山陽新聞月曜日付のくらしのページに連載中の徳永進医師のコラム『野の花の人々』が最終回を迎えた。最後のテーマは<第65回 なかよし時間>と題して、恩師でもあり患者でもある84歳の元小児科医・向田さんの臨終に際して、奥さんと長女がやっとの思いで間に合い、最期を看取る2時間にわたる“家族のなかよし時間”を見事に描いてシリーズを締め括られた。
母のこの1年間と余りにも状況が酷似しているので、他人事とは思えず何度も読み返した。
そもそも徳永氏は、鳥取市で「野の花診療所」を開設しておられ、診療は一般医療全般(内科)とホスピスケアが中心である。これまでに多数の著書を記されているほか、共同通信社へも「医師の目・人の目 野の花の人々」の原稿を65回にわたり寄稿され配信された。この1年半、月曜日は新聞を開くのももどかしく、一番に目が行っていた。母の園での生活と重ね合わせて拝読したものだ。
父の最期はあまりにも呆気なくアッという間に逝ってしまったが、母はこの1年間に4度も死線をさまよい、その度にハラハラ、ドキドキさせられた。「なかよし時間」と同じ様に、下顎呼吸が始まり息を引き取るまでは2時間足らずであった。私が握る母の手を、かみさんや看護師と交代しようとすると、固く握り締めて放そうせず、こちらの右腕の筋が痛くなるほどだった。
最期は肩で息をしていたが、そのうち呼吸が少しずつ浅くなり、徐々に顎だけが小刻みに動くだけの下顎呼吸を経て、静かに眠るように息絶えた。秒針まで合わせていた手元の時計は、22時22分を指していた。
両親ともに平均寿命を生きられ、最期は然程苦しむこともなく、傍で看取ることが出来た。長男としての務めを夫婦で果せ、せめてもの親孝行が出来たことに感謝している。
母のこの1年間と余りにも状況が酷似しているので、他人事とは思えず何度も読み返した。
そもそも徳永氏は、鳥取市で「野の花診療所」を開設しておられ、診療は一般医療全般(内科)とホスピスケアが中心である。これまでに多数の著書を記されているほか、共同通信社へも「医師の目・人の目 野の花の人々」の原稿を65回にわたり寄稿され配信された。この1年半、月曜日は新聞を開くのももどかしく、一番に目が行っていた。母の園での生活と重ね合わせて拝読したものだ。
父の最期はあまりにも呆気なくアッという間に逝ってしまったが、母はこの1年間に4度も死線をさまよい、その度にハラハラ、ドキドキさせられた。「なかよし時間」と同じ様に、下顎呼吸が始まり息を引き取るまでは2時間足らずであった。私が握る母の手を、かみさんや看護師と交代しようとすると、固く握り締めて放そうせず、こちらの右腕の筋が痛くなるほどだった。
最期は肩で息をしていたが、そのうち呼吸が少しずつ浅くなり、徐々に顎だけが小刻みに動くだけの下顎呼吸を経て、静かに眠るように息絶えた。秒針まで合わせていた手元の時計は、22時22分を指していた。
両親ともに平均寿命を生きられ、最期は然程苦しむこともなく、傍で看取ることが出来た。長男としての務めを夫婦で果せ、せめてもの親孝行が出来たことに感謝している。