アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

マニュフェストはノーサンキュー

2008年09月18日 | Weblog
   マニュフェストはノーサンキュー

 「マニュフェスト」または、「マニフェスト」と書かれる。英語のスペリングは、「manifesto」…今や、選挙にはなくてはならないものとなっています。この度の自民党総裁選でも似たようなものがぞろぞろ。

 政党のマニュフェスト、立候補者のマニュフェスト・・・国民へ、実行する政策、宣言、声明を知らせる。「選挙公約」と呼ばれていたものを、「マニュフェスト」と呼称を変更。
 「それは違う」とおっしゃる方…おられますよね…その通り、元々は違うのです。しかし、日本におけるマニュフェストの現状を見るにつけ、「選挙公約」と「マニュフェスト」どこが違うの?!…です。私は、ノンセクトラディカルだけど・・・「マニュフェストは、新語主義(ネオテリズム)に過ぎない。思想のテロリズムだ」という考えに、同感です。思想のテロウンヌンはどちらの人が言ってるかって?後述しますが、マニュフェストの意味を正確に捉えている体制側の人々です。

 まあ、その前に、…なぜ、公約をマニュフェストに変更しなければならなかったかですが…「選挙公約=絵に描いた餅」、これを、どげんかせんにゃならん。ここまでは良かった。公約では、ダメだ。そこで、持ち出されたのが「マニュフェスト」
 マニュフェストは、政党や個人に、公約履行に関する、「結果責任」を取っていただくものです。ぶちあげた、理念、展望、そしてグランド・デザイン(早い話が、壮大な計画ってことで…)を達成できたのか?できなかった政党は、きちんと責任をとる。おう!それだそれだ!皆乗った。各政党、各個人が懸命にマニュフェスト作りに勤しんだ。その結果、立派な、実に立派なものが完成。

 不思議の国日本…体制側までが「マニュフェスト作りを進めています…」それがおかしいということ、知らないはずはないと思うのですが…。
 流行なんだから乗った方がいいだろうって?マニュフェストは、元々は、「体制批判」です。共産党宣言(マルクス)は、マニュフェストです。「無産階級は敵意を込めて有産階級を打倒すべし」…なんですから。

 マニュフェストの元々の意味は、「甲は、敵意を込めて乙を駆逐すべし」ですから。ピッタリ同じ。つまり、反体制。
 選挙においてその手法を体制が使ってもいいだろう!って?難しい話とはそこのころで、反体制の原理論であるところの、社会契約論、さらにそれの実践論である社会設計論…もう、気楽に話をするレベルではなくなってしまうものですから…本音は、そういう論を振りかざす人がどれだけ解っているのかな?ですが。かく言う、還暦パパはわかっているのかって?ソーシャル・コントラクトとソーシャル・コンストラクションでしょ。解ってますよ、じゅ、じゅ、10%ぐらいは!そんなわけで、そこのところはあまり解っていませんが、今、日本でマニュフェストはどうなっているかは解ってます(だからいつものように知ったかぶりで、このような文章を書いているのです)。

 マニュフェストは、「政党と選挙民の間の契約文書」それで、政策が遂行されるのなら、議会は必要なくなりませんか?いわば、マニュフェスト政治は、「議会制民主主義の否定」ってことでは…。議員さんの選挙すら不必要になりますよ!またまた先走って極端なことを言うってか?でも、国民の支持を得た政策を、役人が実行すればよいことになりませんか。そういうことでしょう。

 ところが、日本のマニュフェストは、とうていそこまで行きません。マニュフェスト=絵に描いた餅。選挙公約のカタカナ表記ですからね。「結果責任」は、何処へ行ってしまったのでしょうか?国民のチェック機構は?
 これでいいのだとも思います。結果責任を強調するとその先はどうなりますかね。良い点は、政党、政治家は一生懸命やるでしょう。悪い点は、(どうせ、できっこないのがマニュフェストなので、責任をとらされるから)政治は一転、二転、三転・・・不安定なんてもんじゃないです。
 と、いうことは・・・マニュフェストは、評価せずに、絵に描いた餅としておくのが、日本の政治にとって the bestest! ってこと…。

 選挙公約=マニュフェストで、盛り込んでいただきたいもの
1 失言を慎む
2 会議には、適当な理由をつけて休むことなく出席する
3 会議で、居眠りをしない
4 金銭に関しては、1円たりとも明朗会計とする
5 密漁をしない
 以上のことができたら、立派なものです。スピード違反は、入れないのかって?自分じゃ運転しないでしょうから、入れませんでした。

 みなさ~ん!我々が、「愛国心」の涵養に務め、政治意識を高める努力を、ハチドリの一滴でも続けましょう。また出た、ハチドリ!私たちが、政治を厳しく評価しなければ、民主政治にはなりません。現在の、日本の政治…「二流」と諸外国に言われているうちはまだいいですが、「三流」に堕ちたら、我々の責任ですよ!
 う~ん!立派なまとめだ。