「名古屋桐箪笥」
Description / 特徴・産地
名古屋桐箪笥とは?
名古屋桐箪笥(なごやきりたんす)は、愛知県名古屋市春日井市周辺で作られている木工品です。1610年(慶長15年)に名古屋城が建てられたときに誕生した伝統工芸品で、嫁入り道具に不可欠なものとして広がっていきました。特に名古屋の地域性から嫁入り道具にはこだわりお金をかける習わしがあったので、人々にめでたいときの華やかなものとして親しまれています。
名古屋桐箪笥の特徴は、他の地域の箪笥と比較すると20cmほど幅広に作られているとこと、金具に金や銀が施されていたり、金箔画が描かれていたりと豪華絢爛(ごうかけんらん)な作りが多いことなどです。また、桐の素材は、熱を通さず、湿気にも強く、虫もつきにくいため長い間使うことができるので、200年前の桐箪笥を使っている家もあると言われています。長く人々に愛されてきた名古屋桐箪笥は、1981年(昭和56年)に伝統的工芸品に指定されました。
History / 歴史
そもそも箪笥は、古くは余剰の衣服はほとんどなかったため必要とされていませんでした。鎌倉時代以降に台所用品をしまう場所としての棚が登場し、江戸時代に入り、ようやく衣装箪笥が作られました。その後17世紀になると綿織物などの需要が急増し、一般の人が衣服をたくさん所持するようになり、収納場所が求められていき、箪笥が必要になっていきました。
名古屋桐箪笥は、名古屋城築城に関わった職人が箪笥を製造し始めたことが起源と言われています。徳川幕府が天下統一を成し遂げた後、人々の生活が安定し徐々に豊かになっていくにつれ衣服も高級品を求めるようになったことで、収納家具も機能性が高い高級箪笥が広がっていきました。
また、名古屋では嫁入り道具として高級箪笥が不可欠でしたが、時代とともにこの風習もなくなりつつあり、職人の後継者不足も課題となっている現状もあります。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/nagoyakiritansu/ より
極めれば総桐、職人が見た桐箪笥
名古屋桐箪笥の歴史は古い。1610年に名古屋城が建てられた時に、この地に移り住んだ指物師が作り始めたと伝えられる。嫁入り道具にこだわるこの地方では、昇箪笥と中開箪笥、一対の夫婦箪笥は長い間、嫁入り道具に必要不可欠だった。しかし、最近の桐箪笥を取り巻く環境は厳しい。今回は、半世紀近く名古屋の桐箪笥をめぐる動きを見続けてきた職人・原田惟亘さんにお話を伺った。
島根から名古屋桐箪笥の職人に
島根県出雲市出身の原田さんが名古屋へ来たのは16歳の時。祖父は傘職人、父は大工という職人一家に生まれて、小さい頃から物を作るのが大好きだった原田さん。小学生の時から職人になろうと心に決めていたという。中学卒業後、木工を勉強するために入った職業訓練校で紹介されて、卒業生が社長をしている今の会社に入社した。名古屋へやってきて以来40数年間、原田さんは箪笥を作り続けてきた。「とにかく好きだったねえ。誰よりも好きだった。」
時代に合った箪笥を作りつづけて
昭和30年代半ばから本物の桐箪笥は売れなくなった。安くておしゃれな新素材の商品がさまざまな家具メーカーから出始めたのだ。そんな頃、原田さんはメラミン化粧板の箪笥をつくり、全国家具連合展示会の通産大臣賞を受賞した。昭和36年のことだ。メラミン化粧板は当時最先端の素材で、汚れにくいし桐よりも安く大ヒット商品になった。毎日夜中の11時、12時まで仕事をしても追いつかないほどだったという。本物の桐箪笥がまた少しずつ出るようになってきたのは昭和50年頃のことだ。原田さんは横の板が厚く角を丸めた「胴丸(どうまる)」という新しい型の箪笥を作り、愛知県家具連合会の賞ももらった。高級感のある「胴丸」は今、桐箪笥のスタンダードのひとつになっている。時代に合ったものを作っていかなくちゃだめだと原田さんは言う。
水害で証明された総桐の実力
