てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

心尽しの料理

2007-04-21 09:13:36 | グルメと料理
 ハワイに住む姪っ子が、弟の結婚式(4月28日)に備え一時帰国、途中下車して祖父の所まで帰っている。
 併せて、過日結婚した甥っ子が二人で、今日我が家へ報告に帰省することになった。

 それぞれのためにかみさんが、腕に縒りをかけて「ちらし寿司」を作って迎えることになった。
 小生も朝5時半から起きて、初めて手伝った。といっても指示通りに調味料を計量調合して、それらや具をご飯に混ぜ込む際に団扇を使うことくらいで、後は料理の邪魔をしないだけ。
 mariさんが以前「郷土料理」と題してブログに書いておられたことを思い出しながら。

 かみさんの作るちらし寿司は、“我が家の味”をしっかり受け継いだ上で、少しだけ自身のアレンジを加えている。
 季節や家庭によってそれぞれ乗せる具材が違うのだが、またオリジナリティがあっていいと思う。この時季、サワラや山菜は欠かせない。一口運ぶほどにおふくろやばあさんの顔を彷彿させてくれる。
 後は嫁達が秘伝?のレシピを尋ねてくれるのが待たれるところだが、後々まで承継してもらいたいもの。

 昨日姪っ子に「明日はちらし寿司を届けるから」といったら、「(帰国した時は)いつも伯母ちゃんの美味しいお寿司を食べさせてもらえる!」と顔をほころばせた。とても期待され、喜んでくれているようだ。
 稀に寿司は苦手という人があるが、我が家は孫に至るまで全員大好物で、これといった時には食卓のメニューに上る。

 我が家にとって、ちらし寿司こそは郷土料理の一品であり、心を尽した究極のおもてなし料理でもある。
   
   
   器によっても味わいが違う
   
   他には上置きに飴炊きハモ、酢〆めママカリなども
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辛と幸

2007-04-15 22:58:34 | ファミリー
 9日(日本時間4月10日)、甥っ子がハワイ・コオリナ教会で結婚式を挙げた。勿論、宿舎は姪っ子の勤めるハイアットリージェンシーワイキキで、滞在中何かと気遣いをして貰い、心強い限りだったそうだ。

 双方の家族とごく親しい友達(総勢21名)に祝福されての式後、夕食会では大いに盛り上がったようだ。
 一人っ子の甥にとっては兄弟以上の付き合いのあった、二従兄弟・コーちゃんが司会を受け持ったのだが、宴のクライマックスでは彼自身が感極まって号泣し、一堂の感激の涙を誘ったという。

 我々には、改めて5月13日に岡山で披露がある。その時もまたコーちゃんが司会をやってくれる手はずだ。今からとても楽しみにしている。

 奇しくも親父の命日が、希望に満ちた新しい門出となる若い二人に幸多かれと祈る。

*********************************
 星野富弘氏の詩の一節
 『辛いという字がある。もう少しで幸せになれそうな字である。』

 「辛い」という文字の上に横棒を1画足すと「幸せ」になる。
 親の死は辛いことには違いないが、その孫が立派に成人し、良き伴侶を得て新しい人生を歩むのを草葉の陰で喜んでいることと思えば、まさしく「辛い」も「幸せ」になるというもの。
 「幸せ」とは、「辛さ」の裏返しで、表裏一体。幸せの半分は、辛さ、苦しさ、寂しさで出来ている。苦しさ、寂しさを経験したからこそ、真の幸せを感じられるということか。
*********************************
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

胸焼け

2007-04-14 20:49:40 | 健康と医学
 久しく経験のなかった胸焼けだが、最近頻繁に襲われるようになった。

 3月25日に義弟の引越し荷受を手伝い、差し入れた引越しそばと巻き寿司、金糸巻きを腹いっぱい食べた上に、更に桜餅と串団子をダブルで食べた。明らかに食べ過ぎが原因と思われる。

 以後過食には用心しているのだが、今日まで3週間の間に度々胸焼けが起こる。今朝などはトースト1枚半、野菜サラダ、スクランブルエッグ、コーヒーと軽くとったつもりだが、やはり昼まで胸焼けが続いた。
 ただ昼時は、あまり食欲がなかったのを幸いに止せばよかったのだが、久しぶりの吉○家の牛丼だったので、つい大盛りを注文してしまった。
 今日は一日中、貸家や倅宅の草取りと清掃、我が家の部屋の模様替えと、忙しく身体を動かし大汗をかいた。そして、夕食は一汁一菜で抑えたが胸焼けは治まらないので、せっせと水を飲んでいる。

