今朝のTVでは2025年・大阪万博の開幕まで 100日ほどになった事を伝えていた。 未完成のパビリオン、 完成した施設の紹介、 チケットの販売状況など色々紹介していたが、 僕の心に「是非とも見に行きたい!」の感情が湧いてこない。 また赤と青で構成された雑で安っぽさを感じさせるキャラクターを見る度に「誰がこんなデザインを採用したんだろう?」との思いが広がるのみ。
開催期間は4月13日から半年間。 「赤字にならなければ良いですね」の気持ちは有るけれど、 積極的に出かける事は無いでしょう。
今朝のTVでは2025年・大阪万博の開幕まで 100日ほどになった事を伝えていた。 未完成のパビリオン、 完成した施設の紹介、 チケットの販売状況など色々紹介していたが、 僕の心に「是非とも見に行きたい!」の感情が湧いてこない。 また赤と青で構成された雑で安っぽさを感じさせるキャラクターを見る度に「誰がこんなデザインを採用したんだろう?」との思いが広がるのみ。
開催期間は4月13日から半年間。 「赤字にならなければ良いですね」の気持ちは有るけれど、 積極的に出かける事は無いでしょう。
先日なにを見るとも無くテレビの電源を入れて、 たまたま放映されていた番組「水素が地球沸騰化対策の切り札に」を見はじめた。 そして番組の最後まで見てしまったのだから、 内容的には僕にとっては面白く感じる番組ではあったのだが・・・
画面に登場する漫画家イエナガ君の「早口?」と言うか、「句読点無しに聞こえる語り口」が僕の脳味噌に合いませんでした。
本人が勝手にその様なしゃべくりをしている訳じゃ無くて、 番組製作の主導権を握る監督さんだか演出家だかみたいな人の指示に従っているだけなんでしょうけどね。
視聴者の一人としては地球温暖化問題を解決する一つの方策として、 太陽光、風力などを利用した発電、 その電力で水を電気分解、 得られた水素を何らかの方法で凝縮貯蔵(現在研究・開発段階)、 その水素と酸素の結合時に発生するエネルギーで車のエンジンを動かす。 そうすりゃ地球大気中の二酸化炭素の増加は減らせるなんて話に「なるほどね」との想いで聞き入るのだが、 滅多矢鱈と早口で語られると「とにかく疲れる」。
「なんとかしてよNHKさん!」 と想うと同時に、 地球上のあちこちで増え続ける人口や、 人々がより良い生活を求めて頑張る気持ちを今のままにして地球環境を維持しようなんてのに無理が有りそうに思うんだけどな。
イスラエルと戦闘状態にあるレバノン国内のヒズボラ系の組織員が情報伝達に利用する目的で携帯していたポケベル内部に爆薬が仕掛けられ、なんらかの形でリモコン操作で複数のポケベルが一斉に爆発し、死者と負傷者多数のニュースが飛び交った。
誰が(どこの国が)計画実行したのか? 小型の機器に爆薬を組み込み、起爆システムを組み込み、 それをターゲットとする相手に持たせるまでの一連の行為の実行力、 かなり多方面の能力や資金を持つ組織でなければ実行出来ないだろうと考える。
そして、それは勝手にイスラエルだろうと思い込み、 子どもの頃からアンネの日記やアウシュビッツのガス室の話などで刷り込まれた可哀想なユダヤの人々のイメージは消え去り、 僕の心の中では、いまや嫌な奴等・・・ と変化しつつあります。
ヤナバ暮らしの中、 今朝は4時半過ぎには目覚めてしまった。 起きるには少し早いだろうと横たわったままウジウジしていたが、 結局5時少し前には寝床を抜け出し、 明後日の長岡花火に備え、カメラのレンズを広角に交換したり、 電池を充電し直したり、 なんやかやと動き出した。
そして階下の居間に降りてTVを付け、 放映中だったオリンピックの体操競技を眺めた。 どうやら放映中の映像はLiveでは無くて、 金メダルを獲得した体操選手の活躍ぶりを抜き出したものの様だった。 しかし、 画面の中の金メダリスト 岡 慎之助 さんの演技素晴らしかったですね。 今まで最近の体操選手の顔と名前なんか全く知らなかった僕だけど、 「今日のブログネタはこれだ!」と思ったから、 画面に出た漢字の名前を手近な紙に書き写してしまいましたよ。
ところでオロンピック競技の様子はTVのニュース番組で見る程度なんだけれど、 柔道なんて見ていてちっとも面白く無い。 「待て」やら「注意」やら、 審判が口にする日本語使用の競技故にありがたさを感じる人も居るかも知れないが、 ユニホームである柔道着の袖口や胸ぐら付近の掴み合いだらけで流れる時間、 格闘技の迫力や面白さが全く感じられないですね。
