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トラウマを持って生きる

2011-05-28 07:01:36 | 地震の周辺
 悲しい出来事に遭遇すると、その後に当時の事を思い出して、精神的に不安定になったりすると言う。 それは人間ばかりじゃありません犬にだって、それは起こるのです。  4月10日のブログの集合写真ではお母さんに抱っこされて、マッタリしたスタイルで写っている白いワンちゃん、 津波の時には怖い想いをして救出されたのです。

 地震のあった日の避難の際は飼い主によって軽トラックに乗せられた。 飼い主さんは浜辺の家から山側に逃げるべく急いでエンジン始動、 少し山側に走った後で海の様子でも見るためだったか、車から外に出て、白いワンちゃんは車の中に残した。 そんな所に津波が急追。飼い主さん達は山の斜面を這い登って津波を避けたが、車に残った犬は車ごと津波に運ばれてしまったそうだ。

 津波のあった当日は寒くて暗い山中で暖を採るために焚き火などして一夜を過ごし、飼い主さん達は、翌日は津波に住宅全てを流された自分たちの浜の様子を確認した後、数km離れた隣の地区まで歩いて移動。 そこにある地域センターの建物での避難生活が始まった。

 何日か経過して自衛隊などによる救援活動や遺体の捜索活動も始まりました。 そして津波発生から9日目の事。そんな捜索活動をしていた人により、山側の竹やぶに突っ込む形で止まっていた車の中から白いワンちゃんは救出されたのです。 そして避難していた飼い主と再会出来たのです。 車の中では飲まず食わずだったはずだけれど、 あまり衰弱はしていなかったとか。 寒い時期だったから良かったのかな? 暑い時期に車の中で水を飲めなかったら、衰弱どころか・・・ ですからね。

 で、この白いワンちゃん、 今は飼い主さんと一緒に石巻市内で仮住まいを始めているのだが、車にのせられて買い物などに出かけた時、駐車場の車に残されると大騒ぎする様になってしまっているそうです。 そりゃ判るよな! 車に残されて、津波に攫われ、飲まず食わずの9日間を体験をしちゃった後だもの。
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冷蔵保存魚類の行く末

2011-05-27 20:49:10 | 地震の周辺
 地震と津波に襲われた石巻での話、 漁港周辺に立ち並んでいた水産物を扱う会社の建物群は壊滅的な被害を受け、大型の冷凍庫を備えた会社も停電で冷凍庫が機能しなくなり、在庫していた冷凍品も保管が困難となったと言う。 同じ石巻の牡鹿半島の浜辺の村落も津波の被害を受け、同じ様に停電の影響を受けたから、冷蔵庫に保管した海産物の鮮度は維持出来ないのは同様。 両方共に道路網がズタズタになったから、出荷して品物を捌いてしまう事もままならない。 

 そんな状況にあって、小さな漁村の方では近隣地区から地域センターに避難してきた津波被災者を受け入れ、 どうせ海産物の出荷も出来ない、鮮度も維持できない「それでは皆さんに食べてもらいましょう!」とウニやアワビ等の大盤振る舞いが有ったという。

 一方、大型の魚を冷凍保存していた石巻漁港周辺の冷凍倉庫を持つ会社、 最終的には一匹づつ包装してあったビニールを切り裂て取り外し、船に乗せて外洋に運び、海洋投棄して処分したと聞く。 「漁港の倉庫にある魚を無料で欲しい人にはあげます」と告知したとしても、津波で瓦礫が散乱して道路も車が走れない状態の中では、 貰いに来る人が居たか? またそんな情報を伝達する手段もあったか不明? 会社組織なんて、無料で配った物を食べた人に中毒起こしたと訴えられても困るなんて理由があったかもしれない。 それにしても、人間のお腹の中に入れるのが自然な物を、 手間を掛けて海に捨てていたなんて勿体無い話ですね。

 以上は先日石巻にボランティアに行ったときにお会いしたAさんや、そのお兄さん(谷川浜の家を津波で失って避難所生活を送った方)達から聞いた話です。
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宝探し?

