二人が会った英国のブライトンはヨーテボリと同様海辺の町、研究や言語研修には理想的な国際都市だ。インガーと私は言語研修の中級クラスで出会った。毎日さまざまなテーマで討議するスタイルの授業が多かった。ある日の授業で講師レイチェルから「人生にとって何が大事か意見交換しましょう。あなた方は世界中から来た学生なので文化の相違が見えて面白いでしょう」と問われた。私は「自己実現と他人への奉仕活動」と答えた。レイチェルは「まだあるでしょう。何か大事なことが!」とまだまだ、を繰り返した。私が首を傾けていたら、「Be Relaxですよ!Relaxしてこそ充電できて次に進む活力が生まれるんではないですか!日本人はみんな真面目過ぎます。前向きなことばかり思いつめていると息切れしますよ!」その通りだと思い、その指摘は胸に沁み込んだ。しかし私は今でも旅以外は休みを楽しまず、昼食は立ってかき込みたいぐらいに寸暇も惜しむが、このときのレイチェルの言葉は記憶の底から首を擡げては私を戒める。「Be Relax, Ayako!」と。(続く)彩の渦輪
「医者は飯でも食べているのだろう」と夫。夫の腹立ちは頂点に達し、私のクラスを気にしてくれて「もう帰ろう!」と鼻を押さえつつ上を向いて廊下に出て帰ろうとした。看護婦が飛んできた。命令口調で「椅子に座っていろ!」と。まるで囚人に対する刑吏の態度だ。医者が覗きに来てから待って、待って、待って、ついに1時間以上経ち、5時となった。待たされるならば待合室の方が楽だ。やっと“医者様”がご来室なさり、鼻に麻酔をし「5分で戻る」と言われてからまた待ち、鼻の奥を焼いて手術をしてからまたまた待ったのはやむをえないだろうが、その間私が廊下を歩いてみると我々から後に入った全ての患者が去っていた。待ち時間がたっぷりあり、昨夜のJewish Hospitalの若い女性医師、Ahren Ataubitsの言及した耳鼻科専門医の持つ特殊器具とやらを観察したが、たった二つ、鼻腔を拡げる器具と、はさみを真ん中で折り曲げたような器具だけ。耳鼻咽喉科はほんとに資本のいらない科ですねえ。こんな簡単な器具なら昨夜のAtaubitsさんが病院から支給されてさえいればここに来なくても上手に手術したであろうに。こんな腹立たしい医者と看護婦のところに。
夫を車に乗せ大学に急いだ。家に夫を連れて帰れば学生は去り試験の時間は終わってしまう。夫には大学のロビーの長椅子に休んで待ってもらい、クラスには30分遅れたが試験は無事終了した。だが夫と私の不愉快さは収まらなかった。患者が順繰りに遅れるとか処置の都合上順序が狂うなら理解できるし許せるが、診察室にはほぼ時間通りに現れ、診察もせずに去ったのは処置の都合ではないことが明らかだ。他の患者全てを済ましてから夫のところに来たのだから私たちは落ちつかないわけだ。理由は何か。「オリエンタルを後まわしにしたのでは?」と夫の腹立ちは治まらない。気分が悪いまま硬い椅子で待たされたのだから当然だろう。多文化教育や平和教育が専門の私として見逃すことの出来ない事件だ。次回の受診時に究明せざるを得ない。地域に根付くWyoming Family Practice Center、私立Jewish HospitalのEmergency Room、大学病院に密着し、持ちつ持たれつの有名開業医の三種の医者と看護婦の対応を鼻血事件を通して経験したこの事件、Wyoming Family Practice Centerは喜劇だったが「お金頂戴」看護婦も診察台への導き方と問診は問題なかった。
アメリカの保険制度は良くない。皆異なるランクの保険を持ち、受けられる治療に差がある。安い保険の加入者や保険のない人は死んでくれ、という社会だ。アメリカに17年間住み、仕事もし、アメリカ生活を楽しんできた私たち夫婦だが、こちらでは良い保険を持っていない。そんなシニア夫婦の私たちが安心して住める国ではなさそうだということが鼻血事件を通して解った。日本の保険制度は世界が羨む制度だと聞いているが今やその制度も揺れ始めたという。だがアメリカだけは見習ってほしくない。平等な治療を受けられる保険制度を維持して欲しいと切に願っている。完 (彩の渦輪)