東京都の都知事選が始まっている。 立候補者のポスター掲示スペースは50人分だかのスペースが用意されていたが、 それを上回る立候補者があったそうで、 その準備したスペースだけでは足りない分はクリアファイルに入れて掲示板に継ぎ足して掲示する騒ぎに発展している。
しかしねー、 この騒ぎ「NHKから国民を守る党」なる組織が擁立した24人もの多人数の立候補者数が原因だ。 何やら自分たちが当選する気持ちは無いみたいで、 ポスターを貼り出すスペースを金に変える事を企んでいた。 とにかく全く選挙とは無関係な人に掲示スペースを有料で利用させるなんてフザけた行為に及んでいる。
ところで立候補には供託金300万円を出しているはず。 その供託金は有効投票総数の10%未満しか得られなかった場合没収される決まりだから、 NHK党からの立候補者の大半は供託金没収となると想うのだが・・・
彼らにとっては供託金没収を上回るポスター貼り出しスペースの売出しで利益が出る計算なのかしら? それとも立候補している人間は余程の金持ちの暇人で自分の懐から金を出して遊んでいるのだろうか?
一昨日だったかのTVニュース番組で 消滅可能性自治体 なる8文字言葉が画面に大きく出ていた。 それを見て僕は妙な違和感を感じました。 それは「人口戦略会議」なる民間組織が、 将来的に「消滅の可能性がある」とみなした744市町村の一覧を公表したことを伝えるニュースのタイトル文字でしたが、
「可能性」って僕の脳内では「良いことが生じる事に対する期待感」を表す言葉のイメージなのです。 だから過疎化などが原因で生じる人口減少によって、 従来規模の自治体(村や町)機能を維持できなくなる。 そんな暗い未来を想定させる状況説明の場面で使うべき言葉では無いだろうとの思いが有りました。
「僕のその感覚は世の中的には認められているのだろうか?」と想って、 「可能性」の用例や文章を検索してみた中で・・・
goo ブログのブロガー・夏木広介氏がUpした
なる記事を見てホットした気分になりました。
ところでTop写真に記事と関係ないバールが新聞紙の上に置かれているのか? 本当は今日のブログのテーマは友人から一年間借りっぱなしになっていた写真の大工道具・バールを見つけ、 それを返却しようと電話した所、「俺ん所にはバールがもう一つ有るから、 それは田中さんにあげる」と言われた話にしよう・・・とおもい、 古い新聞紙の上に置いて撮影したら、 気が変わって、 この様な記事をUpすることになったのでした。
雪の結晶撮影の際に使用する車、 それを包み込むタープを車体に固定する小道具のカラビナ。 Top写真はそれらを片付ける時期が来たので、 バラして保管する事にしたのです。 5個の百均で購入したカラビナが絡み合っていますが、 「こんな複雑に絡み合わせて保管しなくてもヨイんじゃ無いの?」と感じませんでしたか?
数学の一分野、 位相幾何学で考える事も無く、実際はとても簡単な集合体です。
白色のカラビナ一つを左手に持ち、 他のカラビナを順次そこに引っ掛けただけなのですよ。
世の中のややこしい出来事が何処かを指先で摘んで揺する事で、 単純な全体像が見え、 万人に理解可能となったら世の中は戦争の無い平和な世界が実現出来るか?
否否、 「それは有り得ない」。
僕の偏見では、 何十年も「核兵器廃絶を願う」お題目だけ唱えて世界平和に貢献していると思い込み、 近頃の日本を率いる政府の兵器輸出の制限緩和や国防費増大への動きを見るにつけ、 僕を含めた多くの日本国民が「戦争をする国への変貌に無頓着」、 ないしは「無意識下での現実肯定が強すぎませんか?」との想いが強まっているのです。
入院予定期間が一週間と知らされていた、 とある手術。 手術の後は順調な回復軌道に在るらしく、その状況は日々Lineで知らされていた。 退院の際には入院時に持ち込んだそれなりの量の品々は片腕で持ち運ぶのは少しキツイ重量だったから退院の際、 僕が車で病院まで出掛け、帰宅の手伝いをする積りでいたのだが・・・ Lineグループのトークの中に「早ければ木曜日には退院とのこと」とグループメンバーの一人からのコメントがUpされていた。
「退院とのこと」の表現は僕の感覚で言えば他者(入院者)から発せられたメッセージを受け取った人間の使う表現だ。 そう思い、かつ退院日が決まったのなら 「退院日の情報は僕にも連絡があって然るべき・・・」との「イラッ」とする感覚が湧いて来た。 そしてどうしようも無いLineでのメッセージのやり取りが始まった。
僕:「木曜日に退院とかは確定なのですか?」
W:「入院手続きの中に有った予定日です」
「退院日の詳細は知らされていません」
僕:「退院日は確定していないと言う事ですか?
