めざましく回復中

2011-01-31 19:18:55 | タナカ君的日常
スキーで転倒骨折以来30日経過しました。 現状報告しておきます。

1. 入浴したとき、骨折した方の手に石鹸付けて洗っても大丈夫になりました。
   ( そうっと静かになぜる程度ですけどね。 )

2. 電動傾斜ベッドを使わなくとも、寝起き出来るようになりましたた。
    ( だから、 2月8日から、札幌雪祭りに出かける準備を進めています。)

3. 今日リハビリのための通院は路線バスを乗り継いで行きました。
   ( 先週まで妻の運転する車で通院してました。)

4. 今日は株のデイトレードにチャレンジしました。
   ( 儲かったか損したかは ヒ・ミ・ツ )

5. 今日は片手運転で自転車に乗って公民館に行って囲碁を楽しんで来ました。
   ( 昨日は妻の運転する車で送迎してもらいました )

まだまだ骨がきちんと固まり、完治するのは先の話ですが、 めざましく快方に向かっていると感じる今日この頃です v(^_^) 
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諫早湾干拓

2011-01-30 21:13:25 | タナカ君的偏見
放送日 :2011年 1月29日(土)
放送時間 :午後9:00~午後9:50(50分)
NHKスペシャル「清算の行方~諫早湾干拓事業の軌跡~」

 昨夜は上記のTV番組をかなり真面目に見てしまった。 放送内容がどこまで真実を伝えているか検証するつもりも無いのだけれど、幾つかは「やっぱりそうか」と思い、開発推進側が反対派を切り崩す手段として、同じ海で漁業者として生計を立てていた者同士を反目・分断させる手段として、目先に現金(補償金)をちらつかされた時の人間の弱さには、やり切れなさを覚えたりしました。

<やっぱりそうか>

1. 不誠実な環境アセスメント。

 原案に関わった関係者が登場して、最終的取り纏め者(開発主管省庁)をなじっていたが、
 今頃良い子振らないで、 お前が、その時に最終資料の欺瞞性を公表しろよと毒付く僕。
 
  環境アセス資料なんて、開発主導側のご都合資料程度の物、
 「悪影響は軽微」と表現され、結果が予想に反した場合は追加補償するとの
  条項を付け加えるべきではないかな。

2. 地元へ国家予算を付けさせ、工事をやる。 << これこそが 主目的。

 食料増産、 災害対策、 工業・農業用水確保、 お飾りの開発目的はコロコロ変化すろ。


<やり切れない想い>

 1千万/1人 程度であったと言う漁業補償金。 それで漁民の中には賛成者も出てきて、結果的に反対意見の人と反目を生じ、 地域のコミュニティも崩壊する。 「魚介類が湧く海」と称された海での漁民の収入がどの程度のものであったか僕には判らないのだけれど、 目先の現生に人間は弱いからなー。

 「何でもかんでも開発反対!」と叫ぶつもりは無いけれど、諫早湾の干潟の海水自浄能力を殺してしまった。 あの干拓事業は筋悪な開発行為だったと思うよ。 鉄板で仕切った湾の「水門を開けて様子を見ろ」との高等裁判所の判断に対して、今度は漁業者と農業従事者がいがみ合いを始めた様子を見せて番組は終わった。

 ところで、 どうせ試すなら、仕切った鉄板を全部引き上げて開放して確認しなくちゃ中途半端だと思うけどな。 一部の左右の水門だけ開放して様子を見るなんて馬鹿げた試行だぜ。

追記 :
 水しぶきを上げて鉄板で仕切った部分の大半は道路の乗った恒久的な堤防になってしまってるんですね、 だから湾の南北に設けられた水門を開放して試すしか簡単には出来無いみたいです。 でもやろうと思えば堤防を切り崩すなんて作るより簡単に出来るんじゃないかな? 
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骨折後社会復帰 第1弾

2011-01-29 13:05:13 | タナカ君的日常
 「こうやって年に一度集まって、楽しそうに歓談する。 皆さんの、そんな姿を見ると面倒な幹事役も”しょーがねーな、又やってやるか! と続けて来ました・・・ 」と幹事さんの締めくくりの挨拶。 立川グランデュオの中華街のお店で開かれた昭和40年台に存在した元の職場の面々との新年会には、骨折してまだ治っていない身体の僕としては、人ごみの中を移動する危険性に尻込みしたい気分もあったのだけれど、 たまたま出張で帰省中の息子の運転で家から駅まで車で送り迎えしてもらって参加しました。 車から降りたビックカメラ前から駅の南北通路を歩く時には、前方を2人で並んでペチャクチャお喋りしながら歩いていた女性を前方の護衛として利用しながらついて歩きました。 この作戦は効果的で誰にもぶつからずに済み、無事に骨折後社会復帰第1弾「立川南口のグランデュオでの新年会」に参加出来ました。


