生き延びた人々

2009-06-30 09:19:01 | タナカ君的偏見
 時折見ている かんべえさんのブログに、あのアウシュビッツの収容所環境で生き延びた人々の特性を述べた記事が転載されていました。

アウシュヴィッツの調査団・[報告書作成] => 翻訳著作・佐久間章行『人類の滅亡と文明の崩壊の回避』 => ウィキペディア”アウシュヴィッツ:記憶の最後に” => かんべえさん => そして、僕もここに転載します。

 なんで、この様な記事を転載したくなったかと言えば、三鷹で入院生活を始めて20日程経過している伯母さんが「ここの病室(便所付き個室)は座敷牢の様だ!」などと口走り始めたからです。自分の足腰に発生する痺れや痛みに拘泥し、それを理由に動くことを止めて事態を悪化させ、医療機関に頼ればそれを解消出来るとの期待を膨らませて入院生活を始め、其処での生活に今度は「座敷牢」発言へと悪循環の泥沼に落ち込んでいる。 見ていて「こりゃダメだ!!」と思ってしまうのですよ。 その伯母さんにこんな記事を見せても何の効果も期待できないのだけれど、僕自身のこれからに少しは良い影響があるかと想い、記念に残して置く訳です。


●記憶の最後に

人間の特性を探る研究に、アウシュヴィッツという過酷な状況のなかで「愛」「美」「夢」のいずれかを持続した人が生き残った、と結論付けるものがある。以下は、その研究を紹介した佐久間章行著『人類の滅亡と文明の崩壊の回避』p.218-219からの引用。

        ◇          ◇          ◇

第二次大戦の勝利者である連合軍は、あの過酷なアウシュヴィッツの環境で最後まで生を維持させた人間の特性に興味を抱き調査団を組織した。その報告が正確であるならば、生命の維持力と身体的な強靭さの間には何の関係も見出せなかった。

そして生命を最後まで維持させた人々の特性は次の3種類に分類された。

第1の分類には、過酷な環境にあっても「愛」を実践した人々が属した。アウシュヴィッツの全員が飢えに苦しんでいる環境で、自分の乏しい食料を病人のために与えることを躊躇しないような人類愛に生きた人々が最後まで生存した。

第2の分類には、絶望的な環境にあっても「美」を意識できた人々が属した。鉄格子の窓から見る若葉の芽生えや、軒を伝わる雨だれや、落葉の動きなどを美しいと感じる心を残していた人々が最後まで生存した。

第3の分類には「夢」を捨てない人々が属した。戦争が終結したならばベルリンの目抜き通りにベーカリーを再開してドイツで一番に旨いパンを売ってやろう、この収容所を出られたならばカーネギーホールの舞台でショパンを演奏して観客の拍手を浴びたい、などの夢を抱くことができた人々が最後まで生存した。

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リタイアして半年経過

2009-06-29 10:28:50 | タナカ君的日常
 リタイア後の生活も、半年が経過しつつあります。 朝の起床時間も3度の食事の時間も体重もほとんど現役時代と変化の無い生活を送っています。変化といえばこのブログでは少ししか触れていませんが、図書館から借りて読む本の量でしょうか、それは随分と増えました。
 
経済面 :
 我が家の家計費は独自会計年度の開始月である11月の初めに年間の生活費を夫婦分担で一括払い拠出し、妻が管理しています。 これで各自の趣味的費用を除く、食費から税金迄すべてが賄われます。 今年は甥の結婚、息子の結婚、弟の結婚、家の電気系統改修・契約A増大工事費用など何時に無く金が出て行って、多分後半には幾らか追加供出が必要になりそうな気配です。
 遊びの費用や本の購入、車の維持費などはそれぞれ自分の懐から適当に支払う事になってます。 ちなみに僕のそっち方面の支出は100万強になってます。 大きなところは1月のNZドライブ旅行、4月の四国遍路、ノートPC購入、車の保険・維持費用などです。 妻が所謂小遣いを幾ら使っているか? まったく関知していません。

