アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

今してはならないこと 不要品を送るのと、個人ボランティア

2011年03月19日 | Weblog
 中国と北朝鮮は、仲良しのようにみえる。しかし、中国のネットユーザー間では、北朝鮮を嘲笑する小話がささやかれている。内心は、バカにしているようです。

 北朝鮮のある農村で、オヤジが大きな魚を釣り上げた。「今日は子供たちに腹一杯食べさせられるぞ!」と、意気揚々帰宅した。妻に料理を頼むと…
 「この魚を揚げろだって?油などないよ」
 「そ、そんなら煮ろ!」
 「鍋がないでしょう!」
 「そ、それなら…や、焼け!」
 「焼く?薪がないのにどうやって!?」
 むかっ腹を立てたオヤジは、魚を川に投げ捨てた。命が助かった魚は、大喜び。そして、叫んだ!
 「将軍様(金正日総書記)万歳!」

 油がない、鍋がない、薪がない…北朝鮮では、魚を釣っても食べることができない。品のいいジョークではないが、東北関東大震災の前は、少し笑えた。しかし、今は笑えないどころか冗談じゃない。被災者が似たような状況にあるのだから。

 ガソリンが無い、灯油も無い。医薬品が足りない、食料も乏しい。頼りの、「日本人の心」も…
 大熊町の博文会双葉病院に自衛隊が救助に入ったときには、寝たきりの高齢者128人が取り残されており、病院関係者はいなかったという。見捨てて逃げたと言われても仕方ない。残されていた人たちは自衛隊に救助されたが、搬送中2名、避難所に入ってから12名が亡くなった。避難所の医師は、「名前も病状も分からない」と、当惑…。こういうことが起こっている。「火事場泥棒より悪質な日本人」と責めるのは簡単だが、我が身に置き換えたとき…。
 外国メディアは、「災害時でも日本人は素晴らしい、略奪がない」などと言っているが、実際には、略奪が横行しているし、ねたきり高齢者128人を残して避難した医療関係者もいる。

 ともあれ、昼夜に及ぶ救援の努力で、日増しに物資が届くようになりつつある。
 この救援物資がなかなか大変…なぜ大変か?「自分が不要なものを被災地へ送る」このようなケースがあるのです。不要品は、被災者にとっても不要品。山積みされて捨てられるのですが、その手間たるや莫大なもの。とんでもなく迷惑な話。被災地へ送るものは、「自分にとって大切なもの」でなければなりません。

 乙武洋匡さんは、阪神淡路大震災を体験した人。自身のツイッターでのつぶやきは・・・
 「(阪神淡路大震災の被災者のことばとして)助けに来てくれて一番ありがたいと思ったのは、自衛隊の人たち。 一番迷惑で邪魔だったのは、自称ボランティアの人たち。こちらが必要とする事は、「できませーん」。逆に、残り少ない食品や飲料水をコンビニで消費していく始末。
 これなんです。「我が家の不要品を送った。被災者のためにやってあげられることをしてあげた」と、いいことをしたつもりが、現地では迷惑がられていた。被災地は、自己満足したい人のための場所ではない。ボランティアの押しつけも、被災者に迷惑なことがあるということ。ボランティアの人たちに、数少ない食料を等を買われてしまっては…本末転倒。「あんたら、我々被災者に嫌がらせをするために来たのか?」ということになってしまう。

 個人の救援物資は、送らない方が良い。気持ちがあるなら、現金が最良。また、被災地でのボランティア活動は、募集している市町村と相談して行くのであれば問題ないが、そうでなければ行ってはならない。
 あれから1週間経ったが、「まだ一切の支援物資がありません。このままでは、みんな餓死してしまう」と、市長さんが涙ながらに訴える市もあるのです。今日、何かが届けられるといいのですが。