2011-05-18 22:27:54 | 地震の周辺
 石巻市内で津波被害を受けた住宅改修のボランティアを終えてから、僕たちは南三陸町に向かう前に牡鹿半島にある谷川地区にも立ち寄りました。 4月の内にAさんから現地の写真は見せてもらっていたのですが、そこの浜では、ほんの一部のコンクリート建の構造物を除いて家の形をしたものがまったく残っていません。 そんな地区の山側周辺を幾組かの2・3人のグループが捜し物をするように歩きまわる姿がありました。 手にはスコップや棒切れを持っていました。 それは行方不明者の捜索であるかもしれないのですが...

 Aさんのお兄さんの住む家はこの津波で全てを流された谷川地区にありました。 先日の石巻市内でのボランティアもどき作業は、そのお兄さん達が暫く仮住まいすることになる家の改修工事であった訳です。 その時、お兄さんから直接、話を聞くチャンスがありました。 幾つも興味ある話題を聞いたのですが、今日はその中の一つについて記します。

 牡鹿半島の漁村・谷川地区の周辺には郵便局等の金融機関がまったく無い地域で、各家庭はそれぞれ日常必要な現金を箪笥預金の形で保持していたそうだ。 10万、50万、中には1千万円の現金を保持していた家もあったそうな。 津波の時には身一つで逃げるのが精一杯で、其の様なお金を持ち出す暇も無く全てが流されてしまったと言う。 ところが、 袋にいれてあった1千万の包が捜索隊によって回収され、袋には名前が書いてあったために所有者の手元に戻る、そんな幸運な出来事もあったのだそうです。



 そんな話を聞いていたから、何かを探している地区住民の姿を見て、「自分の家の箪笥預金も運良く何処か竹やぶあたりに引っかかって残っていないか?」 と探しまわっている、宝探しの様な姿に見えてしまいました。
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ドキュメンタリー「被災地 再起への記録」

2011-05-02 21:31:31 | 地震の周辺
 「被災地 再起への記録」と題したシリーズの番組をNHKは放映し始めています。 昨夕のこと、公民館での囲碁の対局を終えて家に戻った時間は5時半を回っていた。点きっ放しになっていたTVの画面には津波で被害を受けた東北の様子が流れていた。 見るつもりもなくぼやっと目をやっていたのだが、だんだん真剣に見始めた。 舞台は宮古市の東南に位置する重茂半島にある漁協に所属する組合員さんたちの復興への取り組みを伝えるドキュメンタリー番組だった。

 その漁協の組合員総数は400人超、彼らの持ち船の大半は津波にさらわれてしまい、使用可能な状態で残った漁船は50隻程だった。  漁船を失った漁師さん達は個人的に融資を受けて新たに漁船を購入しようとしても、 融資条件に合わない人が出てきたり、収入源を失い当面の生活資金に不安があったりする。 だから、放っておけば漁民としての再起を諦める人も出たり、多くの住民が他所へ移ってしまう事も考えられる。 そんな状況をなんとかして地域復興への道筋を付けようと、漁協の幹部は以下の様なことを計画して提案した。

全組合員の漁船建造資金を組合保証(?)によって金融機関から借入可能にする。
全員が船を持てるようになる迄の当面の生活資金確保策として、次の案を提示。

  残された漁船の共同利用。
  漁船共同利用で水揚げされた利益の共同分配。


 番組は、この提案が組合総会の場で漁協員の賛同を得られ、生活再建への取り組みが始まった事を伝えて終わった。

 紹介された漁協幹部さん、 僕なんか、漁協や農協の幹部と聞くと、ついヤーさんの幹部も務まるような顔をイメージしてしまうのだが、 それとは全く異なる、ごく普通のオジサンの風貌だった事も好ましく。 何よりも将来に希望を持てる形で動き出したことを伝えるこの番組は見ていて久しぶりに明るい気分になれる良い番組でした。
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原発構内作業員の待遇

2011-05-01 08:36:52 | 地震の周辺
 福島原発事故に伴う発電所構内での対応作業は東電の協力企業、更にその下に位置する下請け企業からの作業員が担って居る。 そんな作業員は原発から10kmほど離れた場所にある東電のスポーツ施設の建物をあてがわれ、津波被害の避難所生活をしている方々と同じ様な状態で過ごしている。 そこにはベッドは無く、床の上に毛布や寝袋を使った雑魚寝で睡眠をとり、 インスタント食品中心の食事を摂る。 そんな風景が放映されたのは随分と前のことだったと記憶する。

