スノーボード初体験

2009-12-31 20:01:58 | タナカ君的日常
 今までスキーばかりでスノーボードに乗ったことはありませんでした。 それが昨晩の簗場の山荘ではショージ君の8-9月に行ったNZスノボ研修(NZ Snow Academy Instructor Training Programme)の話で盛り上がってしまった。 僕もチャンスがあれば、ボードはやってみたかったし、 コーチ資格 Level1を取って来たショージ君としてはコーチ技術を実践するために生徒はウエルカム状態。 両者の思惑が一致して、今日はスノーボードをコーチしてもらう日となりました。 ボードも靴もショージ君の山荘に10セットくらい在って「どれか合うやつ選んで使って下さい 」なので、レンタル屋さんで借りなくても済んでしまいます。

 いつものスキーだったら、ゲレンデに着いたらリフトの一日券を買って滑り出すのだけれど、今日のスノボ講習はショージ君の「一回券を2枚だけ買って下さい!」の指示に従うところから始まりました。 そしてリフトに乗るのにボードは手で持って、鹿島槍の上のゲレンデに向かいます。 最初の長いリフトを降りてから、盆地地形のリフトが集中している所まで、スキーだったら滑って降りていくのに、ここでも指示に従って、リフトに乗って下って行きました。 そして、盆地地形の平らな場所まで行き、講習は開始しました。 内容はスノボ研修での手順に従って流れていきます。必要も無いのだけれど、それぞれ自己紹介から始まりました。  次にゲーム感覚で体を動かしたり、柔軟体操風な動きをしたりしてから、 ボードの着脱、 片足をボードから外した歩行や方向転換、 そして片足キックで直進。 ここらあたりで体は汗をかき始めました。 そしていよいよ両方の足をボードに固定します。 両方の足をボードに固定してからの最初の作業は方向転換、少しずつ飛びながら360°回転、一度に90°程度飛び跳ねながら、4回で360°回転などなど。 次は転び方、お腹側への手を万歳状態にした転倒、背面側への背中を丸めながら後頭部を打たないような転び方をおしえて貰いました。  転んだ後は立ち上がらないといけません。 背中を雪面側に倒れた上体から起き上がったり、背中を雪面に付けた状態から180°回転して腹部を雪面に当てた状態に持ち込んで、手を突いて起き上がって見たり。 もう普段やらない姿勢の動きを次々にやらされて体は温かいを通り越して完全に汗をかき始めた。 そして午前の最後、少し傾斜のある(と言っても5°以下)斜面に上がって、直進滑降、そこから、体をひねって山回り、谷回り。ここまでやって、やっと講習終了。 昼食休憩に入りました。 あまりに真面目に生徒をやったので「草臥れた!!」が正直な感想です。

 午後は先生のショージ君も自由滑降、生徒役の僕たちはリフトの脇を歩いて登って、斜面が傾斜があまりきつくならない場所から発進して滑る練習を続けました。 3時前に温泉入浴休憩。 その後で勝手に短いリフトを使って登り、初めての滑降を試みたのですが、途中で何度も転び、起き上がるのに手間取り、短いリフト一本分を下るのに15分以上もかかる始末。 午後は疲れだけ増加しました、上達した感じがまったくしませんでした。 「ボードの初日に、リフトに乗るなど早すぎたかも・・・」ですね。 スキーで滑れるのだからボードだって何とか成るかもとの思いは簡単に打ち砕かれてしまいました。
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簗場へお出かけ

