪(Jan.10, 2008)