「名古屋友禅」
Description / 特徴・産地
名古屋友禅とは?
名古屋友禅(なごやゆうぜん)とは、名古屋一帯の独特な技法で作られる布のことです。
名古屋友禅の特徴は、単色濃淡・色数が少ない・モチーフが古典的・奇抜な色を使わず、落ち着いた色を使うなどがあげられます。京友禅のような華やかさや加賀友禅のような優雅さの代わりに、渋く落ち着いた美しさがあることが魅力です。
手法は、手描き友禅・型友禅・黒紋付染の3種類がありそれぞれ独自の技法を持っています。名古屋手描き友禅は、文字通り手書きでデザインを仕上げていく技法です。名古屋型友禅は、手描きで下絵を描く代わりに伊勢型紙の型を使います。
名古屋黒紋付染は、家紋を染め抜きする技法を持っており、主に礼服に用いられる技法です。なお、現在の名古屋友禅には伝統的な渋さの中にも現代的な華やかさを加えた、新しい名古屋友禅もあります。
History / 歴史
1730~1739年頃(享保15年~23年頃)に名古屋友禅の起源は遡ります。当時の尾張文化は華やかで、多くの職人が各地から行き来していました。その職人の中に、京都や江戸からきた友禅師がおり、尾張に技法を伝えていったと言われています。しかし、華やかな文化は徳川宗治の失脚とともに終わりを迎えて質素倹約が推奨されるようになり、名古屋友禅特有の渋い友禅が生まれました。
今でこそ名古屋友禅と呼ばれていますが、1983年(昭和58年)になるまで名古屋友禅という言葉はありませんでした。あくまでも京友禅の分業であり、作られたものは京友禅として流通していたのです。
1983年(昭和58年)1月に黒紋付染の愛知県染加工業協同組合、小紋・型友禅の愛知県誂染色協同組合、手描友禅の名古屋友禅工芸協同組合の3者により「名古屋友禅黒紋付協同組合連合会」が設立されました。そして同年4月、無事に伝統工芸として名古屋友禅が認定されるに至りました。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/nagoyayuzen/ より
「単彩濃淡調」の渋さの魅力
金銀を使った豪華な京友禅や、えんじや黄・緑など五彩色を使う華やかな加賀友禅と比べて、名古屋友禅は地味で控えめな色合いを特徴とする。「単彩濃淡調」と呼ばれる渋さの魅力は何か?染色作家として活躍する堀部満久さんにお話を伺った。
勉強、勉強の修行時代
16歳で家業の友禅染を手伝い始めた頃は、手描きはとても忙しく、堀部さんのお父さんの所にも5~6人の弟子がいた。「みんな絵が好きで、うまいから来ている人が多い中で、家業だからって入ったんだから大変でした。」今振り返って、 自分でもここまでやれるとは思っていなかったという。最初のうちは胡粉(ごふん)という絵の具を一色だけ与えられたが、胡粉は練り方ひとつとっても経験がいる。濃すぎると落ちてしまうのだ。「そのぎりぎりまで濃くするんですが、誰にも負けないくらいになりましたよ。」と堀部さん。少し暗めの色合いにすると目の錯覚で濃く見える、そんな技も学んだ。当時は毎朝5時すぎに起きて、皆で近くの庄内川まで走って、河川敷でキャッチボールをしていた。帰ってきて風呂を浴び、食事して仕事。夜も晩ご飯を食べてまた仕事。深夜0時頃までやっていたという。月に2日の休みも、残った仕事を片づけ、後は勉強に費やした。下絵の練習や柄つくりの勉強。勉強することは山ほどあった。
初めて父にほめられた
「父は腕がよかったし、厳しかったんです。だから、父にほめられたときは嬉しかったですねえ。」お父さんは三年ほど前に亡くなったが、ほめられた記憶は殆どないという。そんなお父さんが初めてほめてくれたのは、堀部さんが40歳近くなってのことだった。たまたま出かけたデパートで、堀部さんの作品が展示してあったのを見た時だ。青や黄、ピンクを使った扇面の柄だった。「あ、いいな」の一言でしたけどね、と堀部さんは話す。勉強のためによくデパートにも出かけたそうだ。
着て良くなければダメ
「あとね、お客さんに『今すぐ着たい 』って言ってもらった時はやっぱり嬉しかったですよ。」成人式の振袖に、黒地に十二単(じゅうにひとえ)のお姫様の絵柄を描いたときのことだ。桜、藤、もみじと四季折々の花を描き入れた力作だった。出来上がった着物を見たお客さんは、素晴らしいと声を上げたという。「着物だから着て良くなければダメなんです。」と堀部さんは言う。「赤を塗れ」と言っても、20歳の人が着る赤と40歳の人が着る赤では違う。だから本当は、半年では難しい。一年くらい前までには言ってもらって、着る人に合わせて考えた柄が一番栄える生地から買って来なければという。ちなみにお値段は?と聞いてみた。60~70万だそうだ。ブランド物のスーツを買うと思えばそれほど高い値段ではない。
特許取得の「樹光染」
堀部さんが今、主に作っているのは笹や檜 、シダなどの葉を使って染めた「樹光染」の作品だ。昔、朝野球をやっていた頃に、野球のネットを使って染めてみたのが最初で、その後お父さんと研究を重ねて新しい手法を生み出した。技法の特許も取得した樹光染は染色作品展などで数々の賞を受賞している。樹光染の作品を作るのがすごく楽しいと堀部さんは話す。その樹光染もやはり、渋めの色合いの作品が多い。
着て引き立つのが名古屋友禅の魅力
名古屋友禅の特徴は単彩濃淡調の渋さにある。奇抜な色を使わず、落ち着いた色を色数を抑えて使う。6~7色からあらゆる色を作るのだと堀部さんは言う。「飽きのこない深みのある色、そこがいいって今はそう思いますね。」いい色を出すにはきれいな色ばかりじゃだめで、目にやさしい色使いが大切なのだそうだ。着物だから着て良くなければダメという言葉どおり、着て引き立つのが名古屋友禅の魅力なのだ。
職人プロフィール
堀部満久 (ほりべみちひさ)
昭和22(1947)年生まれ。16歳で家業の友禅染を始める。名古屋友禅の技法を継承しながらも独自の作風を創り出し、数々の賞を受賞してきた。
こぼれ話
名古屋は派手?それとも地味?
他の地方の人たちからは名古屋は派手だと思われていることが多いようです。結婚式が派手、嫁入り道具が派手、といったイメージです。けれども、名古屋友禅のちょっと地味な色合いは「この土地の質素倹約の風土に合わせて確立した・・・???」疑問に思われた方もいらっしゃるでしょう。名古屋は実はふだんは質素に、特別な時(結婚など大きなイベント)には思いきり派手にするのが土地柄なのです。公家社会だった京都、商人の町だった大阪などと比べても名古屋は武家の町。徳川家康が1612年に名古屋城を作り、名古屋の町を作って以来、明治維新まで尾張徳川家が治めてきた町です。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑を輩出したことでもよく知られる尾張・三河は質実剛健が尊ばれてきた土地柄なのです。
*https://kougeihin.jp/craft/0205/ より
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