2009-12-30 19:43:37 | 国内旅行と山歩き
 今年もお正月を雪の簗場で過ごすべく、出かけてきました。 前夜は「高速が混雑すると嫌だから、早め(暗黙的には6時前)に出るぞ!」と妻に宣言して床に入ったのだが・・・ 遠慮がちに「あなた、まだ起きませんか? X時ですけど」と声を越えかけられて、目を薄っすら開けると、カーテン越しの外が明るい気配がする。 「えっ? 何時?」と聞き直すと 「もう直ぐ7時になりますよ」の返事が、 「これは、しくじった」と飛び起きて、着替え、洗面、 食事も済ませていた妻には「車持って来て置いて!」「俺、大きいほうで時間が掛かるから」と頼んで、お手洗いに入った。 僕の分のラップされたパンは車中で食べることにして、兎に角あたふたしながら出発出来たのは7時15分過ぎ。 これでは八王子前後から渋滞してはいないかと気がかりだったけれど、案に相違して高速は順調に流れている。 これって、休日の高速千円ポッキリ制度の適用中止が効いているのだろうか? 笹子トンネルを抜けて甲府盆地に滑り込んだ時には時間的な余裕はタップリ「このまま行くと、昼に仕事から戻ると言っていたショウジ君の家に着くのが早くなりすぎるぞ」とね。 そこで韮崎インターで高速を降りて、国道20号線に降りて塩尻まで走りました。 このルートも諏訪市内手前まで何故かミニ高速道路状態で走れてしまいます、 信号の切り替わりタイミングが抜群で平均時速60kmの連続走行が気分良く続きました。
 塩尻市手前からは、今年付けたカーナビをフル活用、塩尻市内と松本市内は迂回するように松本空港近くを通って安曇野市へと向かいました。 途中道路工事で行く手を遮られもしたけれど、 蕎麦屋で昼飯食って、1時少し前にショウジ君の家にたどり着きました。

 簗場の別荘地は公道は除雪されていますが、個人の家への取り付け道路は自分たちで除雪しないとなりません。 中旬にまとめて降った雪が30・40cmほどに締まって積もっています。 車一台分は既に除雪してあったのですが、僕たちの車のスペースを確保しないとなりません、 スコップと雪運びに手押しそりと鋸を使って、1時間半ほども雪と奮闘して除雪しました。 これで草臥れて「リフト券を使わせてあげるからナイターへ出かけていらっしゃい」と言ってくれたショウジ君の申し出もありがたいけれど断って。 甘いどら焼きを食べて、お茶を飲んで、ストーブの火に当たって、ノンビリ過ごしています。
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阿久根市長の竹原さん

2009-12-29 11:49:15 | タナカ君的偏見
 先日の妙高スキーに行った時に泊まった宿で見た23日付読売新聞の1面「編集手帳」欄では鹿児島県阿久根市長の竹原氏が自身のブログの中で「高度医療のおかげで以前は自然に淘汰された機能障害をもったのを生き残らせている」と発信された事や講演会での話とやらを取り上げて、 最後に”障害者やその家族と一緒に血を流し、笞をもつその人を憐れむのみである。”と結んでいる。 「市長さんでも、こんな事を率直に言う人もあるんだ、素晴らしい!!」との思いをもったものだから、暇になったらそのブログ(”さるさる日記 住民至上主義”)で市長さんの主張を原文で読んで見たいと思っていました。

 いくつかのキーワードを使ってブログ内を検索した結果、件の記事への意見メールと思しき内容が2009年 11月 09日 (月)付で見つかったのですが。 市長さんが書かれた記事を見つける事が出来ませんでした。 意見メールの内容からすると件の記事は「未来を作る」のタイトルで2009年11月9日以前にUpされていたものと思われます、見当たら無いのは後日削除されたからでしょうか? 原文を読むことは出来ませんでしたので市長さんの主張がどのような文脈の中でどのように書かれていたのか分かりません残念です。

 しかし、新聞の編集子が”障害者やその家族と一緒に血を流し、笞をもつその人を憐れむのみである。”などと弱いものの味方ですとばかりの表現で締めくくって居るのを読むと、僕としては「読者へのウケ狙いでしょう」と想ってしまうのです。 こういった感情表現の文字が記事や読者からの投稿欄に踊る朝日新聞を筆頭とする日刊紙は何時の頃(多分40代)からか嫌いになって購読する気が失せました。 そんな訳で、我が家では日経新聞を購読しています。
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個人的な十大ニュース

2009-12-28 20:29:25 | タナカ君的日常
 「我が家の」と言うよりも「僕の心の中の」今年の十大ニュースをまとめて見ました。

1. 弟の失職と半年後の就職。 : 
 世の中の新卒の方々も思うように内定を得られずに苦労されているそうですが、50代の弟の失職中は仕事が見つかるだろうかと、とても気がもめました。 弟が再就職出来た時には、本当にほっとしました。

2. 夏の別荘生活1ヶ月 : 
 大糸線簗場駅近くの。知人の別荘で1ヶ月を過ごしました。 ここは涼しくて、夏の盛りでもクーラーなしで、布団の上で眠ることが出来ます。 大半の期間は一人で自炊したり、外食したり、 貧弱な食生活のためか、樵作業をしたり、土木工事もどきで体を動かしたためか、体重が3kg減って60kgを切りました。 しかし、今は元に戻っています。 

