7月31日、 とうとう仲間全員と別れの日が来てしまった。 F君夫妻を能代の宿の玄関で見送り、 ヒロカズ君を秋田駅まで車で送って、そこで別れる事にしました。 ヒロカズ君の当初予定は能代から五能線・青春18切符の旅を開始する日であったけれども、天候不順で旅を中止して、帰宅の途に着くことになりました。 彼は最上川ボート下りのサポート役を快く引き受けてくれて、助かりました有難う!! 無事に家に帰ってください。 そしてF君家族は、自宅に残した猫の心配をしながら忙しなく帰っていきましたが、事故などありませんように。
かく言う僕も青森・秋田方面の祭りや花火見物は天候不順で諦めました。 こっち方面の天候不順と言えば、昭和50年代初頭の岩木山麓・大洪水の事が頭をよぎります。 あの時は今は鬼籍に入った桜井さん達と岩木山に登りに行ったのだけれど、 弘前から百沢へ向かうバス道路が寸断されて、 途中までタクシーで進み、山麓をだいぶ歩き、安全のために自動車道をウネウネと山頂へと登った記憶があります。 そんな訳で、僕のこれからは、秋田から徐々に南下しながら、8月2日の長岡花火を目指します。 それまで日数が有るので、天候が許せば寒河江市側から「葉山」を登ろうかと思います。 今は秋田駅の駐車場に車を入れて、妻に一人旅に入った事を電話で伝え、PCをインターネットにつないで地図のDLや登山記録情報の収集に熱中しています。
掲載した写真は最上川ボート下りの4時間で火傷の様に日焼けした足です。 足首付近の蚊に刺された跡も、掻き壊すと大変なことになりそうな状態です。
かく言う僕も青森・秋田方面の祭りや花火見物は天候不順で諦めました。 こっち方面の天候不順と言えば、昭和50年代初頭の岩木山麓・大洪水の事が頭をよぎります。 あの時は今は鬼籍に入った桜井さん達と岩木山に登りに行ったのだけれど、 弘前から百沢へ向かうバス道路が寸断されて、 途中までタクシーで進み、山麓をだいぶ歩き、安全のために自動車道をウネウネと山頂へと登った記憶があります。 そんな訳で、僕のこれからは、秋田から徐々に南下しながら、8月2日の長岡花火を目指します。 それまで日数が有るので、天候が許せば寒河江市側から「葉山」を登ろうかと思います。 今は秋田駅の駐車場に車を入れて、妻に一人旅に入った事を電話で伝え、PCをインターネットにつないで地図のDLや登山記録情報の収集に熱中しています。
掲載した写真は最上川ボート下りの4時間で火傷の様に日焼けした足です。 足首付近の蚊に刺された跡も、掻き壊すと大変なことになりそうな状態です。