アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

火事場泥棒とガッツポーズは同じ 下品だ!

2009年07月28日 | Weblog
 阪神淡路大震災の時、外国メディアは、「災害時に略奪が起こらない国、日本!」と、驚異の目で褒め称えました。私も、うれしかったです。「どうだ!日本はさすがだろう!武士道は息づいている。火事場泥棒などいない国なんだよ!でもホントかな?ともあれ、凄いだろう!」

 「山口の豪雨、避難民家で空き巣被害」聞きたくなかったニュースが報道されました…。豪雨災害で住民が避難している山口県防府市の民家で、空き巣被害が出ているという。豪雨泥棒とはいわない、火事場泥棒という…。避難民家があるあたりは、地域のみんなが顔見知り。地域の神社の管理などの、協働・互助精神が今もある。日常的に、「施錠」など不要の地域。
 犯人は、被災した知人宅に盗みに入ったのか?それとも、外部地域からわざわざ出張して来たのか?前者だとしたら、ショックです。しかし、盗まれたものが「デジカメ」とか?プロの泥棒は、そのようなものは盗りません。前者の可能性が強いです。

 アメリカの災害時の略奪の様子をテレビで見ますと、烏合の衆が、真っ昼間に堂々と泥棒に入る。日本では、個人的にコソコソ。なぜ、これほど違う?国民性?それもあることはあるが…。アメリカの場合、ギャングと化した連中は、自分たちが生きるためのものを求めていました。ついでに、よけいなものも盗っていましたが。日本の場合、衣食足りている人が、さらに欲を出す。国民性が違うのは国が違うから当然ですが、「盗る目的が違う」。どっちが悪質か?日本の火事場泥棒のほうがはるかに悪質です。

 日本人の泥棒、ここまで堕ちたか!鼠小僧が泣くぞ!情けないです。人の不幸につけ込むのは恥です。ただ…「火事場泥棒」という古めかしい言葉に象徴されるように、日本でも奈良時代から恥さらしがいた…。
 奈良時代…放火を戒める桓武天皇の勅令が出された。
 平安時代…火事場泥棒出現の記録あり。
 江戸時代…大火の際に、住居への延焼は免れても泥棒により財産を失うケースが見られた。時代劇で、火事の際に大八車に全財産を乗せて避難する様子が出てきます。大八車は、道が渋滞して火消しの道具が運べない。だから、火の勢いが増すので被害が拡大する。大八車の荷物だって類焼する。…それでも泥棒に持って行かれるよりあきらめがつく、というところでしょうか。
 戦時の法律…「戦時ニ際シ灯火管制中 又ハ敵襲ノ危険其ノ他人心ニ動揺ヲ生ゼシムベキ状態アル場合…」そんなわけで、火事場泥棒は量刑加重。
 現代では…
 雲仙普賢岳噴火災害、三宅島噴火災害、新潟県中越地震…残念ながら、どの災害でも火事場泥棒事例がありました。
 阪神淡路大震災の時は、外国メディアに感心されたぐらいだから火事場泥棒は現れなかったんだろうって?実は…倒壊家屋へ侵入し、金品を盗む奴がいたそうです…。他の国では、報道カメラの前でも、平気で略奪が行われるのに対し、阪神淡路の窃盗野郎は、コソコソやるため目立たなかっただけです。

 「恥を重んじる日本人が、火事場泥棒をはたらく…どうしたら、火事場泥棒が減るのでしょうか?」

 火事場泥棒と普通の泥棒、どちらが質(たち)が悪いか?どちらも悪いのですが、両者を比べると、火事場泥棒のほうががるかに悪質です。窃盗に「品」を求めるのはおかしな話かも知れませんが、火事場泥棒には「品」のかけらも感じられません。「泥棒にも7分の利」ということわざがありますが、火事場泥棒には、「利は、なし」です。したがって、この両者、減らすための手段は別のものになります。

 火事場泥棒を少しでも減らすためには・・・火事場泥棒と同じ意味なのに、あまり非難されない行為があります。非難されないどころか、「闘志があらわれていていい」とか「表現の自由」などと、エールを送る日本人もおります。そのようなことだから、火事場泥棒が、「後ろめたさ」を感じないのです。
 あまり非難されない行為とは…「対人競技で勝ったあとのガッツポーズ」です。敗者は、試合で負けて悔しい思いをしている。そこへ、ガッツポーズをされて惨めな思いの倍増。傷を負って痛いところへ、粗塩をすり込まれる。災害に遭った上、金品を盗まれるのと同じです。
 
 奈良・平安時代から伝わる日本人の火事場泥棒、減らすためには、「対人競技で勝ったあとのガッツポーズをなくす」。この取り組みです。
 その前に、「礼儀」と「挨拶」ですが…並行して進めましょうや。