バッタモンのポタリング日乗

松本在住の自転車散歩日記です
  時々余計な話題も

北国街道:坂木宿

2019-06-17 23:05:24 | 街道をゆく
坂城町といえばテクノタウンのイメージがあるが
旧北国街道沿いはのんびりしたものだ

それでも鉄の博物館なんてのがあるところがやはり物造りの町だ
ちょいと寄ってみると
日本刀の匠たちという企画展をやっていた
現代刀工の刀剣がずらりと展示してあったが
同じようなものでちょいと感激が薄い
常設展の坂城の工場で作られた工業製品の方が面白い

木造3階建ての旧家を利用したふるさと歴史館には
武田信玄を2度にわたり退けた村上義清関連資料が数多く展示してあった

歴史館の向いの公民館から焼肉のうまそうな匂いが漂ってきた
何かのイベントの一環だろう

時計を見るともう昼近い時間だ

         
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北国街道:つるべ小路

2019-06-14 23:20:23 | 街道をゆく
鼠宿から少し国道18号を走る
車が多くていやだが程なく旧道に入ることができた
金井という地名だ

通り沿いに今は使われていない井戸と釣瓶が目に入る
ざっと4箇所はあった

地図を見るとここは谷川の扇状地だ
伏流水の水脈が通り沿いにあるのだろう

家を新築しても井戸を残してあるところを見ると
いざとなればまだ使えるのだろうか?

古井戸の傍らには「つるべ小路」の標柱が立っていた

         


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北国街道:鼠宿

2019-06-12 22:43:00 | 街道をゆく
鼠宿・・・面白い名前だ
上田宿と坂木宿の間の宿として松代藩が設けた私宿で
口留め番所を設けて人や物の出入を取り締まった
と案内板にある

安曇野にも鼠穴という地名があるが
鼠は不寝見にも通じ見張りの意味合いもあるようだ
千曲川を挟んでせり出した岩山による狭隘な地形は
まさに適所だろう

国道から用水路を挟んで切り離されたこじんまりした家並みは
道端には今が盛りのバラが綺麗に植えられなかなか良い佇まいだった
宿場の面影はほとんどなく
かろうじて1件の新しい住宅の入り口に残された冠木門が歴史を物語っていた

宿場の端にある曾地早雄(おおじはやお)神社には江戸時代に建てられた万葉歌碑がある
文字は読み取れなかったがあとで調べてみると
「ちはやふる 神の御坂に 幣(ぬさ)奉り斎(いは)ふ命は 母父(おもちち)がため」
神坂峠を越えるときに幣を捧げてわが命の無事を祈るのは母父のためだ
この地の出身の防人の歌だ
神社入り口の小さな石造りの太鼓橋がなかなかよろしい

少し先の信号機に「ねずみ」と書いてあるのも面白い
いつの間にか雨も上がっている


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北国街道:蚕種の里

2019-06-10 23:30:46 | 街道をゆく
上田にも塩尻の地名がある
日本海側から来る塩と太平洋側から来る塩の終点が塩尻の名前の由来だろうが
どう見てもここは太平洋側からは遠すぎる

まぁ、それはともかくここの景観はとても素晴らしい

この地区は蚕の卵である蚕種を生業としていたということで
大きな歴史ある建物
土壁の土蔵や塀
増水から家を守るために川沿いに延びる漆喰の塀
まさに伝統的建造物保存地区にでもしたいくらいだ

大きな建物はその分維持が大変だが
いつまでも残して欲しい風景だ
         
         
         
         
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北国街道:道しるべ

2019-06-09 21:46:49 | 街道をゆく
秋和集落を過ぎるあたり
街道脇の草むらに佇む地蔵さん
その近くに道しるべの案内板があった

土手に付けられた階段を少し上ってみると古い道標だ
右は北国往還、左はさくば道(農道)とある
ここが元々の旧道かな?
すぐ近くに新幹線の高架橋があるので
地形は変わっているのだろう

一里塚もここにあったそうな
        
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北国街道:耕助と清兵衛

2019-06-09 18:56:41 | 街道をゆく
今回は北国街道を上田宿からスタート

宿場の雰囲気が残る柳町は観光スポットで
土産物屋や飲食店もあり旅番組では必ず出てくるところだ
観光化して収入を得るということは建物や景観の維持としては必要だろう

「犬神家の一族」のリメイク版で石坂浩二がここを下駄履きで走っていた
石畳舗装だったので撮影時には砂を撒いたという

外堀の矢出沢川が直角に曲がるところには城のような石垣がある
これは明治になって城を買い取った富豪がここに石垣を移築したと言う
「たそがれ清兵衛」の決闘シーンはここで撮影された
今は石垣も川原も雑草に覆われその時の雰囲気はない

