日本国民がこれほど天文に興味があるとは知りませんでした。まさに日食フィーバー!衆議院解散がかすんでしまいました。
皆既日食は、私が中3のときにもありました。友達の黒い下敷きで見ました。今回の日食では、「黒い下敷きで太陽を見てはならない」ということでした。失明の恐れがあるという…46年前に言ってほしかったです。
今回の皆既日食、ハラハラしながらその時を待ちました。それほどの天文ファンだったのかって?ミーハーなだけです。ただ、ハラハラしたのは、自分が日食を見ることが出来るか否かではありません。
悪石島へ行った人たち、見られたかな
客船で硫黄島近くへ行った人たち、見られたかな
硫黄島に上陸した(許可が必要)人たち、見られたかな
上海まで出かけた人たち、見られたかな
飛行機での見学ツアーの人たち、見られたかな
自分は、見なくてもどってことないのです。「見たいと思って、行動した人たちが見られたか見られなかったか」これが気になって仕方ありませんでした。
特に悪石島…この度の皆既日食が一番長く見られるということで、一躍注目を浴びた島です。悪石島は、鹿児島県十島村(としまむら)の島の一つ。
十島村には、若い人も住んでいます(年増村ではないってことで)。これまで、あまり知られることがありませんでしたが、ひそかに興味深い村です。トカラ列島は、「日本書紀」に出てきます。「吐火羅国」と。火を吐く、つまり火山列島ということですね。
・ 南北160km。日本一長い村。
・ 有人島7島と、無人島5島の12島からなっている。12島でも、十島村とはこれいかに。1枚でも、せんべいと言うが如し。遊んでいる場合じゃないか。
・ 人口は、六百数十人。(村長になれる確率が高い!)
・ 村役場が、鹿児島市にある(どの島に役場をおいても不便。「フェリーとしま」発着点が便利なのでしょう)
鹿児島から名瀬まで、(トカラ列島の)島々を11時間で結ぶのが、十島村営定期船「フェリーとしま」。(鹿児島発着のフェリーや高速船は、島の数だけあると言ってもよいほどあります)
「フェリーとしま」の運行に係わっては…面倒なので省略。なぜ面倒か?週2便の運行と書いてあるものがあればそれはちょっと違う(名瀬まで行かない宝島までのものもある)…村の行事によりダイヤ変更も…そんなわけで、「時刻表がない」。 今はどうか分かりませんが、40年ほど前は、中之島で長い休憩が。その間、乗客が、島の温泉(トカラ列島の温泉は、現在も全て無料だそうです)で一風呂浴びてくる。実にのんきな船旅でした。島へ帰省する人たちがいい味を出していました。それまで標準語で話していたのに、故郷の島へ近づくにつれ訛りはじめる。啄木の、「ふるさとの訛り懐かし停車場の人混みの中そ(れ)を聴きに行く」をおもいだしましたよ。家族愛、郷土愛を感じる船旅でした。今もきっと、残っていると思います。
鹿児島を出て、五番目の島が、人口77人の「悪石島」(始発は鹿児島→口之島→中之島→平島→諏訪瀬島→悪石島→小宝島→宝島→終着が名瀬)
固有名詞に「悪」がつくのもなかなか珍しい。自虐的命名かな。この悪石島、歴史の舞台にもなっています。
それは、「対馬丸事件」です。第二次世界大戦末期に、貨物船の「対馬丸」が学童疎開の児童等を乗せ長崎へ向かっていた。悪石島の北西沖10kmで、魚雷によって撃沈された。およそ1,400名の犠牲者が出た。悪石島に慰霊碑があります。
島の命名は自虐的なものではなく、平家の落人が追っ手が寄りつかないように、「悪石島」としたという説があります。私もそれに賛同します。「だったら平島は、どうなんだ!平家ですと言っているようなものじゃないか!」とか「宝島はどうなんだ!人が寄ってきて正体を見抜かれるのでは?」という御意見もあるでしょう。平家の落人の皆さんの特徴として、「学がある」。頭がいいので、色々考えます。カモフラージュのために、「平家の平の一画目を一段下げて、半家(はげ)にしたケース (高知県四万十市の地名)」もある。「ウイットに富んだ人」「バレてもいいや!の人」「隠れ通すぞ!の人」様々おられた…と、いうわけで、「悪石島」は、平家の落人が命名したことに決めます。
悪石島の温泉ですが、波打ち際にある「海中温泉」。東シナ海を見下ろす「露天風呂」。地熱利用の「砂蒸し温泉」があります。砂蒸しの最中に、ハブに噛まれないかって?悪石島にハブはおりません。小宝島と宝島には、トカラハブというハブがいますが、微毒です(無視して大丈夫)。
悪石島へ皆既日食を見に来てくださった皆さんには、申し訳ないことをしました。折悪しく荒天。悪石島小中学校へ避難していただきました…。
小中学生9名の歓迎、よかったでしょう。なぜか、「ヨサコイソーラン踊り」を御披露させていただきました。中3の2人は、来春は島を出て内地の高校へ行きます。
次回は、日食でなくても、のんびり遊びに来てください。以上、悪石島民77名を勝手に代表しまして、訪島歴1回の私がお礼の言葉を述べさせていただきました。