健康面 :
 夫婦ともに体重の増減は半年前と較べて、+/-0.5kgの範囲内で殆んど変化無し。

 80歳台になっている親戚のオジやオバの健康状態は見た目にも悪化の度合いを増しています。 僕達の父・母は既に他界しており、このオジやオバまでもが消え去ると僕達はあの世と直面することになりますので、なんとか踏ん張ってこの世に残って居て欲しいと切に願っています。 とは言え、前々から健康に出歩けるのは75歳までだろうと感じていますので、 自分の小遣いも、そこら辺で使い切るように調整してみるつもりでいます。 しかし82歳で元気に歩き遍路していた人にも出会ったから、いつまでどの程度の資金を残しておくべきか?悩み所では有ります。 これから山に行ったら「トリカブトの根や月夜茸を少しずつ貯め込んで粉末にして保存してみようか?」なんて事を考えないでもありません。

対人関係 :
 サラリーマンを辞めて、職場での対人関係が殆んどなくなりました。 まあ現役時代もそれほど人付き合いの良いほうじゃなかったから、影響は軽微と言えなくも無いですが、昼間の時間帯に声を出して喋る量は確かに減りました。 そこら辺が少し物足りなくて四国遍路を済ませた4月の下旬からバイトに行って見たりもしたのですが、そのバイト先の職場は仕事の合間に世間話する雰囲気でもなく、一時間に4件の商品データベース作成の目標は僕には連続達成できそうも無く、あえなく1ケ月でポシャリました。 そんな中で若い頃から付き合って来た「山の仲間との絆は大事にしなけりゃ」とは思うのですが、2年に亘り四国遍路に同行してくれた仲間の「何時もの春には出られない」との話に、彼の都合の付く時期を待てず、一人で最後の遍路に出かけちゃいました。 また会の仲間との九州の山旅も6月の2週からの出発日に物足りなさを感じて、グループから抜け5月の末に一人で出かけてしまいました。 そんなやり方は、かなり生き急ぎ過ぎの感なきにしもあらずだなあ...と思っています。
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火災現場に遭遇

2009-06-27 09:27:31 | タナカ君的日常
 昨日の夕方三鷹駅の南口を連雀通りに向かって歩いて居る時に、火災現場に遭遇しました。



 今まで動画ファイルを扱った事が無かったので、上手く皆さんに見ていただく事が出来るか判りませんが、YouTube に会員登録して、消火活動開始の様子をデジカメで撮影したものをUpして、ここに貼り付けて見ました。なんだか簡単に出来ちゃうのですね。

 (でも、動画の埋め込みが上手く組み込めないぞ! 原稿作成段階では、それっぽい画像が表示されるのに、Upすると消えてしまう? 後で誰か知ってる人に教えて貰おう。 とりあえず単純LINKでお茶を濁す田中君です。<< 6/27)

( 6/28 埋め込み方法解決 :

■gooブログ編集画面から貼り付ける場合
事前準備
1.YouTubeの動画ページにいく
2.お好みの動画の「埋め込み」にあるURLをコピー
3.gooブログ編集画面に戻り「ブログパーツ」からgooブログパーツ変換を行う

ブログ投稿
4.変換されたおまじない言葉を投稿する文章の中の表示したい位置に貼り付ける。




 前方に随分煙が立ち込めていて、こんなに人家が密集した場所で、何を燃しているのだろう?と不審に思いつつ、歩き続けました。向こうから歩いてくる人の中には口を手で塞いでいる人もいます。でも、煙の濃い部分で立ち止まって野次馬状態の人はまだ居ませんでした。 私がその地点まで達して、路地の奥を覗くと赤い炎が見え始めました。 何十年振りかに近くで見る本物の火災です。消防署への通報は既にされていた様ですが、まだ消防車は到着していません。 僕は不謹慎にも炎を吹き始めた様子を近づいて撮影しちゃいました。家から出ていた隣家の住人が怒るでも無い、慌てるでもない、表現するのが難しい表情で僕を見つめています。




 消防車が到着、ホース展開、注水開始、現地指揮所の雰囲気で路上に組み立て式のテーブルも設置されました。 僕は道路の反対側の民家の入り口から撮影を続けました。警察官もやって来て、住民に「火災現場の建物に人は居るのか?」などと質問しています。 消火活動の結果、噴出すろ炎は見えなくなり、煙も収まり始めたので、消防車の車列の脇を過ぎ、現場封鎖の黄色いテープをくぐり、伯母の入院先の病院に向かいました。
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お疲れさん

2009-06-26 11:50:58 | タナカ君的日常
お疲れさん : 6月24日

 伯母を見舞いに行った中央線。 真昼間の電車の中で、爆睡している男性が居ました。朝帰りにしては変な時間だし、仕事で移動中にしては、余りにも疲れすぎだし、何やっている人なんだろう?ネクタイの色からすると、結構気楽なお仕事の雰囲気もするかな?