3. 四国遍路結願 :
 3年前から始めた四国遍路の旅、初回徳島から高知、2度目は高知から伊予西条、そして今年、目出度く結願しました。

4. 遊び資金レベル維持 :
 基本的な衣食住は妻が管理する家計費で面倒見てもらえますが、遊びの費用は自分の手持ち資金を自分の管理下で使います。 だから、何かで稼がないと遊びのための手持ち資金は減少の一途をたどります。 今年の前半は株取引で利益が出てくれました。 所が調子に乗って、取引を続けていたら10月以降は負けが込み、11月は最悪の損失、12月はこれ以上利益を減らさない様にするため、取引を一切停止しました。  今年遊びで使ったのと同額くらいの利益は何とか残りました。 「ふーっ、ヤレヤレ!!」です。

5. 物忘れレベル悪化 :
 人の名前が出てこないのは随分と前からの事ですが... 何かの作業の途中で「お茶を飲もう」と思って、急須にお茶の葉とお湯を入れて、お茶が出るまでの間にやりかけの作業をやったりしてると、お茶を飲もうと準備した事を忘れてしまって、急須の中のお茶が冷えてしまう事が何回かあります。 これは今年から始まりました。

6. 乾布摩擦 一年継続 :
 昨年暮れ、何が切っ掛けだったか忘れたけれど、乾布摩擦を始めました。 小学生の頃、学校の体育の時間や家でオヤジに言われてやった記憶が残っています。 当時も「風を引かない丈夫な体」みたいなスローガンがあったと思うのだが、 今やってみて結構効き目が有ると感じます。 寝ぼけて白っ茶けた皮膚の色が擦った所はピンク色になりますし、眠気は完全に吹き飛ぶし、”カゴメのラブレ”みたいな物を飲まなくても、ウンコがきちんと出てくれます。 子供の頃に保険体育の先生から言われた「口に入れた食べ物は25回以上噛みなさい!」との教えも実行してみたい気持ちはあるのだが・・・ こっちはどうも出来ないな。

7. ゴールド免許維持 :
 年間の走行距離はここ2・3年は1万5千km前後、 今年もバック動作の時に自損事故で車に小さな傷を一つ増やしたりしたのだが、 違反点数も無く、ゴールドは維持している。 来年も、このままガンバロウ!!

8. 朱色のフリース :
  今まで、僕の着るものは随分と地味な色の物を着ていたのだが、近頃、図書館で屯している中高年のねずみ色を見ると「お前らゴミか?」みたいな気分になるので、 UNIQROの店で思い切って朱色のフリースを買って着ています。 ここ暫く寒い時期に立川周辺を白髪頭で朱色のフリース着て自転車に乗っている奴がいたら、多分それは僕です。 

9. 健在でいてくれた、あの世への障壁 :
 叔父や叔母は随分とガタが来て居るのだが、 今年は一度も香典の必要が無かった。 貴方がたが居なくなると、僕たちの目の前から、あの世とこの世の障壁が無くなる気がします。 大変でしょうが、もう少しこの世で頑張って下さい。

10. 息子の結婚 :
 「タナカ君、ヒロシ君が普通に結婚しただけで十分だよ・・・」と言ってくれる友達の言葉が全てです。 良い人生を歩んで下さい。
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野生化したインコの群れ

2009-12-27 19:44:47 | タナカ君的日常
 午前10時頃、散歩の途中で野生化したと思われる中型の鮮やかな緑色したインコの群れを見かけました。 国立駅北口から北に歩いた「鉄道総研」のバス停近くの農家の庭に実を付けた蜜柑の樹が歩道近くにあるのだが、近くを通りかかったら慌てた様にバタバタと飛び立ち、近くの別の樹に移って行った。 動かずに静かに立って見守っていたら、徐々に戻ってきて結構けたたましい鳴き声をあげたりしながら蜜柑を啄ばんでいます。 今日の散歩は図書館に本を返したり、国立駅近くで買い物したりが目的だったので、カメラを持っていませんでした。 家に戻って「もう遅いかも」と思いながらもカメラを持って、自転車に乗って急いで戻って見たのですが、 やはりインコ達の食事は終わってしまったようで姿が見えなくなっていました。 そんな話を妻にしたら「随分前から、あちこちに姿を見せているわよ」との話です。 何に出会うか判らないから、これから散歩の時にはカメラを持ち歩くことにしよう・・・ と言う訳で、インコの写真は有りません。
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袖触れ合った人々