平成12年(2000年)9月、愛知県地方では豪雨による河川の決壊などで、名古屋市近郊の西枇杷島町を中心に6万戸以上が床上・床下浸水の被害にあった。水害で水に浸かった桐箪笥が数多く修理に持ち込まれたが、水にぷかぷか浮いていた箪笥を乾かして引き出しをあけてみると、中の着物はほとんど傷んでいなかったという。原田さん自身も水害にあった桐箪笥を何本か修理した。「桐箪笥はちょっと水につかったくらいじゃ大丈夫。引き出しの隙間がバッチリ合わせられて湿気を完全に遮断するんです。」これは、洋ダンスだとそうはいかないのだそうだ。その理由は、和箪笥は引き出しの前板が仕切り板よりも少し引っ込んでいるが、洋ダンスは引き出しの方が出っぱっているため、濡れて木が膨張した時の密閉度に差が出るからだそうだ。さすがに何日も水に浸かっていると鍵穴のところから水が入るが、今回の水害を教訓に鍵穴の防水も改良していくつもりだという。
三代使える総桐箪笥
最近は「桐箪笥」と言いながら、合板の表面に桐の薄い板を貼り付けただけのものが大量に出回っているという。素人にはなかなか見分けがつかない精巧さで、総桐のものが一本150万円ほどするのに対して半値くらいで売られているという。また、安い洋家具が出回り、長い間嫁入り道具として不可欠だった桐箪笥も今の若い人には人気がない。「でもね、本物を志向するのならやっぱり総桐です。総桐は水害にあったり古くなって汚れてきても洗って鉋(かんな)をかければ新品と見間違えるくらいになる。だから三代先まで使えるんです。でも、桐の薄い板を張り付けただけのものや洋ダンスは洗えない。全然違うね。」合板の箪笥も作ってきた原田さんが断言する。
何世代にもわたる歴史を
ずっと一緒に切磋琢磨しながらやってきた先輩が三年前に辞めた。体がきつくなったという。「ぼくも本当は、そろそろ隠居して楽したいんだよ。でもね、そういうわけにもいかない。」後継者はなかなかいない。今、名古屋桐箪笥の工場の中で最も多く職人をかかえる原田さんの会社でも職人7人はみな50代以上。なんとか若いやつのひとりや二人育ててから辞めたい。工場長としての悩みの種だ。「職人は地味な仕事。一人前になるまで時間もかかる。半人前のやつにそんなにたくさん給料も払えない。でも、物を作るっていうのは楽しいことだよ。ぼくは45年間やってきて、幸せな人生だったと思っています。」名古屋近郊の一宮市にある旧家・岩田家には、200年前の桐箪笥が今も現役で使われているという。桐は軽く、狂いが少ない。湿気を通さず、虫も付かない。その上、火にも強い。本物だけが持ちうる贅沢な歴史である。
職人プロフィール
原田惟亘 (はらだ・ただのぶ)
1939年(昭和14年)島根県出雲市生まれ。
中学卒業後、職業訓練校を経て名古屋桐箪笥の「有限会社出雲屋家具製作所」に入社。以来、40数年間箪笥ひとすじ。
こぼれ話
桐箪笥職人伝統の技~仕口(しくち)
名古屋桐箪笥には「仕口」といって、釘を使わず板と板を直角に組む「継ぎ手」「組み手」の技法があります。この仕口は、箪笥本体や引き出し、扉など、組み合わせる場所によって違う、数多くの方法があります。これらの方法は木工における上級技法で、簡単にまねのできるものではありませんが、職人の技の一端をご紹介しましょう。
1.「組み接ぎ」と2.「蟻組み接ぎ」は引き出しに使います。蟻組み接ぎははめ込む突起を斜めに作ったもので、組み接ぎよりも丈夫です。3.前留組み接ぎ4.前留蟻組み接ぎは箪笥の本体部分を組むときに使います。二枚の板の合わせ目を45度に切り、前から見ても横から見ても合わせ目が見えないようになっています。そのほか、扉に使う仕口、地板や棚板に使う仕口などそれぞれに合わせた方法があります。これらの方法は1800年頃に確立されたもので、200年の歳月を受け継がれ、今も変わらず箪笥造りに使われているものです。
*https://kougeihin.jp/craft/0617/ より
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