 それはさておき、僕もこの後、お疲れさんの旅に出ました。 藤岡方面の親戚や実家を巡り、この所熱中していた梅ジャムの壜詰を届け(大半の家は留守でしたから、玄関付近にメモをつけて置いて来ました)。更に脚を伸ばして、新潟県津南町の雪祭りやキノコ採りで世話になった方の家にまでジャムを届け、 最後は夜の8時半を過ぎて今日の宿泊地・野沢温泉にたどり着きました。 かろうじて店を開けていた洋食屋さんでお勧めメニューを注文し、中尾の湯に入り戻って来ると”バタンキュウ”で、 途中のコンビにで仕入れたビールを飲むのも忘れて横になりましたが「何か物足りないぞ! ビールとつまみが有ったっけ・・・」と気が付いて、飲んで寝ました。


赤石山(志賀高原)登山  : 6月25日


 今日のメインテーマは登山ですが、竹の子採りもサブテーマとして有ります。 鳥の鳴声と明るさで目を覚まし、朝食食べて野沢温泉・中尾駐車場を5時半に出発。 野沢から奥志賀林道を登って行くと、今が竹の子の最盛期であるらしく、入漁料ならぬ入山料金を徴収するオジさんが居たり、無断採取厳禁のたて看板があちこちに。 僕なんか早い方だと思っていたのに、地元の長野や長岡ナンバーの車が沢山入っています。 農家の方も田植えが一段落したこの時期の竹の子採りは楽しい遊びなのでしょう、夫婦連れ、オバさん達だけのグループなど様々です。兎に角青空も覗く今日は絶好の「雨後の竹の子」期待が出来る一日かもしれません。





 赤石山は志賀高原側に主な登山口がある、長野/群馬県境の一峰で、何年か前の秋に県境稜線を東に辿り、野反湖まで縦走したことのある山です。 その時の根曲がり竹の密生状態が記憶に残っています。 公衆便所と休憩施設と駐車場とバス停がまとまった大沼池入り口に車を置き、07:30に歩きはじめました。 ブルーの色が綺麗な大沼には08:40着、県境稜線10:00、赤石山頂10:30到着。更に仙人池まで足を延ばして戻って見ると3人連れのグループが休憩していたので、シャッターをお願いしました。 下に見えるは大沼です。 この山の花ですが、岩鏡は最盛期、石楠花は花びらがタダレて時期を過ぎていました。 稜線に出るまでの急登で登山道が沢を横切る地点では雪が残り、水芭蕉の花が何株か咲いている場所がありました。 竹の子の話題は恐れ多いので、ここでは触れないことにします。


       赤石山 山頂にて(遠く背後には妙高山も見渡せる好天気)

帰り道は、大沼の流出口・林道終点で軽トラックに乗り込む方がいたので便乗させていただきました、一時間強の林道歩きから開放され、助かりました。 彼等は山ノ内町の職員で、ハイキングコースの途中に便所を設置する計画があり、その現地調査に来ていたそうです。 林道を閉鎖しているゲートの鍵を持っているはずだよな。 駐車した車でコーヒー飲んだりして休んでいると、便所に立ち寄ったおばさん3人連れが話しかけてきます「あら、良いわねー! 車に何でも積んであるんですね。 これで泊まって旅ですか?」 そして最後はオバさん達3人がお互いに納得するように 「でも一人は寂しいわねー、 一人はねー」の一言。 はい、おっしゃるとおりです...” 反論しません、さようなら。

 志賀高原からは草津温泉に抜け、公衆温泉「大滝の湯」に入り、冷たい飲み物を飲んで、天麩羅そば食べて、遅い昼寝を小一時間して、夜遅く家に戻ってきました。
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耐震補強工事

2009-06-23 08:30:24 | タナカ君的日常
 先日、三鷹の伯母の入院先へ自転車に乗って出かけた事がありました。野川沿に咲くアジサイを眺めたり、三鷹の天文台に立ち寄ったりお散歩気分で走って行きました。そして神代植物園前の道を三鷹駅に向かう途中、都立調布北高校の窓に施された耐震補強工事の骨格を見て凄く違和感を覚えたので、つい写真を撮りました。

