箱根駅伝を5区の蒲鉾屋(小田原市風祭)の前で応援し、日体大の服部くん、東洋大の設楽兄を間近で見たことはすでに書きました。
で、今年の金栗四三杯は、東洋大学の大津顕杜くんでした。その大津くんは、「これは通過点の一つ。東京五輪でメダルを取るのが最大の目標」と、言っていました。だからなんなんだって?実は、箱根駅伝からは、五輪のメダリストが生まれていないのです。大津くんでも、服部くんでも、設楽兄弟でも、窪田くん(駒澤大学)でも、大迫くん(早稲田大学)でもいいから、東京五輪でなんとかメダルを獲っていただきたいもの。
金栗四三杯は、2004年から、最優秀選手に対して贈呈されることになったもの。金栗四三さんは、知る人ぞ知るマラソンの名選手でした。第1回東京箱根間往復大学駅伝競走(略して箱根駅伝 1920年)の開催に尽力された方。で、次の話を読んでください。
1912年(明治45年 102年前!)、五輪の第5回ストックホルム大会が行われました。マラソンに、金栗四三さんが出場しました。折からの猛暑で、出場68人の選手のうち34人がリタイアするという五輪史上まれにみる過酷なレースとなりました。金栗四三さんも熱中症になってしまい、26.7km地点で意識もうろうとなり、倒れてしまったぁ…。102年前のストックホルムですから、沿道に係りの人がいるはずもなく、民家で介抱していただいた。
で、金栗さんったら、そのまま棄権届けを出さずに帰国。これが皆さん御存知かもしれない、「消えた日本人選手」の話。国際的に有名な話です。
金栗さんにとって、初めての五輪ストックホルム大会での途中棄権は、悔いても悔やみきれないものだった。
そして、1967年(昭和42年)、75歳になった金栗さんへ一通の招待状が!?
スウェーデンオリンピック委員会からの、五輪記念行事への招待状でした。
スウェーデンオリンピック委員会は、金栗さんに、マラソンを完走するチャンスをあたえてくれたのです。そして、二度目のチャレンジで、金栗さんはついにゴールイン!消えたに日本人選手が現れて、ゴールインしたのです。その時の場内アナウンスは…
「日本の金栗、只今ゴールイン。タイム、54年と8ケ月6日5時間32分20秒3。これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了する」
この場内アナウンス…私は、何度も読んでいますが、その都度涙がじわぁっと出てきます。金栗さん…万感の想いが胸中をよぎったことでしょう。
私は、テレビでですが、ゴールインの映像を観ました。75歳だけに、失礼ながらゆっくりした足取りでした。しかし、しっかり両手を上げてゴールインしておりました。
スウェーデンオリンピック委員会、粋な計らいですねえ!あまりにもカッコいいです。人間って、このようなことができるのです。報酬を求めることもなく!素晴らしいぞ、人間!
金栗四三さんの言葉に、「体力、気力、努力」があります。奇をてらわない、箱根駅伝にふさわしい言葉です。
で、今年の金栗四三杯は、東洋大学の大津顕杜くんでした。その大津くんは、「これは通過点の一つ。東京五輪でメダルを取るのが最大の目標」と、言っていました。だからなんなんだって?実は、箱根駅伝からは、五輪のメダリストが生まれていないのです。大津くんでも、服部くんでも、設楽兄弟でも、窪田くん(駒澤大学)でも、大迫くん(早稲田大学)でもいいから、東京五輪でなんとかメダルを獲っていただきたいもの。
金栗四三杯は、2004年から、最優秀選手に対して贈呈されることになったもの。金栗四三さんは、知る人ぞ知るマラソンの名選手でした。第1回東京箱根間往復大学駅伝競走(略して箱根駅伝 1920年)の開催に尽力された方。で、次の話を読んでください。
1912年(明治45年 102年前!)、五輪の第5回ストックホルム大会が行われました。マラソンに、金栗四三さんが出場しました。折からの猛暑で、出場68人の選手のうち34人がリタイアするという五輪史上まれにみる過酷なレースとなりました。金栗四三さんも熱中症になってしまい、26.7km地点で意識もうろうとなり、倒れてしまったぁ…。102年前のストックホルムですから、沿道に係りの人がいるはずもなく、民家で介抱していただいた。
で、金栗さんったら、そのまま棄権届けを出さずに帰国。これが皆さん御存知かもしれない、「消えた日本人選手」の話。国際的に有名な話です。
金栗さんにとって、初めての五輪ストックホルム大会での途中棄権は、悔いても悔やみきれないものだった。
そして、1967年(昭和42年)、75歳になった金栗さんへ一通の招待状が!?
スウェーデンオリンピック委員会からの、五輪記念行事への招待状でした。
スウェーデンオリンピック委員会は、金栗さんに、マラソンを完走するチャンスをあたえてくれたのです。そして、二度目のチャレンジで、金栗さんはついにゴールイン!消えたに日本人選手が現れて、ゴールインしたのです。その時の場内アナウンスは…
「日本の金栗、只今ゴールイン。タイム、54年と8ケ月6日5時間32分20秒3。これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了する」
この場内アナウンス…私は、何度も読んでいますが、その都度涙がじわぁっと出てきます。金栗さん…万感の想いが胸中をよぎったことでしょう。
私は、テレビでですが、ゴールインの映像を観ました。75歳だけに、失礼ながらゆっくりした足取りでした。しかし、しっかり両手を上げてゴールインしておりました。
スウェーデンオリンピック委員会、粋な計らいですねえ!あまりにもカッコいいです。人間って、このようなことができるのです。報酬を求めることもなく!素晴らしいぞ、人間!
金栗四三さんの言葉に、「体力、気力、努力」があります。奇をてらわない、箱根駅伝にふさわしい言葉です。