2009-12-26 21:29:17 | タナカ君的日常
 今年もあちこちで色々な人達との出会いがありました。 今年、軽く袖触れ合った人達の話を書いてみます。

1. ニュージーランドで :
 北島のトンガリロ国立公園は富士山型の美しい姿の山があるのです。 そのハイキングコースを歩き、写真を沢山撮って引き返す道すがら、なんと声を掛け合ったか忘れてしまったけれど、南島のAbel Tasman国立公園のシーカヤック半日ツアーで一緒になったスエーデン人カップルに再会した事は、当時のブログに書きました。 その時一緒に撮った写真を帰国後にメールに添付して送ったところ「今、カンボジアに居ます、帰国するのは一ヶ月程先になります」なんて返事が来ましたっけ。 その若者から貰った名刺には仕事上の肩書きがあったから社会人だろうに、随分と長い休みが取れるものですね、うらやましい。

2. 息子の結婚式で :
 披露宴がお開きになって、見送りの場にいる私たちに「ヒロシがあんな(結構まともな?)人間になった理由が、お父さんの挨拶をお聞きして判った気がしました」、「ヒロシは大丈夫です、面倒見ますから」職場の上司の方からこんな風に声をかけていただき。 「楽しめました」だの「面白かったです」とか言ってくれた学生時代の仲間達。 多分2度と会う事の無い人々だろうけれど、 締めくくりのお礼の言葉は「思いも寄らず、受けてしまった」みたいです。

3. 四国遍路・多度津駅で :
 71番弥谷寺から歩き出して、77番迄のお寺を巡った日。 もう暗くなった時刻にJR多度津駅から津島の宮駅まで電車に乗り、そこから歩いて、車を置いてある弥谷寺へ戻ろうとしたのだけれど、切符売り場の職員さんからは「津島の宮駅は海水浴シーズンのみの臨時駅」だから「電車は止まりませんよ」と言われるし、 国道11号線を鳥坂峠の辺りを通過するバスでも有るか?聞いて見たが思わしくない。 「こまったなあ」と駅の構内でウロウロしていたら、同年輩の女性が声を掛けてくれました。 その方は明日からの旅のために予約しておいた切符を取りに来たところで、これから家に帰るので「車に乗せてあげますよ」との嬉しい申し出です。 車の中でのお話ではご自身もよく旅行に出かけ、旅先で親切にされた事が何度もあり、 いつか自分も「旅人に親切にしてあげよう」の気持ちをお持ちなのだとか。 お名前も聞かず「ありがとう、ございました!!」の言葉だけでお別れしましたが、本当に助かりました。

4. 四国遍路・結願の宿で :
 88番大窪寺門前の遍路宿「八十窪」に泊まった遍路客は僕を含めて6人、その内の佐賀の82歳の方とは女体山の頂上で出会いました。 持っていた蜜柑を一緒に食べてお話しましたが、補聴器を耳につけていらっしゃる以外は歩く姿も含めて矍鑠とした方でした。 80過ぎても山越えの遍路道を歩く行動力、そしてホームページも開設なさっているそうで、「僕も、あのようになりたい!」と憧れる、人生の先達でした。 

 勝手に付けた綽名「フロリダ」さんは、ハッピーリタイアメントでフロリダにお住まいだそうです。 スペインの巡礼道で日本の若者に出会い、四国遍路道の話を聞いたので、 この旅にやって来たのだそうです。 お赤飯の食膳や全員の記念写真を帰宅後メールに添付して送ってあげました。

5. 花の久住山で :
 ミヤマキリシマの開花時期を一年前に出会っただけの僕からのメールの問い合わせに親切に応えて下さった熊本在住の”肥後の風”さん。
 法華院温泉小屋から平治岳山頂まで後になり、先になり、満開のミヤマキリシマを一緒に楽しんだ賑やかな4人組みの「芦屋の近所のおばさん」達。 本当は芦屋の近所ではなくて「芦屋の素敵な家」の奥様かもですね。

