高齢者の所在不明問題に端を発し、生存確認方法の曖昧さが浮き彫りになっているが、当世風に言えば、養子だった曽祖父石五郎が存命ならば146歳である。紛れもなく除籍謄本には「昭和8年10月2日午後6時45分岡山市○○に於いて死亡」と記されている。
ところがこの前段にある入籍月日を巡って、明治44年7月24日発行の戸籍謄本では「明治20年6月17日本縣○○村、△△二男入夫相續」のくだりが、平成22年8月23日発行の戸籍謄本では「明治9年6月17日」となっており、19年ものズレがある。恐らくこの度発行の戸籍謄本の転記間違いと思われる。
それはさておき、この戸籍謄本に出てくる「本縣○○村」だけを手掛かりに、曽祖父の出生地を訪ねた。粗方の見当は付けて近くまで行き、通りすがりの土着と思しき方に△△宅を尋ねると幸いにも該当は一軒しかなく、容易に辿り着いた。
これまで交流のなかった曽祖父の里だが訪問の趣旨を伝えると、当方の突然の不躾な訪問にもかかわらず、90歳でなお健在の上品な当家のご主人(奥様)が、お嫁さん共々丁重にもてなしてくださり恐縮至極だった。
先年一人息子が58歳の若さながら病気で早世された。そのショックから後を追うようにお父さんも84歳でこの世を去られたと聞き胸が痛んだ。
30分ほど貴重なお話を伺い、その足で同家の墓へお参りした。曽祖父の兄から始まって以降脈々と先祖を祭り、子々孫々にわたる興隆が見て取れ嬉しい限りだった。
帰宅後、非礼を詫び改めてお礼の電話をいれると「座敷に掲げてある先代の遺影が、(小生に)そっくりで驚きました。これをご縁にまた来てください」との身に余る嬉しいお言葉を頂戴した。
△△家の先祖墓
興隆続く△△家
ところがこの前段にある入籍月日を巡って、明治44年7月24日発行の戸籍謄本では「明治20年6月17日本縣○○村、△△二男入夫相續」のくだりが、平成22年8月23日発行の戸籍謄本では「明治9年6月17日」となっており、19年ものズレがある。恐らくこの度発行の戸籍謄本の転記間違いと思われる。
それはさておき、この戸籍謄本に出てくる「本縣○○村」だけを手掛かりに、曽祖父の出生地を訪ねた。粗方の見当は付けて近くまで行き、通りすがりの土着と思しき方に△△宅を尋ねると幸いにも該当は一軒しかなく、容易に辿り着いた。
これまで交流のなかった曽祖父の里だが訪問の趣旨を伝えると、当方の突然の不躾な訪問にもかかわらず、90歳でなお健在の上品な当家のご主人(奥様)が、お嫁さん共々丁重にもてなしてくださり恐縮至極だった。
先年一人息子が58歳の若さながら病気で早世された。そのショックから後を追うようにお父さんも84歳でこの世を去られたと聞き胸が痛んだ。
30分ほど貴重なお話を伺い、その足で同家の墓へお参りした。曽祖父の兄から始まって以降脈々と先祖を祭り、子々孫々にわたる興隆が見て取れ嬉しい限りだった。
帰宅後、非礼を詫び改めてお礼の電話をいれると「座敷に掲げてある先代の遺影が、(小生に)そっくりで驚きました。これをご縁にまた来てください」との身に余る嬉しいお言葉を頂戴した。
△△家の先祖墓
興隆続く△△家