新年会集合写真

 自営、あるいは創立した会社で役員として現役を続けている者を除くと、今年一杯でいわゆるサラリーマン現役者はゼロになるようです。 誰かが言っていた 「俺達の世代は日本の成長期に巡り逢って、仕事に夢も持てたし、ラッキーな世代かも知れないね」の言葉は、かなりの共感を覚えます。 でもこれから先の残りの社会環境や人生がどうなるか? 不安要因は多々有りますが、 ロンドンを起点にヨーロッパ、シルクロード沿いの国々、中国、韓国、そして九州から東京まで10数年の歳月を掛け、仲間と歩きつなぐ異業を成し遂げた人を幹事長に持ち。 それぞれも、SAJ傘下の組織に属して、今もスキーを楽しんでいる人、 なんだか「三途の川の縁からから引き返して来た」という幸運な者、 熱中すれば、今も徹夜仕事をこなす人、 この寒いさなかに川釣りに出かけて「半生の練り餌を触るので指先にアカギレが出来る」なんて事を自慢する者、 ここに集まった面々はこれからも元気に生きて行くことでしょう。  では、又、来年。 See you!!
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体調レベルアップ

2011-01-28 17:20:15 | タナカ君的日常
 今月2日にスキー場で骨折して以来、スキー場から自宅への車の運転、 家に戻ってからの通院、 日常的な炊事や洗濯、 入浴時の着衣の脱着、図書館からの本の借り出し。 何からなにまで妻の世話になりっぱなしだし、 腕も痛くて元気が出ないから、少々の不満は有っても文句は言えずに黙っていた。

 それが今朝、 先日の我が家での集まりの時に広げてあった電気カーペットはさっさと片付けてしまってあるし、 唯一の暖房器具である電気ストーブはスイッチは切られたままで別室に置いてあるから、朝食の時も寒くて仕方ない。 雪山用の羽毛服を着用して、スプーンで食事を黙々と口に運んでいる間に、バカバカしさマグマがお腹の中で煮えたぎってきた。 このまま黙っていたらお腹の中で溶岩が固まってしまい身体に悪い事が起こるのが目に見えている。 そこで 「何故ストーブを食事のテーブル近くに戻して、使おうとしないんだ?」と詰問調で聞いてみる。 結果は、日常的に生じる夫婦のいざこざへと向かう分けですが...

 僕の体調がいざこざに耐えられるかも知れない程度にレベルアップして来たって事だろうから、夫婦げんかの発生も見方を変えて、喜こばしいこととしましょうかね。
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困ったハト君

2011-01-27 16:03:05 | タナカ君的日常
 流行りの「エコ」で業者の口車に乗せられて、屋根の上に太陽電池パネルを乗せる人も出てきたけれど。 「発電効率がこれこれで」、「売電すればかくかくで」などの”うたい文句”通りにいかないのが世の常です。 駐車しっぱなしの車のフロントガラスだって落ち葉や黄砂等で汚れるように、太陽電池パネルの表面だって随分と汚れて 「メンテナンスしなければ当初の目論見の発電効率が落ちるでしょ」と思っていましたが... いやー想定外の強力な汚染源が有るものです。

 写真は僕の散歩コースにある公園に隣接した、陽当たり抜群な民家の屋根に載った太陽電池パネルです。 公園と言えば鳩は付き物ですが、 屋根に載った40枚で構成される太陽電池パネル群のそれぞれの枠が格好の休憩用の足場にされちゃってます。 今は昼時で大半の鳩君達は公園の地面で採餌中ですが、 太陽熱で温められて気持ちの良い足場の置かれた屋根に戻ると、 自然現象でお尻から「正義色した白い物」を排泄するんでしょうね。 

 人間界のハト君も民衆の味方面して普天間を泥の中に投げ込んだのに、知らん振りして日向ぼっこしてますから・・・ 屋根の上のハト君だけ強く責めるわけにもいかないか?!
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リハビリな日々