 ところが今でも原発構内の作業に従事する人々は2千人以上も居ることや、床上にごろ寝状態の宿泊環境であると、今朝のNHKの7時のニュースで伝えていた。  このTVが伝える作業員さん達の雑魚寝情報がどこまで正しいか僕には判らないのだけれど、 もしもそれが今も本当に続いているとしたら、 作業員の体調不良、それに伴う不注意が原因となって原発構内作業で大きな事故を発生させるのではないか? と心配になります。

 東電の協力企業への対応は昔から、TVで報じられている様な劣悪な作業環境も問題にしない体質であったのだろうけれど、 原発構内で種々な作業を担って下さる人々の住環境を快適にしてあげて下さいな。 食事も暖かく栄養もある適切な物を提供する体制を整えてあげて下さいな。 それが、故障した原発を静かに眠らせる大きな力になるのではないですか?

 東電の社長や副社長等が手分けして福島県の原発災害被災者の避難場所を訪れて頭を下げている風景も報じられているのだが、 そんなのは補償金を値切る方向への働き掛けに過ぎないでしょう。  東電のトップの方達は嫌々と苦虫噛み潰した顔で避難している人々に頭を下げる事よりも、 原発事故の拡大阻止に役立つ事を第一優先とするように指示し実行して欲しいと思う。

 もっとも下請け作業員の待遇改善なんて、そこら辺の対応は社長よりもっとずっと下のレベルの職員が判断して実行しても良い筈だけれど、東電さんは、協力会社の作業員の環境改善なんて「上から下まで、俺は知らん!」の体質に染まり切っているのかな... 
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原発事故の賠償責任

2011-04-30 22:31:03 | 地震の周辺
 昨日TV放映された国会の予算委員会、福島原発地域選出の吉野正芳衆議院議員(自民)の質疑を聞いていて民主党も頼りにならない政党だけれど、「自民党も駄目なままか」と思ってしまった。 

 吉野氏の話の展開は

「原発は国策として電力会社と共に協力して推進してきた」

「事故などが発生した場合、政府にも共同責任がある」

 ”・・・・・以上の事を首相は認めるか?” と答弁を迫り
 菅首相から 「国に共同責任有り」との言質をとった上で

「(民主党)政府が主張する事故に対する賠償の一義的責任は東電にあるとの
 発言は政府の責任を放棄し、一方的に東電だけに責任を転嫁するものである」

「原子力損害賠償法の規定で甚大な天災が原因の場合、事業者の賠償責任を
 免責する規定が設けられている」

「従って、今回の福島原発事故での損害賠償は政府の責任で速やかに行うべし」

そんな主張を行っていた。

 大体に於いて”国策として原発を推進して来た”と言ったって、電力会社が時の政府(自民党)に根回しして国策の形を取らせ、原発を作る費用を安上がりに済ませるために、「原発立地地域の市町村に国から交付金を出さる法律等を作らせていた」それが真相ではないですか?

 吉野氏の冒頭の発言によれば質問時間は同じ自民党の石破氏の質問時間を割愛して貰った中での質疑だったそうだ。 短時間であろうとも自民党は自分たちの主張を吉野氏に言わせた事になる。 「東電の賠償責任はチャラにして、国は被災者や出荷停止で困っている生産者の救済のための金をさっさと出せ!」と。

 何の関係も無い様な会社の株式を大量に保有するほど膨大な利益を抱え込んでいる私企業が発生させたとんでもない災害。 それなりの責任は取らせるのが当然でしょう?  今回の原発事故は予想外の津波(天災)が原因、 だから「法律の規定に従えば、今回東電は賠償責任を免除される」。 そんな主張をする自民党の質問者に「変わってねえな、だめだお前ら!」と毒づいてTVの電源切りました。
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ボランティアする漢たち

2011-04-21 09:27:01 | 地震の周辺
 津波被害に遭った親戚の救援に出かけて、今月中旬に戻ってきたAさんから、先日現地で撮影した沢山の写真を見せてもらい、その話も聞いてきた。 石巻市街の親戚の家は床上浸水の被害を受け、 1階の家具は散乱し、畳は海水に漬かった上に、ヘドロが乗って使い物にならなくなっていたそうだ。 Aさんは使い物にならなくなった家具や畳の屋外への搬出、床上に堆積したヘドロの除去や床の清掃。 そんな復旧作業の手伝いをして来たと言う。