 窓の開口部の補強として四角い追加の鉄枠が設置され、その四角の補強として、筋交いもどきの船の碇を思わせる形状の骨格が組み込まれています、なんだか金は掛かっていそうです。 当然まともな設計者に依って設計・施工されたものと考えたいですが、見るからに窓枠の四角をひしゃげるような力が加わったら「あんな筋交いもどきの形状では屁のツッパリにもならねーだろう」と思えてなりません。 その上窓枠の補強もまばらな間隔でしかなく。「耐震補強しましたからねー」のポーズを見せるための工事なのかしら?
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梅ジャム作り

2009-06-22 21:49:09 | タナカ君的日常
 ここの所、株のデイトレもしないで梅ジャム作りを続けていたのですが、流石に3日目ともなると飽きて来ちゃいました。始める前に100円ショップでガラス瓶を購入するために立川駅前まで出かけましたが、ダイソーの入っているデパートの開店時間に少し間が有ったので、証券会社の店頭のモニターで値段の様子を眺めたりして来ました。 それからは昼食で休憩した以外はずーっと梅の実を煮詰める作業。僕用のジャムの壜詰めはダンボール箱一つ分出来ました。まだ未処理の梅の実は沢山残ってますが、午後の3時、ついに妻に「残りの梅は、好きな様に使ってよ! 俺はジャム作りお終いにする!!」とギブアップ宣言しました。 来年からは貰ってくる梅の実の量を控えよう。 しかし、田中君的には藤岡まで往復するガソリン代金の事を考えて、ついつい余分に収穫して来てしまうだよな。
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梅ジャム作り

2009-06-21 19:35:17 | タナカ君的日常
 今日は夏至ですね。しかし梅雨空で太陽が出ないので、昼間の時間が一番永い日だと言われても、あまり実感は湧かないです。 でも、明るくなると起き出す鳥達の鳴声は確かに、4時頃から聞こえ出しますから、夜明けは随分早まっているのでしょう。  昨日に引き続いて梅の実を使った瓶詰め作りに熱中しました。 もっとも、始めたのは午後からで、午前中は入院中の伯母さんから頼まれた買い物をしたり、小説読んだりしてました。 家の中の梅の実は眠るのに邪魔に成るほどの強烈な香りを放っていますが、一晩経っても余り柔らかくなって来ません。 だからナイフで皮を剥いて鍋に入れて火にかけました。そうしたら汁が沢山出るのです。砂糖と混ざったその味は、青梅と氷砂糖をビンにつめたまま、ほったらかして置くだけで出来る梅ジュースの味に似ています。 だから、梅ジュース成分の液体を掬って壜に詰め、鍋の中に残した果肉には砂糖を更に加えて煮詰めてジャムを作りました。 一度に2種類の壜詰めが出来上がるので「ラッキー!」てな気分です。 次の鍋用には、より皮が青い梅の実でやって見ました、梅ジュース成分は、こっちの方が更に美味しい感じです。 夕方5時頃まで作業を続けましたが、梅の実はまだ土鍋に7杯分くらい残ってます。 明日以降のジャム作りはのためには、ガラス瓶を追加購入が必要ですね、100円ショップに買出しに行かないといけないな、  おっと、今日は市長選挙と、市議の補欠選挙もあるんだ、行って来なくちゃ・・・
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梅ジャム作り

2009-06-20 20:57:28 | タナカ君的日常
 今日は朝から梅ジャム作りを妻と二人で熱中してました。 砂糖を買いに行ったり、壜詰にするビンの洗浄・消毒やらの前作業から分担して始めました。
 落ちていた実は洗っても汚れが完全には落ちないし、皮には黒い斑点も沢山付いていたり、果肉が痛んでいる物もあります。それで、皮は剥き、痛んだ果肉は取り除くて作業も必要です。剥き終わったのが上の写真です。
 木からもいで来た実は熟し方が様々なので、選別から始めました。 おへその様な窪みにヘタが残っている物があるので、それを爪楊枝様の道具でヘタを取り除きました。その後は、汚れがほとんど付着してない綺麗な肌の皮なので、軽く水洗いしただけで皮ごと鍋に入れて煮詰めました。皮ごと煮込んでいる所が下の写真です。