木曜日に確定しているのですか?」
僕の質問は退院日は決まったのか? なのだから
返事は 「未だ決まっていません」 か
「木曜日に退院に決まりました」の
2つに1つであるべきなのだが・・・
メッセージのやり取りはこんがらかっって、
最終的な僕のメッセージは 捨て台詞に変容し、
(タクシーで)「自分で帰るからご心配なくと思っていると判断します」
になってしまいました。
アルミ製の一円硬貨、 銀行や郵便局では価値の有る通貨と認められなくなってしまったと感じるようになりましたね。 受け渡しの際の数える手間を考えると多量の一円玉はそれを扱う人件費等を考えると利益に結びつかない邪魔者扱いされる様になってしまったのです。
2年ほど前にスーパーのレジでの支払いの際下二桁の(38円のような)金額部分を持って行った多量の1円硬貨を硬貨投入口に入れ、 百円部分相当の支払いに当てる為に千円札を入れた事があったのですが・・・、 釣り銭には100円玉と10円玉が混じって出てきた事があったのです。 つまり下1桁部分の8円は受け付けたものの、「一円玉で投入した2桁目の30円部分は単に飲み込まれてしまっただけ」の如き扱いとなったのです。
レジのネーチャンに「30円返せ」とクレームつけるのは「客の正当な要求」だろうとは想ったものの、 昼飯喰ったら公民館囲碁に出掛ける都合が有ったことや、「面倒くせー」の気分もあって、 なにもせずに店を出た事がありました。
まあ今は大半の支払いはカードで支払いを済ませられますが、 千円札の現金を手に入れたい事がたまに有ります。 そんな時には1円玉と5円玉で合計9円をポケットに入れ、 スーパーに買い物に出掛け1万円札と下一桁分ピッタリの硬貨を投入して買い物の支払いをする様になりました。 こうすると金融機関に行かなくとも近所の店で不要な1円玉の処分と千円札の入手が実現出来ますからね。
若い頃に所属していた山の会。 その会のメインの目的である山行をはじめ、 会報を発行する際の印刷製本と言った側面での支援を行い、 会の活動には無くてはならない人物だったY氏、 その奥様(「愛称:おかあちゃん」)が今では老人介護施設に入所されてから久しくなっている。 つい最近届いたハガキで群馬県に在る施設に移った事を知った。
そこで今朝、 ハガキにあった施設に電話を入れた。 目的は「面会が可能か?」の問い合わせ。 結果は「インフルエンザが流行中」を理由に来年2月頃まで面会の受け入れは中止しているとの事だった。 ついで現在の健康状態をお聞きしようとしたら、 個人情報を理由に回答を拒否された。
近年の、個人情報保護を理由にした情報発信を控える行為の蔓延、異常ですね。 これで世の中の人々が不幸になるのを防ぐ効果が大きいと言えるのだろうか?
本当は自分たちが管理する情報開示の手間を省きたい組織、あるいは個人情報を流出させたとの訴因で裁判所に訴えられる可能性を防ぎたい人々の都合でつくられた法律としか思えない。
変な法律、 そして嫌な世の中!
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いまも続いている山の会のメーリングリストに記載された全員に下記文面を送信しておいた。
最近届いたおかあちゃんからの手紙、 前橋市の 有料老人ホームに転居されたとのこと、 今朝、その施設に電話してみました。 その時に得た情報です。 面会 来年2月頃まで面会は受け付けていない 理由 : インフルエンザ流行のため。 健康状態 ノーコメント 理由 : 個人情報に関する事は一切話せない。 (電話口にでた職員の対応です) こんなですから、 ハガキでも出してあげるのが良いかもです。 届いたハガキに書かれた住所を転記します。 郵便番号 371-0125 XXXXXX XXXXXXXXXXXX (あっ俺も個人情報保護活動してる?)