 Aさんの親戚の家では室内の片付けにボランティアの力を借りようと、斡旋してくれる組織に派遣依頼の申請してあったらしい、 しかし、同じように家屋内部の復旧作業を必要とする家庭は沢山あるため、申し込んでも即座に助っ人が来てくれる事も無く。 震災発生から半月以上が経過し、東北道が一般に開放され、Aさんが救援に駆けつけた時期に合わせたかの様に、ボランティアの方々も派遣されて来たと言う。



 来てくれた人達は関西方面で建築関係の仕事をしている会社の働き盛りの方達6人ほどのグループ。 床上のヘドロを掻き集めて屋外へ搬出するのに、用意した麻袋の様なものを使って手際よく片付けて下さったり、痛んで使い物ならない家具の搬出や海水に漬かって重くなった畳を搬出する4人がかりの作業などテキパキ進めてくれて、「本当にありがたいと思った!」と話してくれました。

 一方、同じ石巻市とはいえ牡鹿半島の谷川の村落。 そこではAさんの親戚の家はもとより、村落内の住宅ほぼ全部が津波にさらわれてコンクリートの土台を残して、きれいさっぱり無くなっていた。

 大きな市街を構成していた地域の津波被害の跡地は道路脇に道路から排除された廃材やポンコツの車などが折り重なっている風景があります。 しかし、ここ谷川ではヘドロで汚れた室内の大変な清掃作業は必要ありません。 道路脇の廃材の山もありません、 誰かが津波後に素早く片付けたから、そうなったのか?  いいえ、津波がほとんど全ての物を海に引き連れて持ち去ってしまったからなのです。



 そんなAさんから昨日届いたメールを転載しておきます。

タナカさんへ

先日は行きあえて嬉しかったです。
明日からまた日曜日まで、石巻へ行って来ます。
タナカさんも 次回(連休後)は行ってみませんか?
やはり、「この目であの実情を見てみるのもいいかな」と感じています。
自分はいったい何ができるのかと、しばしば考えます。

もし自分が家を全部失った兄さんだったら、
どんな状態になるだろうと考えることもあります。
たぶん落ち込むか、気が狂ってしまっている様子を思い浮かべます。

長期戦を頭に入れて、ちょっとずつちょっとずつ、できることをしてやりたいです。
私ももう余り無理できない体になっていることを忘れずに、
お母さんから言われた 「向こうに行って頑張ってきてね!」を心にしまって、
行って来ます。 では、また報告します。

Aより
 
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地震の周辺・被災地で

2011-04-10 07:47:05 | 地震の周辺
 津波被害に遭った被災地に住む親戚の救援に先月末から出かけていた知人のAさんから、昨日「もどって来ました」と写真添付のメールが届いた。 すぐにでも電話して話を聞きたかったけれども一昨日話した様に我が家の電話は故障中。 ですが夕方には宅急便で注文してあった電話機が届いたので、早速セットアップして動作確認。 そしてAさん宅の夕食が済んでのんびりし始める頃合いの夜の8時に電話を入れました。

 その電話での話、石巻市内の親戚は床上1m程の海水が押し寄せて、畳やフローリングの床上に3・4cmのヘドロが堆積していたそうだ。 そんな床上ヘドロの除去作業や海水に漬かって傷んだ畳の撤去作業、そして散乱した室内の片付けの様な力仕事を何日か手伝って来たそうだ。 作業は随分と大変だったようで、「水に漬かった畳なんか重くて4人掛かりでやっと持ち上げるようだよ!」、「床下に溜まった泥なんか(床板を剥がすなど)プロの手でやってもらわないと出来ないね!」等と様子を聞かせてくれた。

 救援にはテントや炊事道具などキャンプ用具一式を車に積んで野宿覚悟で出かけたけれど、現地での宿泊は津波被害に会わなかった親戚の家に泊めてもらえたらしく、「快適な睡眠と食事の場が得られた」とのこと。


 更にAさん、牡鹿半島で村落全体が根こそぎ流された谷川浜に住んでいたお兄さんの避難先をを訪れた。 その避難所で撮った集合写真の一部をTopに載せました。お兄さんの奥さんの微笑の眼差し、そして抱かれたワンちゃんの安心し切ったスタイル。 無事でなによりでした。 ちなみに、このワンちゃんは津波の後で発見されて避難所に連れてこられたそうですよ、良かったですね...