6. 米山で :
 山頂の避難小屋の様子を覗きに小屋に入ったら、箒で室内や土間を清掃していらっしゃる方が居ました。「既にリタイアされ、柏崎市にお住まい」だそうです。 米山には避難小屋の清掃と振り子時計のネジを巻くために月に何回か登って来るのだそうです。 ご一緒した下山路を長靴で軽快に歩く姿は、僕のお手本です。

7. 簗場で :
 青木湖スキー場近くの店は息子さん家族にまかせ、 ご自身は薪ストーブ用の薪を簗場駅近くの国道端で商っていらっしゃる「樹安亭のおやじさん」、 突然訪れて「チェーンソーのエンジンのかからなくて困っています」なんて言う見ず知らずの僕の面倒を親切に見てくれて、その上切れ味の落ちた刃の目立てまでしてくれて、 本当に有難うございました。

8. 雪祭りの津南町で :
 ここ3・4年、3月頭の雪祭りには新潟県津南町に遊びに行くようになりました。 そこで出会い親しくして下さる方々、中でも、小野塚さん(あの周辺は小野塚さんだらけだったかも)には自宅用に冷蔵保存しておく特別仕立ての生酒を分けて頂いてしまったり、お世話に成りっぱなしです。
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干しイチジク

2009-12-25 11:22:23 | タナカ君的日常
 ニュース的には遅い写真ですが、この漢字一文字を苗字に持つ妻の友人がイランから一時帰国されたついでに、我が家を訪れてくれた。 昨日は我が家が留守で会えなかったからと、明日にはイランへ戻る飛行機に乗る慌しい日程の中を今朝、イラン土産を持って再度訪れてくれました。 イランでは人口は7000万人と日本より少ないのに、交通事故の死者が年間3万人、なんて話を聞いたり、「イランに駐在している間に遊びに来てください」、「部屋はありますから、一ヶ月滞在してもらっても構いませんよ!」の申し出には、後先考えずに、妻と2人して「行きます、行きます!!」と二つ返事をしてしまいましたが、 本当はイランに入国した人間に対してはイランに制裁を加えている国々への入国に手間取る事態が発生する可能性が大いにあるので、 あんまり気楽に出かけると、後で困るよ・・・なんて事も気にしないといけないのですが。



 お土産には土産話の他にイラン絨毯スタイルのマウスパッドや干し柿風の半生イチジクを頂きました。 マウスパッドは直ぐに使い心地を試し、イチジクは半分に割って、種がギッシリ詰まっているのを観察してから、押しつぶされて扁平になった実を味わいました。 半生乾燥なので、干し柿と同じように重みを感じ、その甘みもどことなく似通ったものがあります。 決定的な違いは、噛むと内部の小さな粒々の実がザリザリした感じで歯に当たることでしょうか。 珍しいものを有難う御座いました。 無事なフライトを祈ります。
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杉野沢スキー 2日目

2009-12-24 21:37:12 | 国内旅行と山歩き
 杉野沢スキー2日目、 朝食後リフト乗り場に向かうと、高校生と思しき団体が立ち並び、引率者が注意事項をハンドマイクで喚いていた。 民宿街に近い一番下のリフトは旧式でスピードが遅いので、この団体の前に乗らないと大変な事になりそうなので、大慌てで板を付け、リフトに乗って、ゴンドラを目指しました。 朝の天気は氷雨と雪の境目くらいのものが降っているうえに、雲底が低く、 ゴンドラ乗車区間の大半がガスの中に入ってしまい、乗っている間、眺望はほとんど無し。 「写真撮影は昨日済ませておいて良かったね!」状態です。 滑り始めてもガスで見通しが悪く、 コースも定かに見えなかったりする場所もあり、快適な滑走は出来なかったです。 先頭を目立つオレンジ色の板を履き、一番ここのゲレンデのルートを熟知しているF君が勤め、後のメンバーは、前走者のボンヤリ姿を頼りに連なって滑り降りました。 そんな悪コンデションのゲレンデでしたが、 今日はクリスマスイブの日だからか、サンタ姿をした人が動き廻り、スキー客に近づき、プレゼントを配っていました。 僕たちも貰いました。 たあいない品物ですがプレゼントは嬉しいものです。

昼食前の天候は大体そんな感じで終始していましたが、 午後も滑った人たちの話ではお日様も顔を出し、コースの見通しも良くなって、滑り易くなったとか。 僕と文子さんは午後は滑りに出ないで、宿で碁盤を借りて早碁を2局さし、 その後、 他の仲間が戻る予定の3時過ぎまで、 昨晩と同じ日帰り温泉でノンビリして来ました。 兎に角、目いっぱい楽しめた忘年スキー行でした。 幹事さん有難う!! 午後3時半現地解散して、家路に付きました。
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妙高・杉野沢 スキー忘年会