 こんな風にあれこれやらなくてはならないので、午後の3時まで掛かってやっと今日の分を処理し終えました。味見の結果は抜群です、顔がニヤニヤして来ます。残った実も追々熟してくるでしょう。そしたら又ジャム作り作業を続けます。 兎に角、今日の作業は此処まで。 ふーぅ、疲れた。
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梅の実

2009-06-19 21:09:00 | タナカ君的日常
 きのうは妻が近所の仲良しグループとの週一回の散歩の折にどこかの公園で、地面に落ちていたとか言って梅の実を3kg程も拾ってきました。落ちていただけあってすっかり色付いています。 今日はそれに負けじと僕は藤岡まで行って、木になっている状態で色づいた実を貰ってきました、写真でざるに広げてあるのが妻が拾ってきた物で、ダンボール箱のは僕が貰ってきた分です。これだけあれば一年間分のジャムが出来ますね。明日は一日ジャム作りだな。
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何が楽しくて生きているんだろ?

2009-06-18 12:51:55 | タナカ君的偏見
我が家に一泊してから、足の痺れを訴えて三鷹市にある病院に入院した81歳の伯母さん。 我が家でも、入院先でも伯母さんが階段を登る動作を後ろから眺めて、足に痺れがある事による歩行困難ばかりでなくて筋力の低下で歩行困難なのではないか?と感じました。 入院の主目的は「足の痺れを取り除きたい」との事ですが、入院して10日ほど経過する毎日の殆んどをベッドの上で過ごしていて、病院内を歩行して探検することも無いようです。 だから、これでは足の痺れが改善したところで筋力の更なる衰えを招き、歩行がままならない状況は改善されるどころか、悪化するのが目に見えるようです。

 病院へは妻と交代でほぼ毎日、顔をだしていてお喋りの相手もしています。 その中で「おばちゃん、こんな状態で毎日を過ごしていたら痺れや痛みが消えても、歩くことが出来なくなっちゃうぜ、 もっと動かなくちゃ!!」と言うと、「そんな事はわかっているんだよ!!」「でも、本当におおごとなんだから」と動かない理由を述べ立てます。 伯母さんは藤岡の自宅での生活も買い物や通院などの外出は殆んど車を運転して出かけていて、本当に自分の足で歩く事の少ない生活パターンでした。 仲間と旅行したり、温泉に入りに行ったり、音楽のコンサートを聴きに行ったり、美術展を眺めたり、そんな行動パターン持ち合わせていません。 ただ、ひたすら健康に良いといわれる健康食品や栄養剤等を通信販売等で購入して自分も使い、周囲の人達にもばら撒くのが生きがいのような生活をしています。 たしかに髪の毛は未だ黒々してるし、肌にも張りはあるし、頭はボケてないし、見かけは良いけれど、 伯母さんの生活は何が楽しみなのか理解しがたいものがあります。

 四国遍路で出会った人には、急な石段に腰を下ろし、動かない下肢を手で掴んで動かし、手で全体重を支えて次の段にお尻を移動させる繰り返し作業をやっている方。 自力ではバランスが崩れ歩行困難な人が脇を支えられ摺り足で少しづつ動いている方等が居りました。 それらの様子は「人間は目的意識があれば少々の困難は乗り越えて行動する」見本にみえます。  そこで「おばちゃん、何かやりたい事を探しに外に出てみたら?」「やりたい事があれば、少々脚が痛くても動く気になると思うし」とも言って見ました。 「そんな事やる気が起こらないよ! 前に公民館の編み物教室に行った事あるけれど面白くないし」なんて返事です。 近所にすむ僕の妹なんかも「温泉にでも一緒に行きませんか?」と誘った事もあったそうです。そんな誘いにもほとんど乗っていないようです。
 本人は「お金はあるんだよ、使いきれないくらいに」と豪語しています。 事実、この病院の入院に当たっても、トイレ付きの個室を希望して勿体無いような金額の差額料金を支払っています。 でも俺から見たら「病気の治療ではなくて、養護老人ホームに入所する代わりに、病院の個室を利用してるとしか見えねーよ」状態ですね。 まあ本人が長年貯めたお金を使っていて、家族に支払いの負担をさせている訳では無いらしいから好きにすれば良い事ですけど。 何が楽しくて生きているんだろ?
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