 このお兄さん達が避難していらっしゃるのは谷川浜のから少し離れた地域センター的な場所で、津波直後は100人を越す方々が避難されていたそうです。 しかし今は大半の方々は親戚などを頼って出て行ったため、残っている人数は20名程になったそうです。 そして先々の話もしたそうですが、「今避難所に残っている人達の落ち着き先が決まるまで、俺はここに残っている」とお兄さんは話されたそうです。 地域のリーダー的存在のこんな人々が居ることを本当に頼もしく思います。

 ところでTVで報じられる避難所生活は”主食がおにぎり”であったり、”お風呂に入れない”などの大変な状況であったりしますけれど、 ここの避難所では近くの住宅で被害の無かったお宅のお風呂を使わせて貰えたり、 食事も自分たちで煮炊きして普段の食事に近い形の生活を送れるように努力されているそうです。 避難生活を支援する自衛隊の活動も届いているとの話です。

 Aさんからは、この避難所の食事だったか、親戚の家で提供された食事の話だったか曖昧でしたが、 「アワビの刺身も食べさせてもらったよ!」 なんて羨ましい話も聞きました。 海の幸の豊富な三陸の海辺ならではの話ですね。 そんな良さがあるから、津波は懲りごりだろうけれど、また人々は同じような場所に家を建てて生活を再開するのでしょうか? 
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地震の周辺・とりとめない話題

2011-04-02 11:46:44 | 地震の周辺
 第2次世界大戦で敗れた日本やドイツ、そこから苦難の道を辿り復興を果たして来た。 今回の東日本震災の被害範囲や困難さを、その時と同じに見立てて、敗戦後の復興が出来たのだから、「今回も優秀な日本民族は見事復興するだろう」なんて論調も見かける。 僕自身、復興は出来るだろうし、やらなくちゃならないと思っています。しかし、復興の初期段階の今の状況をTV報道などでみていると、当時とは随分異なる様子も見て取れる。 それは今後の復興にプラスに働きもするし、マイナスに作用もする。

農産物の廃棄、作付け中止

 戦争間際の広島と長崎への原爆投下、あの時の周辺地域への放射能汚染と現在の福島原発事故による放射能汚染。 どんな差異があるのかとても興味が有り、それを知りたいと思っているのだが、適当な情報に巡り会えていない。 あの当時作付け制限なんてしなかっただろう、そして知らぬが仏で生育していた野菜など農産物は全部食べていただろう。 地域の井戸や水道の水も普通に生活用水として使用され続けていたでしょう。 今回の放射能汚染騒ぎによる集団移転などの費用、将来発生するであろう農家などへの東電や国による金銭的な補償。 それはいづれ税金の様な形で日本全体へ跳ね返る。 それよりも今現在、農家の方々の収入途絶の不安は生活して行く上で、とんでもないストレスを与えていることでしょう。

 健康のために乳幼児には摂取させたく無いと言われる水や野菜、僕の様な年寄りは「死期が早まる? 」、「健康被害が」といわれても... 「それも構いませんよ!」と言っちゃいます。

瓦礫の除去・処分

 津波被害の残骸で覆われた街では道路スペースの確保作業。 今も各地でそれは行われ、重機を使って作業が進むから比較的スピーディーに作業は進んでいる。 しかし、道路脇によけた建物の残骸等は焼却処分する処理場の能力の制限もあるので、処分に今後何年もかかるだろうと報じられている。 敗戦後にバラックでも良いからと家を再建しようとしていた人達だったら涎が垂れるような資材、屋根の瓦、柱、台所のシンク等が打ち捨てられているようにみえる。

 現在わずかに利用されていると言えば、屋外で暖をとったり、炊事に利用する燃料として廃材が少し使われている程度かな。 子供の頃、利根川の支流、烏川の近くに住んでいたのだが、堤防近くに家のあったお爺さんが毎日河原を歩きまわって流れ着く木の枝などを拾い集め、貴重な燃料として軒先に積み上げてあった風景を想い出す。


