♫神のみ旨を行うことは わたしの心の喜び♫
という聖歌がありますが、
神さまのより“わたし”のみ旨がくっきり見えて、
その実現のために頑張ることが
“心の喜び”になっていること、ありますね。
神さまの願いと同じ、あるいは近いものであれば、
それでもよいのですが、真逆の内容だったら残念なことです。
人を大切にし、悩む人・苦しむ人の気持ちを
察することのできる者として、
願いを持てますように…
2024年ももう四旬節です。主の受難と復活に先立つ6週間ほどの期間。
四旬節が来ると、毎年、回心ということばが心の目に入り、
自分はまだまだだなあなどと、前途多難そうなことばを口にする人もいます。
回心、生き方を顧みて変えていこうとすること。
悪い方向に変えたら意味がないので、
少しでも神さまが喜んでくださりそうな方向に、
人生観を回転させていくことなのでしょう。
“わたしなりに”やさしく生きること、
“わたしなりに”真実に生きること、
“わたしなりに”くよくよしないで主に信頼を置くこと。
誰かの見本は、模範にはなるかもしませんが、
その通りになど生きられません。
自分なりの回心を目指して歩みたいですね。
待降節というのは、四旬節と同じく、心をあらためる季節です。
反省ばかりというのは暗い気持ちになると、先日耳にしました。
反省ではなくて回心。改心ではなくて回心。
心を暗闇から光へと回すこと。
闇から光へと向きを変えて再び進んでいく、未来志向の生き方。
光の方へと向き直れる救いの時。
そもそも神仏を受け入れるというのは、
自分の足りなさを認め、生き方を新たにすることなしには、
あり得ないでしょうね。