2009-12-23 22:51:38 | 国内旅行と山歩き
 いつもの山仲間と忘年会を兼ねての、今シーズン最初のスキー行は妙高高原・杉野沢ゲレンデです。 僕たち夫婦は昨日中央道経由で簗場の山荘に立ち寄ってスキー用具を借り出してから、 白馬-長野を結ぶオリンピック道路を走り、長野駅前のビジネスホテルに泊まりました。 そして、今朝は朝食後ゆっくり出発して杉野沢に向かい、今朝、東武東上線若葉駅を5時集合で関越道・上信越道を飛ばしてきた他の仲間と宿の駐車場で午前9時に落ち合いました。 シーズン初めの特別料金、分けても、シニア特別料金は1泊の宿代、2日間のリフト券込みで9000円とお得な設定でした。 年を取って白髪頭になったり、物忘れが多くなるのは困り者ですが、こんなシニア料金が利用できるメリットは有難いです。 リフト券は宿の受付で交換チケットを受け取り、リフト券売り場で2日券と交換してもらうシステムでした。 一緒に行ったメンバーのスキーの腕前は特に上手くも無く、特に下手でもない、レベルの揃った、調度良い6人グループです。 杉野沢のゴンドラ駅の上下に在る大きな駐車場は半分以上の空きスペースがある状態で、ゲレンデもとても空いていました。 リフトもゴンドラもまったく待ち時間無しでスイスイ乗れてしまいます。 だから、昼食休憩をたっぷり取って、滑走時間は午前中2時間、午後2時間半と時間的には短かったですが、結構草臥れた気分になるほど滑れました。 夕方、宿に戻ってからはセット料金に含まれている入浴券を持って、近くの日帰り温泉「苗名の湯」で疲れを癒しました。 宿に戻ってからは更にビールで疲れを癒します。 いやー、最高の一日でした。
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子育てする母親の強さ

2009-12-21 11:38:01 | タナカ君的日常
 昨日、賑やかな東京駅近くのビルではXmasツリーをバックに赤いサンタ帽子を乗せて記念撮影するイベントに行列が出来ていました...と言う話題とは関係なく。 一週間ほど前に、「こんど上京するのですが、 食事など一緒に如何でしょう?」と昔の山仲間からメールが来ていました。 こんな連絡をくれる知り合いの少ない僕は二つ返事でOKして出かけてきました。 なんだか身内の方のお世話をするのに「絶対に風邪などひいたりすると困る」状態にあるそうで、メールには「タナカさんもマスクして来てください・・・」なんて文中にあったりしたので、食事中も当然その事が話題になりました。 彼女の娘さんは可愛い盛りのお子さんを子育て中、ところが腎臓機能の今以上の低下を食い止めないと、近い将来人工透析などの処置が必要になると診断されているそうだ。 その病状悪化を食い止めるためには塩分・たんぱく質の摂取を制限する食事療法を徹底したり、定期的な健康診断をきちんと受けるために病院に行ったりしているとか。 そんな場合、孫の世話する手伝いに、娘さんの家に時々行ってあげているのだそうだが、「絶対に風邪など引いた状態で訪れる訳にはいかない」 のだそうな。

 彼女も、子育て中の娘さんも 「子供がひとり立ちするまで、 なんとしても最悪の事態は避けたい」 との想いが強く、随分ストレスになり、悩みもしたらしい。 そのストレスを彼女は「いざとなったら、私の腎臓を娘にあげる」と決断して、今ではスッキリ解消したそうだ。 娘さんは厳格な食事制限を行えば普通の日常生活を送ることが出来る、今の健康状態を出来る限り長続きさせる努力をする。 そして将来いざとなったら母親からの貴重な贈り物を受ける。 ”送る側と受ける側の血液型が異なっても移植手術は問題なく行えるか?”といった疑問点の調査も済ませてあるそうで、 2つの家庭の幸せの最大値を求めると、そうなるのか?!との思いで話を聞きました。 それにしても小さい子供を持つ母親、その子供の祖母と2世代の母親達の子育てに取り組む姿勢は凄まじいですね。 
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