私有財産権

 垂れ下がった電線を何十mか掻払おうとして捕まった人がいたなんてエピソードや被災者の遺体を探して目印を立ててある、それを目印にして効率的に遺体に近づき、懐を探る悪者の話が立ち読みした週刊誌の記事にあった。 道路を塞ぐボートも所有者に無断で勝手に運んで捨てることは出来ない、だから店頭に居座って商売の邪魔になるボートも撤去出来ないなんて話も聞く。 もちろん、そんな他人の持ち物を勝手に持ち去ろうとしたら法律に違反している事だろうから、警察が捕まえるなら捕まえれば良いだろう・・・ とは思うものの、 電線なんかそんな形で再資源化のルートに乗ったり、船などの装備品で使える物を外して(盗んで)中古品として再利用し、解体撤去の時期が早まる。 そんなの有っても良いだろうと思うのです。

 ただなー、泥棒野郎が遺体の懐を探ぐって現金や貴金属など盗むのは頂けない。 これを防ぐには今の作業も大変なご苦労をなさっているのを承知の上で、遺体探索作業をなさっておられる自衛隊や消防の方々に、遺体の懐を探る追加作業をお願いしたらどうだろう? と思うのです。 身元が分からない場合も多いでしょう。 そんな人が現金を持っていたら、その中身は災害復興の義援金扱いにするのです。 ネコババする捜索隊員が居るかも知れないって? それはそれで良いじゃないですか! そんなの少数派だと想い、目を瞑りましょう。


親族間での助け合い

 ある人々は昔の様に強い絆で助け合いを始めているようです。 2・3度このブログでも取り上げた被災地に実家を持つ知人Aさん。 東北地方の高速道路の通行規制が解除された先月末、津波ですべてを流された牡鹿半島の漁村のお兄さんと、石巻付近で住居の1階部分がめちゃめちゃになった親戚の救援に車で向かうと連絡があった。

 Aさんは、まづ石巻に向かい、1階がめちゃめちゃになった親戚の家の片付けを手伝い。 今日あたりは、高速バスを利用して石巻まで追いかける奥さんと落ちあい、次いで牡鹿半島で避難所生活しているお兄さんのもとを訪れて帰ってくる予定とか。

 最近の地震関連TV報道では避難所を訪れたキャスターが「今不足している物は何ですか?」 「今、必要な物は何ですか?」とインタビューしている風景が報じられている。 それに対して「飲んでいた薬が不足してます」とか「一刻も早い仮設住宅への入居」を希望するなどと答えているが。 このAさんが電話連絡のついた避難所生活しているお兄さんに必要な物を聞いた時の返事は

○ 「食料は足りている」

○ 「何か持って来てくれるなら、避難生活を一緒に過ごしている
   他の人々とも分け合える物を用意してきてくれると有り難い」

○ 「今、金をもらっても、物を買える場所が近所に無いし、
   町にも出かけられないから、今はいらない」

○「車が欲しい」

 そんな電話でのやりとりが有ったそうだ。  それでAさん、 乗って出かけた車は、すべてを流され避難所生活をしているお兄さんのリクエストに応えて、急遽入手した軽の中古車を、救援かたがた陸送して行ったのだ。 もちろん現地ではガソリンの入手も困難だから、予備の燃料タンク40リッター分ほども積んでだそうです。 軽自動車でそんな量の予備燃料を車内に積むなんて違反。 でも救援に向かうにも、現地で車を使って貰うにも、予備の燃料は絶対に必要と判断しての事でしょう。
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地震の周辺・ルームドナー

2011-04-01 09:45:26 | 地震の周辺
 昨日の午後「ウチのお父さん、今朝車で、石巻に出かけて行ったワ・・・」牡鹿半島に実家を持つ知人からの電話はこんな話から始まって 「ところで、タナカさんがブログに載せた話、どうなってる?」、「誰か家を使わせてくれって連絡あったの?」の話題で終わった。

 その「地震の周辺・僕達もボランティア」のタイトルの記事に載せた”家を貸す”件については、先日の高尾山ハイキングの時に一緒に歩いた山仲間からも聞かれたし、 つい最近ブログを通じて知り合ったUSA在住の方からも、経過を気にしたメールを頂いた。 そんな風に興味を持って経過を知りたい方が他にもいらっしゃるかと思うので報告しておきます。

