〈リバイバル・アーカイブス〉2022.7.4~7.18
原本:2018年7月30日
夏越の祓では多くの神社で「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」が行われる。参道の鳥居や笹の葉を建てて注連縄を張った結界内に茅で編んだ直径数 m ほどの輪を建て、ここを氏子が正面から最初に左回り、次に右回りと 8 字を描いて計3回くぐることで、半年間に溜まった病と穢れを落とし残りの半年を無事に過ごせることを願うというものである。かつては茅の輪の小さいものを腰につけたり首にかけたとされる。
旧暦の6月末に行われる「夏越の祓」は、半年分のケガレを落とす行事で、この後の半年の健康と厄除けを祈願します。由来は神話の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の禊祓(みそぎはらひ)にまで遡るそうですが、新暦に移った現在でも、6月30日ごろ日本各地の神社で行なわれている伝統行事です。
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美具久留御魂神社 案内図です。
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下拝殿に掲げられている、絵馬「第7回朝鮮通信使」の模様です。
壬戌 天和2年(1682)徳川綱吉の征夷大将軍就任を祝う朝鮮通信使が派遣されました。
通信使は対馬藩の案内で、瀬戸内海から淀川を上がり、東海道で江戸に向かうルートをとっていたため、富田林とはかけ離れていましたが、この絵馬から当時通信使の評判が、庶民の間にも広く行き渡っていたことを知ることができます。
記録では、7月28日から8月1日まで「大阪城 泊り」となっています。
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絵馬の隣には、「茅の輪くぐり」の額もありました。
蘇民将来
なぜ、夏越祓いとして茅の輪くぐりを行うようになったかは「備後風土記」に書かれている「蘇民将来の話」が由来となっています。
あるとき、北海にいた武塔神(むとうしん)が南海にいた女神を訪れようとして道に迷ってしままいまた。
そこで蘇民将来(そみんしょうらい)と巨旦将来(こたんしょうらい)の2人の兄弟に一夜の宿を頼みましたが、弟の巨旦将来は金持ちでしたがのに断り、兄の蘇民将来は貧しけれども武搭神を喜んで家に招き入れ、粟殻の座布因に座らせ、粟飯をごちそうして宿を提供しました。武塔神は恩返しとして蘇民将来に「茅の輪」のお守りを授け、蘇民将来の一家の者の腰に着けさせました。
すると、村に疫病がはやって、みな死に絶えてしまったのに、蘇民将来の一家だけが無事だったのでした。
それから、茅の輪は疫病退散、無病患災のシンボルとなったと言う事です。
武塔神はスサノオの命の事、備後地方は広島県東部の事です。
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この歌は、各神社共通とのことです。
皆さん、一緒にお参りしましょう。
最後まで見ていただいてありがとうございました。 辰じいでした。 2018/7/30UPしました。