小雨が降ってきたがとりあえずカッパを着て先に進もう

        
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約150キロ

2019-06-03 10:07:44 | 街道をゆく
帰りの電車の時間も気になり
野田尻宿、大椚宿、鶴川宿と流し上野原宿へ

上野原の街は中心部を国道20号線が貫いているので
車の交通量が多くて騒々しい
ゆっくり探訪する時間も無く
段丘を2キロほど下って上野原駅へ向かい輪行支度

これで甲州街道は下諏訪から上野原宿まで走破
大体150キロくらいだろう

今回のルートは比較的旧街道の面影が残っていて
結構楽しめたルートであった

                 
                 


                 ルートラボ
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犬目宿は猫町

2019-05-31 17:07:12 | 街道をゆく
犬目宿
その存在を知ったのはだいぶ前に読んだつげ義春の「猫町紀行」で
友人とのドライブで犬目宿を目指したが二度とも行き着けなかったことを
萩原朔太郎の「猫町」に重ねて書いたエッセイだ
名前のユニークさにも想像を掻き立てられいつかは訪れたいと思っていた所だ

昭和45年の大火で多くの家が消失してしまったので
古い宿場的建物はほとんどないけれど
大火の後拡幅したのか火除けを兼ねた広い通り沿いに立ち並ぶ家々の風景は
宿場であったことの雰囲気を十分に醸し出している

つげ義春の「猫町紀行」からちょっと引用してみよう
道に迷いつつも十字路を横切るときに左右の通りに垣間見た一瞬の風景を描写した箇所だ

「ちょうど陽の落ちる間際であった。
あたりは薄紫色に包まれ、街灯がぽーっと白くともっていた。
いくらか湿り気をおびた路は清潔に掃除され、日中の陽射しのぬくもりが残っているように感じられた。
夕餉前のひと時といった風ののどかさで、子どもや老人が路に出て遊んでいた。
浴衣姿で縄跳びをする女の子、大人用の自転車で自慢そうに円をかいてみせる腕白小僧、
石けりをする女の子のズボンには大きなつぎが当たったいる。
私は近ごろ、あの母の温かさが縫いこまれたつぎの当たった衣服を見たことがない。
縁台でくつろぐ老人。
それは下町の路地裏のような賑やかさであった。」

友人に気兼ねしてそのまま車で通り過ぎてしまったのでここが犬目宿だと確証はできなかったということだ
その後再訪した時も複雑な地形ゆえたどり着けなかったばかりか
大火で焼失したという話を聞いて

「やっぱり猫町だな。
いつかちらりと垣間見せてくれただけで、もう二度お目にかかれないとは・・・」
とつぶやいている

                
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恋は肥か?

2019-05-31 07:55:58 | 街道をゆく
下鳥沢宿で国道20号線から別れ大月上野原線へと入ると
車の交通量は僅少でありがたいがここからしばらくは上りだ

5月だというのに猛暑日
しかも一番暑い時間帯の上りだ
少し走るとみるみる体温が上がっていくのがわかる
日陰を見つけてはクールダウンしながら水分と塩分補給
ボトルの水は温水になっている

大月カントリークラブ入り口の山谷集落に来ると
ようやく等高線と平行になる
途中旧道の石畳の案内板が
10数メートルくらいの枯葉に埋もれた石畳を登りきると民家の庭先に出た
恋塚だ

恋なんて付くとロマンチックな響きを持つが
ここには馬宿があったそうなので馬糞を堆肥用に積み上げた
肥塚が転訛したものだろうか?

        
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猿橋から水路橋を眺める

2019-05-29 11:27:29 | 街道をゆく
気温もぐんぐん上昇してきたので昼飯は冷たいものを食いたい
大月の駅前でぶっかけうどんとノンアルビールで腹ごしらえをして猿橋に向かう

猿橋を訪れるのは2度目なので感激はちょっと薄い

橋の説明書きに日本三奇橋とあったがあとの二つはどこだろう?
山口県の錦帯橋・・・これは納得
富山県黒部川の旧愛本橋・・・これは知らなかったなぁ
画像を検索してみると猿橋と同じ刎橋(はねばし)でなかなかすごいものだった
復元の話もあるようなのでそうなったらぜひ見てみたいものだ

猿橋もいいけれど
少し下流にかかっている水路橋がとても良い感じだ
明治45年に発電所用に造られた鉄筋コンクリートアーチ橋で
国登録有形文化財だそうだ



                
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