2011-01-26 16:00:48 | タナカ君的日常
 リハビリテーション科への2回目の通院となった月曜日以来の日課と言えば1日に3回だった右腕の振り子運動を5回に増やした事と、その際に浮腫を伴っている腕へのマッサージを行う事。 骨折部位は肩関節のすぐ下の上腕部分なのだけれど、 腕関節から2本の骨で構成される肘から下の尺骨周辺の皮下組織や筋肉が粘土に変化しちゃったみたいになっていて、 その部分を指先で押すと粘土を押した時の手応えで凹み、指を戻してもヘコミが残ってしまうのです。 血流やリンパの流れが滞った時に生ずる典型的な浮腫です。 リハビリを担当する先生からも「これを放置して置くと問題です」、「自宅でのリハビリ運動の回数を5回に増やして、その時にマッサージもしっかりやって下さい!」の指示をいただいた。

 まあ、ちょいと腕に力が加わると悲鳴を上げたくなる状態から、随分と状態は落ち着いて来たので「浮腫」にも目が向けられる様になったのでしょう。 この3日間、とにかく浮腫周辺のマッサージを丁寧に時間をかけてやるようになった、その効果もあって、主に尺骨周辺に纏わり付いた粘土状の浮腫の領域は随分と縮小して来ました。
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日本の異能?

2011-01-25 14:15:19 | タナカ君的偏見
2011年 1月24日(月)NHKの番組「クローズアップ現代」では  飛び出せ!“異能”   ~日本の閉塞感を打ち破れ~

と題して IT関係の業界の中でなにやら蠢いている人達にスポットを当てた内容だった。 ベンチャーキャピタル側の人間も選考者側に含まれているようなコンテストがあって、そこでプレゼンする“異能者”達のアイデアに順位を付けたりする良く解らんマイナーな大会では、 世の中の様々な情報を解析して株式市場の値動きを予測して金儲けにつながるシステムの提案者をベスト・アイデアとして表彰する風景も映し出していた。 番組はグーグルやフェイスブックを立ち上げた人々の経済的・社会的成功例と番組に登場させた“異能者”なる人々への期待感を述べたりして締めくくっているのだが... ハッキリ言ってお粗末。

 だいたいにおいて、ベストアイデアに選ばれた株式市場で利益を出せるシステムなる物が完成したとして、そのシステムをあまねく世の人々に使ってもらい、大勢のシステム利用者が売買による利益を得られるか? 普通に考えたら、そんな事は実現出来るはずがない。 そのシステムの導きだす情報を利用する人々が市場に関わる資金量が相場全体に渦巻いている資金量と較べて無視出来るほどであれば、もしかしたら利益が出せるかもしれないが、 株式市場への参加者のほぼ全員がそのシステムの言う事を信じて投資行動を起こしたら・・・結果は見えていますね・・・、 そうです、その情報の裏をかく投資行動によって確実に利益を物に出来るのです。

 株式市場予測なんかじゃなくて、膨大な変数を入力して意味のある結果を安いコストで実現できるシステム構築方法の具体化案なら、 僕も少しは金を出してみても良いと思います。 今は国家プロジェクトとして大量の開発資金を投入して作ったたスーパーコンピューターの様な物を以てしても、入力変数の質と量の問題なのか、台風の進路や明日の天気もそれほどの精度で予測なんか出来てませんからねー。 しかしコンピュータが登場した初期の頃、マシンタイムを待つ利用者の行列が有った時代は、あくまでも計算機であったものが、PC登場以降のの各分野への進出と機能の拡張には目を見張るものがあります。 だからこれから、スーパーコンピューターが持つ機能を誰でもが利用可能な環境が出来たら、新たな分野での発展があるかも知れないぞ! と少しは期待をしてみます。

 ところで、今をときめくGoogleやFace Book、 彼らの創りだした物は、利用者の共感を呼ぶ便利さや楽しさを備えていた。 だから利用者が増え、その利用者あるいは開発者が目論むデータベースの拡張は、ある程度まで自分たちが利用出来る資源で拡張し、それを追い越す勢いで利用者が増えていった。 そして必然的に、その後の資金提供者や経営的手腕を持つ人材を惹きつける魅力も出てきたと思えるのです。
 それに引き替えて、繰り返しのボヤキになりますけれど、 大勢の人間の期待を担える可能性なんてコレッポッチも無い、多変量解析などと数学的化けの皮を被せた株取引システムの開発提案に期待を寄せて見せる(あるいは、振りをしてみせる)番組だったなー。 日本に住む特殊能力者の本当の姿はあの番組の登場人物で無い事を祈っちゃいます。 
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人の死に際―2

