楽の音にあわせて

ブログは折々にアップしていきます。主にはSNS投稿の記事の掲載となります。

救われたい!

2016-05-21 09:34:00 | Sisterのねごと


昨日、京の都にまつわる番組で、
当時の死生観と平等院を建立することになった経緯をやっていました。

藤原頼道の父、藤原道長は、
死後は地獄に墜ちたくないという恐怖の念から、
権力の座を退き極楽浄土に行けるように専念したというのです。
しかし息を引き取る様を見て、
息子はより真剣に極楽行きを願い、当時の教えに沿って
仏や極楽の様子をより具体的にイメージできるようにと、
地上に再現された極楽浄土としての
平等院建立へと繋がっていったようです。

「死んだら、地獄行きできなく救われたい」という思いは、
死後にまだ自分の存在が続いているという大前提に立っています。

ならば今から、この世に生きている間から、
弱いながらも一生懸命生きる姿を信ずる神仏に見ていただけるよう、
祈りと行いを正していきたいものですね。



幸せに鈍感…

2016-05-18 20:34:00 | Sisterのねごと


どうやら人間は不幸にはとても敏感で幸せには鈍感なようです。

どうしてこんな環境に生まれてきたのか、
どうして物覚えが悪いのか、
どうして他の人のように人間関係をうまく回せないのか、
どうして自然に優しく振る舞えないのか、
こんなに努力しているのにどうして運がめぐってこないのか…
と、上手く行かない面を並べてしまいそうになったら、
このことばを思い出したいですね。

ラッキーな人・運がめぐってこない人という偏りは、
統計的にもあまりないそうです。

何らかのチャンスを自分のものとして活かせるかどうか、
それだけかも知れません。
人を羨んだり妬んだりではなく、
まず今の自分の持てるものすべてを受け入れ感謝できれば、
そこからすでに道は拓けていくのでしょうね。

いろいろな方の話を聞かせていただきながら、
また自らを顧みながら、
時々こんなことを思います。



わたしの生きる意味…

2016-05-13 20:13:00 | Sisterのねごと


5日でしたか、SIGNISからも賞を受けた映画『あん』、
奪われていくだけの人生だった中で、
それでも最後まで一生懸命生きようとした主人公の徳江さんが、
亡くなった後に残された録音メッセージの中でこう語ります。

「わたしたちはこの世を見るために、聞くために、生まれてきた。
だとすれば、何かになれなくても、
わたしたちには生きる意味があるのよ。」 

樹木希林さんの演技が迫力がありました。



自分の住む小さな世界で褒められたりチヤホヤされたり、
ささやかな仕事が成功して満面笑みで人前に出る
自分の姿ばかりをイメージしていると、
人と比べたり、誰かへの羨望感にとらわれたりして、
ほんとの人生が見えないまま過ぎてしまいそうです。

ほんとのキリストと出会えないままということでしょうか。

失うものがいろいろあるうちは、
徳江さんのこのことばはなかなか口にできないのかも知れません。

「(こんな自分でも)生きる意味があるのよ」と
深い確信のうちに神さまに感謝できるよう、祈りたいですね。

どんどん足し算を!

2016-05-11 20:52:00 | Sisterのねごと


萩本欽一さんはもう70歳を優に過ぎていると思うのですが、
大学受験に合格して、
今は若い学生たちと机を並べて勉強しているそうです。

こんな話をしています。
「歳をとって物忘れが始まるのは、
引き算が始まるということ。
忘れることを嘆いても仕方ない。
新しいことをどんどん覚え、
足し算をしていけばいいとわかった。」 



そのためには、何事であっても苦手意識を払拭し、
避けないで飛び込んでいくことで、
人生が拓け動き出すのだそうです。

「自分の人生がびっくりするような挑戦」をしたほうがよいと。

これ、今何歳であっても「今」から始めるといいでしょうね。
「生涯現役」の生き方は今日からスタート!