アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

「中山成彬の乱」 還暦パパはこう見る

2008年09月29日 | Weblog
  「中山成彬の乱」 還暦パパはこう見る

 「(辞任については)家内と相談して決める」奥様は、中山恭子前拉致問題担当大臣。辞任…奥さんの意向も大切にしている…なんか変だなあ?中山成彬国土交通大臣は、麻生内閣の安全牌だと思っていたのだが、就任2日目で…暴言を吐き、5日目で辞職。
 65歳です。大臣です。「立場を考えた発言をしなければならない」なんて、十二分に解っているはず。なのに、アイヌと日教組と千葉県へ喧嘩を売った。私は、失言などではなく「やる気でやった」と思います。

 <中山成彬の乱の前兆>
 中山成彬さんの、歴史観というか認識は秀でたものがあります。論客です。「日本の伝統文化の尊重」に関わっては、少なくても、自民党ナンバーワンでしょう。小泉内閣のとき、文部科学大臣を務めました。
1 文部科学大臣の時、全国学力テストを提唱。日教組は猛烈に反対しましたから、恨み(?)はこの頃燃え上がった。
2 教育基本法改正の時、日教組が国会議事堂を取り囲んだのですが、この様子も苦々しく見ていた。憎しみが増幅されました。
3 中山さんの選挙区は、宮崎県。東国原知事の誕生にも絡んでいます。と、言うか陰の立て役者でした。宮崎県知事選挙(去年の1月)で、自民・公明両党の推薦する持永哲志ではなく、民主・社民両党の推薦する川村秀三郎を応援したのです。そんなバカなって?本当の話ですよ。そのため、保守票が割れて、東国原さんが漁夫の利を得た格好で当選。中山さんなしでは、東国原知事は誕生しなかったのです。
4 「南京大虐殺は存在しない」というレポートを出した。これは、傑作だと思います。眼からウロコが落ちること数時間でした。住民の数より、虐殺された人が多いってことあるわけない。史実と思われていたものを、ちゃぶ台をひっくり返す星一徹のようにひっくり返した。痛快でした。

 以上のように、「中山成彬の乱プロローグ」は、進んでいたのです。だが、町村派も、麻生さんも気づかなかった。東大卒で、空手6段ですから、頭にも腕力にも自信がある。それまで、「自制して、上手に世渡り」してきたが、「もういいや!自分は自分だ!朝青龍と同じ思考だ」になってしまったんですねえ。「思ったことも言えない大臣なんておかしいでしょう。そう思いませんか!(大臣を横綱に変えると、朝青龍のフレーズになります)」ってこと。

 <なぜやる気でやったか?>
 たかだか1か月だけの大臣です。漫然と過ごしても1か月。大暴れしても1か月です。自民党の最大派閥町村派のまとめ役(事務総長をやっていたときもありました)ですから、町村信孝、中川秀直を引き立ててやりたい。麻生さんは、上げ潮派といわれる中川秀直さんではなく、与謝野さんを選択した。このままでは、秀直は与謝野さんに水を開けられる。町村派躍進のためなら、自分が捨牌になって何とか麻生内閣に「ミソ」をつける必要がある。自分が辞めた後は、麻生さんが批判にさらされ、選挙が早くなれば自民党が不利になる。それでもいい。例え次の選挙で、民主党に政権を渡したとしても、すぐに潰すことができる。その後の自民党は、町村派が牛耳る。ここまで考えた。

 「3つの失言」と言われていますが、アイヌを除けば、全て意図的です。
 「単一民族」発言は、「内向きな民族」と言うべきところを、単一をつけてしまった。乾電池じゃないんだから。北海道のことなど毛頭ないので、アイヌ民族については、全く頭になかったのです。単純なミスでした。
 成田空港反対闘争について、「ごね得というか、戦後教育が悪かったと思う」と言いました。千葉県知事から直接抗議を受け撤回しましたが、腹の中は、「一応謝ったけど、間違ったことは言ってないよ」です。中山さんは、三里塚闘争の様子も知っているでしょうし・・・。戦後の教育が悪かったのは、国民の全員が認めるところです。全員はないだろうって?これだけは、100%です。戦後の教育が良かったという人っていますか?良かったのであれば、毎日毎日犯罪が引きも切らない現状はないはずです。
 日教組問題、これは中山さん甘いです。日本の教育の「ガン」は、日教組だけではない。まだあるので、それらも入れてほしかった。「ぶっ壊すために私が頭になる決意を示した」と述べられましたが、是非やってください。一度口にしたことですから。偉かったのは、「撤回などしていない。するつもりもない」と開き直ったところ。撤回は武士の恥です。露鵬も白露山も、撤回しないんだけど、彼らは武士ではないです。餓鬼です。嘘つきの恥さらしですから。

 今日の所信表明演説から、野党の「任命責任」の追及に拍車がかかります。解散総選挙…11月2日では、完全に自民党不利。少しでも先延ばししたいところでしょう。麻生自民党は、予期しなかった中山成彬の乱で、苦戦は必死です。