2011-01-24 14:42:29 | 昔話
 今朝起きて、ブログの巡回を始めたら昨年の暮れから余命1ヶ月と宣告されたお母さんを兄弟を含むファミリー全体で支え、自宅療養生活を叶えてあげていた元の職場の同僚が、お母さんの最後を伝えていました。 

 そして本日1月24日は義父が亡くなった日でもあります。 その義父については去年の6月のブログ「人の死に際―1」の中で ”亡くなる前日に会った時の義父の格好良さは想い出に残っている。 いずれ書いてみたい。” と記した。 丁度良い年忌の日でもあるから、 それを書いてみようと思う。

 妻の父、つまり僕の義父は敗戦の時を千葉県あたりの高射砲陣地で迎え、戦後の混乱期には進駐軍の基地内ベーカリーに職を得て、パンやケーキを焼いていたそうだ。 だから英語だって僕の耳より格段に良く聞こえ、 喋るのだって流暢なようだった。 僕達が結婚して何年か経ってから子どもが生まれ、その子と育児休暇中の妻を実家に残して、義父と僕はそれぞれにとっての初めての海外旅行を共にした。 フランスに入国して、ドイツのフランクフルト空港から出国するその旅は、航空券と到着地と出国地での宿が確定してる以外はヨーロッパ各地の宿で使えるクーポン券を支給され、途中の行程や宿は「自分たちで鉄道等を使い、好き勝手に移動・観光して下さい」が売りの海外旅行だった。

 パリを起点にスイス・グリンデルワルトやツェルマットの街を巡り、オーストリア国内を列車で移動する頃には2人が連れ立って旅を続ける必然性をお互いに感じなくなり始めていた。 それでオーストリア・インスブルックの駅に到着した時には「別れて旅を続けましょう」となりました(単純に言えば喧嘩別れです)。 義父はそこからハイデルベルクを経由して、最終地のフランクフルトへ向かうそうです。 ぼくはザルツブルクまで行って、映画サウンドオブミュージックのロケ地を訪れ、ミュンヘンからロマンチック街道をバスの旅をしながらフランクフルトへと戻ります。
 そんな事のあった旅の最後の宿で義父と再会するときは、随分と気まずい想いをしなければならないかと覚悟していたのですが・・・ あにはからんや義父は上機嫌で「面白い飲み屋が有るぜ!」、「どうだい一緒に行くかい?」と僕を誘ってくれました。 日本で言えばチョット大きめの赤提灯と言った趣の店でした。 楽しさの理由も判りました。 そこに屯する、かっての同盟国ドイツの戦友とお近づきになっちまったって事のようです。

 そんな義父との関係が始まって8・9年すぎた夏の日のこと、唐突に 「どうだい、俺を郵便局の簡易保険に入れてみないか?」、「今なら入れるし、 結構儲かると思うぜ・・・」 なんて言うのです。 その時は「金に困っている訳じゃないし、義父さんを保険に入れて金儲けするつもりも有りませんから」と返事しました。 そんな事のあった翌年の1月中旬に、義父は自分でホスピス的な看護が期待出来る病院を手配して、さっさと入院しました。 すでに10年ほど前に、癌の手術をして、お腹に袋をぶら下げる生活を続けていたのは僕も知っていました。 でも死期が近いほどの状態だなんてしりませんでした。

 義母や妻を含む義父の3人の子供達は毎日の様に病院を見舞い、1月23日には「もう永くない」と全員が病院に詰めていました。 3つ程になっていた息子と僕は家に居たのですが、暗くなって妻から電話が入りました「今夜が峠だと言われたので、 すぐに来て下さい!」 と。

 冷たい風が音をたてて吹いている夜でした。 息子を腕に抱えバス停に向かう途中、何かに脚を取られてすっ転ぶアクシデントがありましたが、何故か衣服に泥が付いただけで、息子も僕も無傷で済みました。 「ラッキー」としか言い様のない、その出来事も忘れられない、その日の想い出の一部となっています。

 到着した病室には親類縁者が沢山集まっていました。 義父の意識はハッキリしていて、会話にも力があり、なんの問題も無さそうに感じてしまいます。 集まった人それぞれに別れの言葉を伝えています。 その様子はTVドラマの作り物の臨終シーンか?と感じさせてしまいます。

