2022年11月27日 16:14 富田林市富田林町 旧杉山家住宅
旧杉山家住宅の角屋(つのや)の間にて「織田作之助と『土曜夫人』展」が開催されていました。
小説家の織田作之助は戦後まもなく富田林市寿町の長姉夫婦宅(竹中国治郎・タツさん)に身を寄せていました。そのとき書かれた小説が『土曜夫人』で、作之助最後の作品となりました。
戦後映画にもなった『土曜夫人』。
作之助は肺結核を患い容体が悪化して、33歳の若さで亡くなります。
この姿の織田作之助の銅像が大阪市天王寺区生玉町の生國魂神社にあります。
企画展の様子。
『土曜夫人』は読売新聞に連載されていましたが、作之助が容体悪化のため、急遽連載を中止(昭和21年12月8日)になりました。翌年1月10日死去。享年33歳。
西蔵に常設展示されている「織田作之助と富田林」のコーナー
ご本人の愛用の品々が展示されています。この常設展はいつでもご覧になれます。
作之助の系図 左側が年長。たつ(タツ)→千代→コト→きく→作之助→登美子の順。一男五女。
寿町二丁目4の富田林一中前にあった竹中国次郎・タツ宅。現在は残っていません。
企画展の解説。
〈画面をクリックすると拡大します〉 作之助の年譜
竹中家が戦後まもなく富田林へ引っ越ししてくる前から、大阪市内の義兄宅に好んで身を寄せていたようです。そこで執筆しいくつかの作品が生まれました。
企画展とは関係がありませんが、
2階に展示されている旧杉山家住宅を改修した時の部材。「ひのとひつじ年 新堂大工七兵衛 半七」とあります。
新堂大工が旧杉山家住宅の建設に関わっていたということがわかります。ひのとひつじ(丁未)は1667、1727、1787、1847年のいずれか。
〈画面をクリックすると拡大します〉
残されている詳細な見取り図(年代不詳)。おそらく幕末の頃と思われます。4つの井戸、十連のかまど(そのひとつは火消し壷か)が見て取れます。
関連記事:〈リバイバル・アーカイブス〉浪花千栄子展~旧杉山家住宅 2021.4.12
写真撮影:2022年11月25日、26日
2022年12月7日 (HN:アブラコウモリH )
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