となりびとに心を 2022-05-10 14:50:00 | Sisterのねごと 福音書の随所に出てくる 傷ついた人々一人ひとりに近づき、 手を置いて声をかけるイエスは、 それが具体的に人を愛することだとして、 同じようにしてほしいと わたしたちを招いておられます。 困っている人に声をかけ、 辛い気持ちの人のために祈る、 それは、キリスト教など信仰以前の 「人」としての善意のようにも思えます。 互いに無関心になりがちな時代にあって、 マザー・テレサなどには到底及ばないにしても、 となりびとに心を向ける気持ちを保ちたいと願います。 そんな祈りのうちに。
「運」というもの 2022-05-04 17:58:00 | Sisterのねごと よく「運が悪い」とか 「そういう運命なのだ」などと聞きますが、 今起きている戦争のような大きな歴史の うねりに巻き込まれていくような話は別として、 個人の生き方を進めていくのは、 得体の知れない「運」というものではなくて、 その人の生きる姿勢、価値観、傾向、性格ではないかと。 外から見て損をしているようでも、 本人がそれでよしと思えれば、 それは幸いな人生と言えるのでしょうか…
街を塵に還して… 2022-05-02 19:51:00 | Sisterのねごと ウクライナ侵攻が始まるまでは、 戦争のイメージは多くの人命が奪われる おぞましいものという感じでした。 ところが今回、毎日映像を見るようになり、 もちろん命が失われるのは言語道断ですが、 同じぐらい気になりだしたのが「破壊」です。 街全体が破壊されている様子を目の当たりにしていると、 技術者や職人さんが一生懸命造ったもの、 誰かが大切にしていたもの、 大勢が便利に感じて利用していたものなどが、 全て文字通り「塵に還る」ことに。 黒焦げになり、原型を留めないほどバラバラにされ、 再利用どころか、どこに廃棄すればよいのかわからないぐらい。 それもわざわざ人間が直接手を下して。 人や生き物のいのちへの暴力と同じく、 物づくりができるホモサピエンスとして、 創造主の前で本当に恥ずかしい、 お詫びしたい気持ちです。 ※写真は原種チューリップの一種。