 僕の番になりました。 僕は来る途中で用意した真っ白な日記帳を義父に手渡し「これに入院日記でも書いたら、暇つぶしになりませんか?」と言うと、「よせやい、 俺はもうおさらばだよ」 「初めて行ったヨーロッパ旅行、本当に楽しかったね、行けて良かった、有難う!!」 こんなやり取りを、 思い出しながら書いていると涙が出てきてしまいます。 
 そして、義父の息子の一人には、布団の下で見えない腹を触らせて 「凄く膨らんでいるだろう? 痛くてたまらねーんだよ」 「医者はね、腹水を急に抜くと死にますよ」と言うけどね、 「もうイイから、どんどん抜いて貰いたいよ」なんて言ってました。 ベッドの脇には抜きつつある腹水が溜まったビニール袋があり、単純な透明では無く、淡い赤みが加わった液体でした

 その夜が義父の最後になるとの事だったけれど、夜の9時を過ぎ、 我が家も含めて妻の弟家族の所にも同じような年頃の小さな子ども達が来ていて、 彼らをベッドの側に居続けさせる事も出来ません、 それで。それぞれの連れ合いが、小さい子供たちを連れてタクシーに分乗して夜を過ごすために妻の実家へともどりました。 そして翌朝「お父さんが今朝(1月24日)に亡くなりました」 「家に連れて帰りますから、部屋を少し片付けて置いて下さい」の電話連絡がきたのです。
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多機能過ぎるマウス

2011-01-23 20:03:14 | PC & Soft
 去年の秋口から我が家のPCのマウスを丸い玉ころが転がる昔ながらの物から、光学式マウスに取り替えてあった。 そいつに原因があるなぞとは思わないで、 たまにWeb閲覧中に奇妙な動きをする事が気にはなっていた。 その奇妙な現象の具体例は、折角IDやパスワードを入れてメールだとかネット上でのチケット手配のために、暗号化されたページをアクセス中に突如としてページが切り替わってしまう様な事だったりします。 その変な動きは右手を怪我して左手でマウスを操作するような今年に入ってから頻発しだしたと感じていました。 

 その原因が判りました、マウスの左側面手前に小さな押釦スイッチが組み込まれていました。 そのボタンに間違って触ってしまったために意図せざる動き、ブラウザソフト画面上の[ 前のページに戻る ]ボタンをクリックしたのと同じ結果を引き起こしていたのです。 マウスを上面から眺めてもそんなボタンが有るなんて気づきにくいデザインです。 なんだか自動車のハンドルの何処かにギヤをバックに入れる隠しボタンが組み込まれているような、とんでもなく違和感のあるぼたんです。 「こんなの止めてよ」と思うのは僕の頭が硬くなったせいなのでしょうか?

 このマウス、実は電気製品を購入したときの値引き交渉の中で「じゃー光学式マウスをおまけしてよ!」と言って付けてもらった奴で、機能を詳しく調べて買った物じゃないんですけどね。
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4km超の歩き

2011-01-22 15:32:22 | タナカ君的日常
「23日、良かったら最後だけでも歩いてみませんか。」 そんな友人の誘いに応じられるものかどうか? 玉川上水まで歩きで往復してみました。 片道2kmだから往復したら今の僕では1時間半以上の外歩きになるだろう 「大丈夫かな?」と思いつつ試しに歩いてみました。 一番気をつけなくちゃならない奴は歩道を走る自転車です。 右腕に直接ぶつからなくても身体にぶつかられたら、よろめいてどんな事になるか判りませんからね。 五日市街道を北に渡って玉川上水に向かう途中では歩道の改良工事が行われていました。 幅が狭くなっている区間が100mほどあった。 そんな所では「後ろから自転車のベルを鳴らされたら嫌だな」と神経を使いましたが、特に問題も無く歩けました。 

 しかし、11時少し前に歩き始めたのだが、戻ってみたらやはり12時半を過ぎていた。 まあ、そこまでは気が張っていて歩くことに集中していて気がつかなかったけれど、 久しぶりの1時間半を越える外歩きで随分と疲れたみたいです。 昼食を食べた後は右腕を振り子の様にブラブラさせる1日に3回やる昼時のリハビリ運動もせずに、お昼寝モードに入りました。 で、昼寝から起きて、 血流の滞りがちな腕のマッサージや振り子運動などのリハビリやってから、 今日のブログ書きをやってます。 

 ところで写真は立川通りと玉川上水が交差する小川橋の少し下流側の遊歩道の様子です。 この寒い時期は、玉川上水に流されている下水処理水の匂いもほとんど気にならないので気持よく歩けると思いますよ。 対岸の遊歩道を中高年の10人を越えるグループが歩いていましたが、なにやら野鳥の観察を兼ねた歩きの様子でした。
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