2023年8月12日 13:15 富田林市粟ケ池町 富田林市市民会館
今年で39回目を迎える「平和を考える戦争展」。
市民の方が寄贈された遺品や戦時品が展示されています。毎回少しずつ展示内容を替えながら展示され、当時の戦時下の生活を知ることができます。
兵隊さんの所持品もあれば...
戦時下の生活を余儀なくされた方々の所持品もあります。
手前右は「防空ずきん」、上は「火たたき」先に水を付けて火をたたいて消火する道具だそうです。
手前左の「奉公袋」は何に使ったものなのでしょうか?
灯火管制用電球
うちの母親が夜は光が外に漏れないよう、このような電球や深い電球カバーを付けていたと言っていました。夜間空襲の標的にされるのを恐れてのことだそうです。
戦地で亡くなられた方の弔辞。うちの母親の兄もガダルカナル島で戦死しました。艦砲射撃の大砲の弾の破片に当たったと聞いています。
資料を熱心に見られている見学の方。
企画展示「中国残留邦人の歴史と今も残る影響」
とても意味深い展示でした。中国に取り残され、帰ることができない方々の苦労や、幸い帰れたとしても身内を亡くしたり泣き別れになった方々の苦労がとてもよくわかる展示でした。
残留邦人の苦難を伝えるビデオ。
ソ連軍に追いやられ、命からがらの逃避行。朝鮮の収容所で下の子を亡くし、そのおむつで作られた上の娘のワンピース。
こいのぼりで作られた手提げ袋。
抑留者が所持していたアルミのスプーン
「一大事とは今日只今の事なり」と刻まれています。この言葉をあすの糧として、今日一日を生き延びたことが伝わってきます。
ソ連への抑留者の1日の食べ物は水のようにうすいおかゆや黒パンだけでした。
その黒パンを入れた袋の刺繍には、あたたかいおでんと徳利の相合い傘や飲み屋ののれんが描かれています。
平和記念講演が別室でありました。
中国残留邦人等の体験と労苦を伝える戦後世代の語り部の方による貴重な講演です。
戦後78年が経過し、戦争体験者の世代が急速に少なくなっている現在、次世代の戦後世代の方が代わってその体験を語られました。戦争の悲惨さの語り部として引き継がれて行く事は何より大事なことと思います。
首都圏中国帰国者支援・交流センターより山崎 哲(さとる)さん
「戦争はどのように人の人生を変えるのかー中国残留邦人 山崎幹子(祖母)の経験から」
ソ連の参戦により祖母の満州のおける逃避行と中国人家族に入り結婚し子を授かったこと。そして日本への思いを断ち切ることができず、38年後に子供とともに帰国したこと。その子の息子さんが祖母の体験を語られました。
私たちの現在の平和な暮らしは多くの苦難を経験された方々、戦争により命を落とされた方々によってもたされた平和だと思います。私たちが二度と繰り返してはならないことは戦争であると思います。
戦争は勝っても負けても、傷を負うのはいつも民衆です。
同じく神山 英子(かみやま ひでこ)さん
「ある中国残留孤児とその家族について」
敗戦時8歳だった女の子は親を亡くし、兄弟ばらばらになって中国残留孤児となりました。やっとの思いで40年後帰国した日本にはさらにまた労苦が待っていました。
40年経って日本語を忘れ言葉の壁、さらに習慣・文化の違いが大きく立ちはだかりました。その半生に寄り添ってこられた神山さんが彼女について語られました。
長く中国で生活され、帰国しても言葉、習慣、文化の違いで苦労されていることがよくわかりました。ご本人は今も戦争が続いているのですね。
それにしても、戦争はなぜ繰り返されるのでしょうか?なぜ人間は同じあやまちを繰り返すのでしょうか?
戦争展の展示風景 みなさん展示に見入っておられました。
39回も続くのに毎回新しい企画展示がされ、戦争が及ぼす影響が計り知れないほどあることがよくわかりました。
富田林に帰ってきて15年程になりますが、毎年欠かさず見に行ってます。
広島に届け!市民の思い。折鶴にこめて。
市内小学校のみなさんが描いた非核平和ポスター。
小学生のみなさんのなんと訴えかけてくるポスター。
戦争のない未来を託します。
世界中がしあわせになりますように...
戦争がないゆたかな世界になりますように...
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第37回 平和を考える戦争展 2021.8.16
写真撮影:2023年8月12日
2023年8月14日 ( HN:アブラコウモリH )
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