皆既日食は、私が中3のときにもありました。友達の黒い下敷きで見ました。今回の日食では、「黒い下敷きで太陽を見てはならない」ということでした。失明の恐れがあるという…46年前に言ってほしかったです。
今回の皆既日食、ハラハラしながらその時を待ちました。それほどの天文ファンだったのかって?ミーハーなだけです。ただ、ハラハラしたのは、自分が日食を見ることが出来るか否かではありません。
悪石島へ行った人たち、見られたかな
客船で硫黄島近くへ行った人たち、見られたかな
硫黄島に上陸した(許可が必要)人たち、見られたかな
上海まで出かけた人たち、見られたかな
飛行機での見学ツアーの人たち、見られたかな
自分は、見なくてもどってことないのです。「見たいと思って、行動した人たちが見られたか見られなかったか」これが気になって仕方ありませんでした。
特に悪石島…この度の皆既日食が一番長く見られるということで、一躍注目を浴びた島です。悪石島は、鹿児島県十島村(としまむら)の島の一つ。
十島村には、若い人も住んでいます(年増村ではないってことで)。これまで、あまり知られることがありませんでしたが、ひそかに興味深い村です。トカラ列島は、「日本書紀」に出てきます。「吐火羅国」と。火を吐く、つまり火山列島ということですね。
・ 南北160km。日本一長い村。
・ 有人島7島と、無人島5島の12島からなっている。12島でも、十島村とはこれいかに。1枚でも、せんべいと言うが如し。遊んでいる場合じゃないか。
・ 人口は、六百数十人。(村長になれる確率が高い!)
・ 村役場が、鹿児島市にある(どの島に役場をおいても不便。「フェリーとしま」発着点が便利なのでしょう)
鹿児島から名瀬まで、(トカラ列島の)島々を11時間で結ぶのが、十島村営定期船「フェリーとしま」。(鹿児島発着のフェリーや高速船は、島の数だけあると言ってもよいほどあります)
「フェリーとしま」の運行に係わっては…面倒なので省略。なぜ面倒か?週2便の運行と書いてあるものがあればそれはちょっと違う(名瀬まで行かない宝島までのものもある)…村の行事によりダイヤ変更も…そんなわけで、「時刻表がない」。 今はどうか分かりませんが、40年ほど前は、中之島で長い休憩が。その間、乗客が、島の温泉(トカラ列島の温泉は、現在も全て無料だそうです)で一風呂浴びてくる。実にのんきな船旅でした。島へ帰省する人たちがいい味を出していました。それまで標準語で話していたのに、故郷の島へ近づくにつれ訛りはじめる。啄木の、「ふるさとの訛り懐かし停車場の人混みの中そ(れ)を聴きに行く」をおもいだしましたよ。家族愛、郷土愛を感じる船旅でした。今もきっと、残っていると思います。
鹿児島を出て、五番目の島が、人口77人の「悪石島」(始発は鹿児島→口之島→中之島→平島→諏訪瀬島→悪石島→小宝島→宝島→終着が名瀬)
固有名詞に「悪」がつくのもなかなか珍しい。自虐的命名かな。この悪石島、歴史の舞台にもなっています。
それは、「対馬丸事件」です。第二次世界大戦末期に、貨物船の「対馬丸」が学童疎開の児童等を乗せ長崎へ向かっていた。悪石島の北西沖10kmで、魚雷によって撃沈された。およそ1,400名の犠牲者が出た。悪石島に慰霊碑があります。
島の命名は自虐的なものではなく、平家の落人が追っ手が寄りつかないように、「悪石島」としたという説があります。私もそれに賛同します。「だったら平島は、どうなんだ!平家ですと言っているようなものじゃないか!」とか「宝島はどうなんだ!人が寄ってきて正体を見抜かれるのでは?」という御意見もあるでしょう。平家の落人の皆さんの特徴として、「学がある」。頭がいいので、色々考えます。カモフラージュのために、「平家の平の一画目を一段下げて、半家(はげ)にしたケース (高知県四万十市の地名)」もある。「ウイットに富んだ人」「バレてもいいや!の人」「隠れ通すぞ!の人」様々おられた…と、いうわけで、「悪石島」は、平家の落人が命名したことに決めます。
悪石島の温泉ですが、波打ち際にある「海中温泉」。東シナ海を見下ろす「露天風呂」。地熱利用の「砂蒸し温泉」があります。砂蒸しの最中に、ハブに噛まれないかって?悪石島にハブはおりません。小宝島と宝島には、トカラハブというハブがいますが、微毒です(無視して大丈夫)。
悪石島へ皆既日食を見に来てくださった皆さんには、申し訳ないことをしました。折悪しく荒天。悪石島小中学校へ避難していただきました…。
小中学生9名の歓迎、よかったでしょう。なぜか、「ヨサコイソーラン踊り」を御披露させていただきました。中3の2人は、来春は島を出て内地の高校へ行きます。
次回は、日食でなくても、のんびり遊びに来てください。以上、悪石島民77名を勝手に代表しまして、訪島歴1回の私がお礼の言葉を述べさせていただきました。