文章を書くときに注意しているのは、「聞く」を使うか「聴く」にするか。
早い話が、聞くは、受動的で自然にきこえてくるということ。聴くは、意思をもってしっかりきく、つまり能動的。これについては、みなさん学校で習う。
ところが、どっちの「きく」でもいい場合ってあるものです。そんなときは、慎重に漢字を選ぶか、平仮名にするかしています。
毎日新聞の憂楽帳に、NPO法人「東京自殺防止センター」の西原由記子さんの言葉として、「カウンセラーや医者でもないボランティアたちにできることは、ひたすら相手の気持ちに寄り添うこと。聞くではなく、聴く。聴くという行為には心が込めてあります」…なるほど、「聴」のつくりの下には「心」がある。よーく解りました。「耳で聞く」「心で聴く」使い分けがより簡単になりました。受動的か、能動的かよりもね。
「聴く」…素晴らしいのは、アメリカの医者ですね。患者の貧相な東洋人が、辞書を引いて覚えたばかりの医学用語を並べて話すことを、熱心に聴いてくれる。25分聴いてくれて、薬の処方箋を出してくれる。聴いてくれるということで、安心します。その点、日本の医者の中には不愉快な奴が今もなおいます。何度か書きましたが、診察を受けている最中に、この温厚な私が怒ってしまってさっさと帰ってきたことがありました。この医者をはじめとして、罵倒してやりたい奴が3~4人います。どう罵倒してやるかって?「オメエに医者の資格ねえ!患者の不安をしっかり受け止めろ!聴くという行為が患者様との良好な信頼関係を築く第一歩だろう!ボケ!」です。
医者の聴き方にイチャモンをつける私だけに、私が聴く側にまわると素晴らしいですよ。自慢話かって?いえいえ、「聴く」ということについての人としてのあり方を開陳しようと…。
共感的理解、受容的態度で、相手に「しっかり聴いていますよ」ということを伝えなければなりません。
「相槌を打つ」これは、相手に、大いに安心感を与えます。相づちの打ち方も、機械的なモノはダメ。大きくうなづき、小さくうなづき、時折顔に表情をつけながら聴く。
「(相手の言ったことを)要所で繰り返す」これがまた大きい。話す側にとって、「繰り返される」というのは、「自分の言葉を大切に聴いてくださっている」と、ありがたくてうれしくて、心を許すわけです。
「相手の目を見て聴く」…これはあまり感心しません。話し手は、表情から何かを盗み取られはしないかと緊張します。そうなると、本音を隠すかも知れません。目を見つめて聴くのは、第一気持ち悪いですよ。相手の目を見るのは、会話全体を100%とすると、50~60%程度でいいのです。
相手が黙ってしまっている場合、こちらから問いかけるのですが、オープンクエスチョンでなければなりません。つまり、「はい(いいえ)」では答えられない質問です。相手の思いが語られ、会話が進みます。
「聴く」…漢字をよーく見ると、「十四の心」が入っているのですねえ!聴く時には、十四倍の気遣いが必要ということで…。
早い話が、聞くは、受動的で自然にきこえてくるということ。聴くは、意思をもってしっかりきく、つまり能動的。これについては、みなさん学校で習う。
ところが、どっちの「きく」でもいい場合ってあるものです。そんなときは、慎重に漢字を選ぶか、平仮名にするかしています。
毎日新聞の憂楽帳に、NPO法人「東京自殺防止センター」の西原由記子さんの言葉として、「カウンセラーや医者でもないボランティアたちにできることは、ひたすら相手の気持ちに寄り添うこと。聞くではなく、聴く。聴くという行為には心が込めてあります」…なるほど、「聴」のつくりの下には「心」がある。よーく解りました。「耳で聞く」「心で聴く」使い分けがより簡単になりました。受動的か、能動的かよりもね。
「聴く」…素晴らしいのは、アメリカの医者ですね。患者の貧相な東洋人が、辞書を引いて覚えたばかりの医学用語を並べて話すことを、熱心に聴いてくれる。25分聴いてくれて、薬の処方箋を出してくれる。聴いてくれるということで、安心します。その点、日本の医者の中には不愉快な奴が今もなおいます。何度か書きましたが、診察を受けている最中に、この温厚な私が怒ってしまってさっさと帰ってきたことがありました。この医者をはじめとして、罵倒してやりたい奴が3~4人います。どう罵倒してやるかって?「オメエに医者の資格ねえ!患者の不安をしっかり受け止めろ!聴くという行為が患者様との良好な信頼関係を築く第一歩だろう!ボケ!」です。
医者の聴き方にイチャモンをつける私だけに、私が聴く側にまわると素晴らしいですよ。自慢話かって?いえいえ、「聴く」ということについての人としてのあり方を開陳しようと…。
共感的理解、受容的態度で、相手に「しっかり聴いていますよ」ということを伝えなければなりません。
「相槌を打つ」これは、相手に、大いに安心感を与えます。相づちの打ち方も、機械的なモノはダメ。大きくうなづき、小さくうなづき、時折顔に表情をつけながら聴く。
「(相手の言ったことを)要所で繰り返す」これがまた大きい。話す側にとって、「繰り返される」というのは、「自分の言葉を大切に聴いてくださっている」と、ありがたくてうれしくて、心を許すわけです。
「相手の目を見て聴く」…これはあまり感心しません。話し手は、表情から何かを盗み取られはしないかと緊張します。そうなると、本音を隠すかも知れません。目を見つめて聴くのは、第一気持ち悪いですよ。相手の目を見るのは、会話全体を100%とすると、50~60%程度でいいのです。
相手が黙ってしまっている場合、こちらから問いかけるのですが、オープンクエスチョンでなければなりません。つまり、「はい(いいえ)」では答えられない質問です。相手の思いが語られ、会話が進みます。
「聴く」…漢字をよーく見ると、「十四の心」が入っているのですねえ!聴く時には、十四倍の気遣いが必要ということで…。