 「胸焼け」をネットで調べてみた。それによると胸焼けは、胃ではなく食道で発生する。胃酸が食道に逆流することにより、食道で炎症が発生。そのために熱く感じるのだそうだ。

*********************************
-nikkei BPnet 食後の「胸焼け」を防ぐ4つのポイント(04/12/16)より抜粋-

 胸焼けの予防と対策は、食事や飲酒を控えることが第一。減量やストレス改善も効果的。また、ひどい胸焼けの場合にも、胃酸を抑える薬を飲めば、ぴたりと止まることがある。軽い胸焼けならば、生活習慣を改めるだけで、かなり改善できる。次の4つの点に注意したい。

(1)暴飲暴食をしない
 よく食べ過ぎる人は、胃酸過多の状態になっている。特に、夜遅くの飲食は避けること。また、酒、カフェイン、香辛料などの刺激物をとり過ぎないことも重要だ。
(2)リラックスして食事をとる
 仕事をしながらの食事は、胃や食道の機能を低下させるので避けたい。日常生活のストレス改善にも努めよう。
(3)肥満を解消する
 腹部の脂肪が増えると、胃への圧力が高まりやすい。
(4)食事中や食後の姿勢に注意する
 背中をまるめた姿勢は胃への圧力が非常に高くなる。とくに、食事中や食後の姿勢に注意。また、食後すぐに仰向けにならないこと。胃の位置が食道より上になり、胃液が逆流しやすくなるからだ。
*********************************

※サーバーメンテナンス作業のため、4月15日(日)午前6時から12時までの間、AutoPageのすべてのサービスが停止いたします。メンテナンス中は、拙ブログの閲覧を含むブログのすべての機能が停止します。
 ご迷惑をおかけしますが、何卒ご理解とご協力のほどお願い致します。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四国遍路道

2007-04-13 13:16:37 | 暮らしと生活
 11日、12日と2日間に亘って、わが菩提寺安養寺の総代研修があり、香川・善通寺と愛媛・石手寺を巡ってきた。

 いずれのお寺でも、また道中、白装束に身を包んだお遍路さんに出会った。
 白衣の背中には「同行二人」と記されている。これは一人遍路でもお大師様が一緒で、常に見守っていてくださるという意味。
 菅笠には「迷故三界城、悟故十方空、本来無東西、何処有南北」と書いてある。「迷いは三界、すなわち欲界、色界、無色界に充ちているが、迷ってしまえば十方は空である。本来、東西もなければ、まして何処に南北があろう」という意味らしい。
 杖には弘法大師のご宝号、“南無大師遍照金剛”と書かれ、般若心経が杖の四面に書かれている。金剛杖はお大師様の化身だそうだ。

 先導の今田賢信住職や同行の先輩から巡礼の作法やしきたりについて教わった。上記「同行二人」の意味、「橋の上では杖をついてはいけない」、「四国八十八ヶ所は心身救済の霊場であり、人間が持っている八十八の煩悩を消滅せんが為のもの」等など。

 そもそも四国遍路道は1200年もの間、宗教に癒しを求める人々が踏みしめた“心の道”である。熱心なお遍路さんに会うことができ、四国の地に、お大師様への篤い信仰心が脈々と継承されていることを実感させられた。

 親父の冥福と極楽浄土での平穏な魂の安らぎをお祈りしてきた。併せて、お大師様に対する報恩感謝の念を更に深めることができた。二度ない今を大切に、この世に生かされてあることへの有難さを感謝し、日々を有意義に生きて行かなければと決意を新たにするなど、実り多い総代研修となった。


第七十五番札所・善通寺

第七十五番札所・善通寺

善通寺への入口、済世橋からの風景

道後温泉本館

第五十一番札所・石手寺

第五十一番札所・石手寺
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祥月命日

2007-04-10 00:26:33 | ファミリー
 春爛漫、さくら舞う14年前の10日に父は逝った。

 小生は毎朝のお勤めこそ欠かさないが、月命日の墓参りは、専らかみさんが勤めてくれている。そして今朝ばかりは二人でお参りしてきた。

 折りしも明日は菩提寺安養寺の寺総代研修で、松山道後へ出向く。学生時代に親父を、入学式以外に1回しか松山に招いたことがない。安養寺と宗派こそ違うが、思い出の石手寺へ、親父と一緒にお参りをしてこようと思う。

 奇しくも石手寺は、開創された当時には「安養寺」といった。お遍路創始者である衛門三郎が生まれ変ったといわれる河野息方が、このお寺ではじめて左の手を開き、握っていた石を落したといわれ、この伝説によってお寺の名前を「石手寺」に改められたといわれる。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする