てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

せめてもの親孝行

2009-05-04 10:05:00 | ファミリー
 山陽新聞月曜日付のくらしのページに連載中の徳永進医師のコラム『野の花の人々』が最終回を迎えた。最後のテーマは<第65回 なかよし時間>と題して、恩師でもあり患者でもある84歳の元小児科医・向田さんの臨終に際して、奥さんと長女がやっとの思いで間に合い、最期を看取る2時間にわたる“家族のなかよし時間”を見事に描いてシリーズを締め括られた。
 母のこの1年間と余りにも状況が酷似しているので、他人事とは思えず何度も読み返した。

 そもそも徳永氏は、鳥取市で「野の花診療所」を開設しておられ、診療は一般医療全般(内科)とホスピスケアが中心である。これまでに多数の著書を記されているほか、共同通信社へも「医師の目・人の目 野の花の人々」の原稿を65回にわたり寄稿され配信された。この1年半、月曜日は新聞を開くのももどかしく、一番に目が行っていた。母の園での生活と重ね合わせて拝読したものだ。

 父の最期はあまりにも呆気なくアッという間に逝ってしまったが、母はこの1年間に4度も死線をさまよい、その度にハラハラ、ドキドキさせられた。「なかよし時間」と同じ様に、下顎呼吸が始まり息を引き取るまでは2時間足らずであった。私が握る母の手を、かみさんや看護師と交代しようとすると、固く握り締めて放そうせず、こちらの右腕の筋が痛くなるほどだった。
 最期は肩で息をしていたが、そのうち呼吸が少しずつ浅くなり、徐々に顎だけが小刻みに動くだけの下顎呼吸を経て、静かに眠るように息絶えた。秒針まで合わせていた手元の時計は、22時22分を指していた。

 両親ともに平均寿命を生きられ、最期は然程苦しむこともなく、傍で看取ることが出来た。長男としての務めを夫婦で果せ、せめてもの親孝行が出来たことに感謝している。
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土佐の日曜市

2009-05-03 17:53:00 | ノンジャンル
 母の初七日を済ませたのを見計らって、長男家族が気晴らしにドライブに誘ってくれた。お目当ては「土佐の日曜市」であるが、ゴールデンウィークの最中とあって予想される渋滞を避けるため早起きして5時出発。倅は夜勤明けでろくに睡眠もとらぬままハンドルを握ってくれた。

 幸いに渋滞にあわず、高知には2時間で着いた。全国にはいろんな市があるが、そのほとんどは朝市で、高知のように終日市が立つと言うのは珍しいそうだ。新鮮な野菜や果物、食材を両手に抱えきれないほど求めた。

 商店街の一角にある屋台村「ひろめ市場」は、高知の名物食材を売っている店や、その食材を使った料理を作ってくれる店がいっぱいある。ここで旬の『トロカツオのタタキ』と、かねてから念願の『クジラ(のオノミ)のにぎり寿司』を頂いたが噂に違わぬ絶品だった。オノミは他の者にはあまり受けが良くなく殆どひとりで味わった。

 子供の日を前に、孫たちのリクエストに応えて「わんぱーくこうちアニマルランド」を訪れた。駐車料・入園料が無料なのが嬉しい。高知市年整備公社が運営しており、園内はよく手入れが行き届いている。これなら管理運営費がかなりの負担になるだろうと、つい要らぬ心配がよぎる。時間が早かったため混雑もなく、孫たちは心行くまで堪能したようだ。我らが同公園を後にする頃には混雑が始まり、ナイスタイミングであった。

 高知へ来たら定番のコース「西島園芸団地」を訪ね、園内で食べた「メロンとスイカのセット」の美味しさに惹かれ、留守を預かる三男宅と、6日に帰省する次男家族の喜ぶ姿を目に浮かべて土産に求めた。

 復路の高松道に入った途端、反対の下り車線は交通事故が元で大渋滞が続く。また山陽道でも事故による渋滞が伺えたので倉敷ICで下り、地道を走った。午後2時には無事我が家へ到着した。


土佐の日曜市

わんぱーくこうちアニマルランドにて
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西島園芸団地にて


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初七日

2009-05-03 16:32:00 | ファミリー
 去る4月26日の母の葬儀に際しましては、各方面よりご会葬並びに丁重なる弔意を賜り、その上過分のお供えまで頂きありがとうございました。

 故人の遺志に沿い、葬儀告別式はできるだけ質素にと心がけておりましたが思いがけず大勢の方々に見送られ、賑やか好きの母はさぞや喜んで旅立ったことと思います。

 お陰さまで初七日を滞りなく済ませましたが、心にぽっかりと大きな穴が開き日毎に寂しさが募っております。此処の所の心労もあり、2年ぶりに持病の不整脈が再発しましたが、薬効もあり少し落ち着きました。

 雑事に取り紛れお礼のご挨拶が遅くなり失礼いたしました。

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 会葬お礼の挨拶(4月26日喪主omotann)

 皆様、本日はご多用中にもかかわらず、故緑の葬儀、並びに告別式にご会葬くださいまして、ねんごろなるご回向、その上過分のお供えを賜りありがとうございました。

 私は故人の長男omotannでございます。亡き母は、生前皆様より、ひとかたならぬご厚情をいただいておりましたが、葬儀に当たりましても、このように大勢の方にお見送りいただき、さぞかし喜んでおることと存じます。

 母緑は赤磐市平山で生まれ、昭和22年農家のT郎に嫁ぎ、一時は乳牛16頭の酪農も経験しました。当地は全国有数のお飾り産地ですが、お飾り作りを生涯の友として、農業の傍ら昼夜を分かたず頑張って参りました。

 昭和38年頃のB前自動車O山教習所の開所準備から携わり、以後20年弱、夫T郎と二人で一人前乍ら二人三脚で頑張った参りました。
 世話好きの夫T郎と共に生涯で相務めた月下氷人は48組。働くことが生甲斐で“仕事の虫”を地で行くような勤勉ぶりは並々ならず、自他共に認めるところであります。

 そんな手足をフル稼働してきた働き者の緑は、平成2年に67歳でよもやのアルツハイマー症と診断されましたが、緩やかな進行のため、今日まで19年間生き長らえました。3年半前に特養K輝園にお世話になり、同居の方々にも恵まれ、職員の皆さんの手厚い看護の下幸せな日々を過ごしておりました。この1年間に3度の死線を乗り越えミラクルリカバリーを遂げましたが、4度目ならず24日に86歳の生涯を閉じました。

 「觀明院慈心緑風大姉」という身に余る院号を賜りました。安養寺のご住職から由来についてお聞きし、母の生涯を象徴するものだと感じ入っております。これで彼岸への旅支度も整ったというものです。悔いのない一生であったと思います。

 皆様、母亡き後も故人同様、あるいはそれ以上のご厚誼を賜りますようお願い申し上げます。 本日は誠にありがとうございました。





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コメント (2)
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