翌日ダウン・タウンにあるUC大学病院の大きなビルの一角にオフィスを構える医者でその上医学生に手術を指導するという、ちょっとは名のあるDr. Zimmer(名刺にはMD及びPh.D.とあった)へ行った。私はその日は夕方6時のクラスがあり、おまけに中間試験の日で遅れるわけにいかず、診療時間確認の必要があり、この医師は大抵正確との確認を取っていた。夫の予約時間は午後3:40、我々が到着してからも数人患者が詰め掛けた。いくつか診察室を持っている開業医、だが看護婦は最低だった。見るからに元気のない、鼻を押さえている患者の夫を背もたれ垂直のままの椅子に座らせ、そのまま「待て」と言う。そして待たせること待たせること。私が彼女を呼びに行き、夫が「これではいかんよ。枕を傾けてくださいよ」と言うと椅子の頭のせ部分をやっと少し傾けてすぐ去ろうとする。「夫が椅子も傾けて!」と叫ぶとニタニタしつつ椅子を傾け、去ってしまった。4時ごろ医者が部屋を覗き、椅子に座った夫をちらっと見て彼もすぐに立ち去った。それからはただ待つのみ。私が廊下に出てみると看護婦や事務員など女同士集まっておしゃべりに夢中。言われなけれな何もしない看護婦とやたら待たせる医者。(続く)彩の渦輪
夜の運転は怖い私だが何とかJewish Hospitalの Emergency Roomに到着、電話連絡は出来ており、若い女性医師Ahren Ataubitsさんが自己紹介後、実にてきぱきと処置してくれた。自己紹介では名前とともに「PA(Physician of Assistance)です)と医師としてのステータスも紹介した。日本も大抵そうだが、救急病院とはいえ、夜間は全科の医師が揃ってはいず、彼女もENT(耳鼻咽喉科)ではなかった。しかし「I found the site!(問題箇所を見つけましたよ!)」とタンポンのような小さな布切れに薬をかけて鼻の奥に突っ込んだ。鼻の中で布が薬で膨張して傷口を圧迫するので、「今夜は大丈夫だが明日専門医に行ってこの詰め物を外してもらい、小さな手術を受けてください。私は専門医ではないので特殊器具を持っていませんから」と。ここでも血液検査をされたが看護婦も助手としては完璧で爽やかだった。その夜鼻血はタンポンに吸収され、ろ過されたのか、薄い色の液が出るだけだった。続く(彩の渦輪)
10月23日夜、私の不在時、夫はTVを見終えて立ち上がり、鼻血を出した。翌日2回、それ以降平均日に一、二回と5日間に7回に及んだが、医者嫌いの夫は「医者は信じない!」と豪語し続けた。だが6日目の午後2時から5時まで鼻血が止まらず、ついにWyoming Family Practice Center(UC=University of Cincinnatiの医師の出張所的存在でUC医学部と密着しており、あちこちの地域にある)に電話、運良く夕方7時に所長先生の予約が取れた。チェックイン時に、「治療終了時には支払いを済まして帰るように」と言われたのは支払いをせず帰る患者がいるということか。診察室に入ったとき鼻血は止まっていた。
所長先生Dr. Jacobsonは私もかつて腎臓結石でお世話になったことのある内科専門の中年男性医師、夫へ「深刻な原因ではないと思うが耳鼻咽喉科専門ではないので傷の位置が見つからない」と血液検査を勧め、なんとその最中にまた鼻血が激しく出始め、夫が「喉がたまらなく重い」と訴えたら血を吐く容器をくれた。同時に鼻と口からど~っと出血。するとドクターはうろたえた表情で「チョイスは一つ、救急病院へ行きなさい。電話しておきますから」。一方看護婦は夜間はキャッシュアーの役目も担わされているのか、「お金を払ってから行ってください!」。すると医者は「ドント・ペイ。ゴー・ナウ(払わないですぐ行きなさい)!」。看護婦はなおかつ「アフター・ユー・ハヴ・ペイド・プリーズ(払ってからいってください)」。医者は「すぐに行ってください!」と私に救急病院への行き方を教えてくれた。鼻からの血で驚かなかった医者が口からの血で動転したのか看護婦を叱ってまで速やかに患者を追いだそうとした。受診中の患者が重大事故になれば所長という首が飛ぶのではなかろうか、とかんぐりたくなる急がせようだった。(彩の渦輪)