アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

リビア在住の自国民を救出しなかった国

2011年03月07日 | Weblog
 「イライラ戦争」の時のことを思い出していただきたい。イラン・イラク両国の都市爆撃の応酬が続いた。忘れもしない、1985年3月17日。セント・パトリックスディ。つまり、私の誕生日のことでした。サダム・フセイン大統領(当時)が、「イラン上空を飛ぶ航空機は、無差別に攻撃する。えーと、48時間の猶予を与えるから、飛びたい飛行機は今のうちに」と、宣言した。
 日本政府の求めに応じ、日本航空は、現地日本人の救出のために救援機を飛ばそうとした。しかし、BUT!労働組合が反対し、日航機は飛行機を飛ばすことができなかった。そのため、215名のイラン在留邦人が全く脱出方法が見つからずに生命の危機に瀕する状況にあった。

 日本政府は、トルコ政府に協力を要請した(トルコ政府要人と個人的に親しい日本政府関係者がおられた)。トルコ政府は、この要請に応じ、トルコ航空機に日本人215名を乗せてくれた。こうして、イライラ戦争で日本人犠牲者を出さずに済んだ。(なお、日本人を飛行機に乗せたことで、あぶれたトルコ人およそ500名は、陸路、死の行軍でイランを脱出)

 政府は、自国民を守るためのもの…。

 この度のリビアのいわば内戦に関わってですが…日本政府は、リビア在留の日本人の救出…何かしましたか?
 エジプトの時も政府が日本人救出に目立った動きをしていない。事務的な動きだけ。カイロの空港の床に寝るためだけにエジプトへ出かけた旅行者、および旅行代理店関係者の怒りは大変なものでした。エジブトの場合、日本人の命の危機については切迫した状況でなかったのでまあ追及しないでおきましょう。
 だが、リビアの場合は状況が違う。無事帰ってきた日本人たちは、「最後まで諦めずに頑張った」と。つまり、リビアを出国するために国境や空港、港へ徒歩で向かわなければならなかった。諦めたときが人生の終わりの時。世界中からリビアに働きに来ていた14万人超の人々が、脱出への道を歩いていた。

 ここからが問題。韓国政府は大韓航空機を飛ばし、リビア在住韓国人を救出した。中国は、巨大客船をチャーターして、中国人を救出した。
 …に、日本は…。リビア在住の日本人の救出?なーんもない!伝え聞くところでは、「リビア在住邦人数はおよそ80名ですから…」これが、救出の手だてを講じなかった理由だったという。政府は、自国民を守るためのもの…。80人ぐらいなら、どうなったってしょうがない…?一体、日本人が何人なら、救援の飛行機や船を出してくれたのでしょうか?

 リビアで日本人が必死で逃げ惑っていたとき、日本国政府は何をしていたの?
予算を通すことが第一で、80人程度の日本人の生命は無視していいってこと?
 前原誠司前外相は在日外国人からの献金を数えていたので、リビアまで頭が回らなかった?(合計20万円とはいえ、決まりは守らなければなりませんから、辞任は当然)…まったく、国民のためと言いながら…国民生活とは関係ないところで頑張っている。「クライストチャーチへの救援の対応は速かったでしょ(政府関係者)」と、自慢げ…。迅速な対応はもちろん必要だが、片手落ちじゃだめだよ。「遠い、イスラム圏の問題、圏外だから、日本には関係ないもんねーっ」…リビア在留の邦人たちに限らず、在外で働く人々は、「日本のために働いている」んですよ。その人たちのお陰で、日本が成り立っているんです。政府が立派だから成り立っているわけじゃないんです。あと、地球に、もはや圏内も圏外もない。