 現時点で、メールでの問い合わせは1件もありません。

 あの記事を載せた日から一週間ほど経過しても何も反応が無いのでもしかしたら掲載しておいた「連絡先のメールアドレスに誤記でもあったか?」と思って、そのアドレスにメールを送って間違いなく受信出来るか確認しました。 やはり、僕のこのブログの様な読者数が100人を少し上回る程度の場所に掲載しても部屋を必要としている方々に情報は届かないよな・・・ と想いつつもそのまま放置してあります。

 経過を気にしてメールを下さった方からは、そのメールの中で、被災者の方と僕のような気持ちを持った人々を結び付ける目的で今回の災害後に立ち上げられたサイトを紹介して下さいました。
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ルームドナ― :

家に住むことが困難な被災者の方と
住宅/部屋を提供してくださるルームドナーのマッチングサイト

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 このサイトの事は日経新聞でも紹介記事が載ったほどですから、みなさんも既に御存知かもしれません。 僕も昨夜、アクセスしてみました。

 Topページの下部に流れるツイートされた内容を見ていると、続々と部屋や家を提供しようと申し出た人がいることが見て取れます。 これを住む場所を必要とする人々がどれほど利用出来るか? そこら辺が利用が広がる鍵かもしれません。 その点は、サイトの運営者側も理解しており、
【「roomdonor.jp」を被災者に広めてくださる方にお願い】
としてこれから被災地に向かう方や、その近くに住む方などに、ルームドナーの活動や使用方法を記したチラシのファイルをダウンロードして印刷して、それを被災地付近で配布してもらいたいと呼びかけています。

 ところで、同じような趣旨で被災者をホームステイとして受け入れる仲介活動を始めたNPOの活動の様子をレポートしたTV番組がありました(たしかNHKだったかな?)。 そこでも2000件を越す受け入れ家庭がたちどころに登録されたのだけれどその収録時点では「実際に具体化したのはほんの数件にしか達していない」、「人間系が介在した活動がニーズを結びつけるために必要」といった内容だったと記憶する。

 住む場所が無くなったとは言え、被災者側にも事情があって、「どこでも良いから住む場所が欲しい」なんて人は極めて少数なんでしょうね。 住み慣れた土地の近く(友人知人の近く)に住みたい。 収入を得るための仕事がないと困る。 先々の行政からの支援を受けるためには「個人的にポイッと何処かに引っ越してしまうのは不利だ」なんて思惑と現実もあるようです、 その最たる現象が町村単位での集団移転に現れているように感じます。 そんな種々の条件に基づく判断に、第3者の僕達が介入出来るものでも無いですし。

 善意を見知らぬ人に渡すには喜捨する程の心構えで行わないとお互いが不幸になるってよく有ることです。 現実に家を貸すとなると、ルームドナーのサイトから転載した記事の内容から推察出来るように、善意だけの単純な関係から外れる場合も有ることを承知しないといけません。
 ブログに書いた事は知人友人の反応からすると、結構興味を持たれ浸透したようです。 僕としてはそんな繋がりの中で「部屋を使わせて」と希望する人、なにかの縁で僕のブログを見てコンタクトを取る人が現れたら話をすすめる。 そんなスタンスでノンビリ構えるつもりです。 したがって、Room Donor には登録しません。

****** ルームドナー・受け入れガイドライン ページより転載 ******
3.受け入れ時について

待ち合わせを行う際には必ず自宅や人目につかない場所は選ばず、
  人通りの多い場所を指定してください。



受け入れを行う際には必ずルームドナー登録者の個人認証のため、公的機関の発行する身分証明書(パスポート、住基カード、健康保険証、運転免許証、外国人登録証明書など)のコピーされたものを受け入れ希望者の方に渡してください。

受け入れ希望者の公的機関の発行する身分証明書のコピーを取得してください。(受け入れ希望者が被災の影響で身分証明書を保有していない場合は、被災者側と相談を行い、の親類や知人で保証を行ってくださる)

受け入れを行う前に以下のような双方での合意書を書面にて作成を行ってください。(被災者の方が身分証明書を保有していない場合は、保証人の設定などを双方でご相談下さい)

光熱費や賃料以外の諸経費の負担の有無
鍵を紛失した際の対応について
住居以外に提供するものの有無(車や、食料など)
受け入れの期間・退去日について
退去の延長を行う際の賃料の発生の有無について
提供した家や部屋における盗難、事故、故障、火災、天災、雨漏りに関する
    各種の損害賠償について
その他想定外のトラブルが生じた場合の責任の所在について
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