銚子電鉄終点の旅情あふれる外川駅の待合室には大きな大漁旗が掲げられていてまさに漁業の町の玄関口だ
ブラタモリでも取り上げていたが外川駅から海に向かっての斜面に道路が碁盤の目のように敷かれていて
かつては水揚げした鰯を海から何本もの直線道路で斜面上の砂地へ運びそこで乾燥して農業肥料用の干鰯を作り大いに儲けたということだ
その坂道を下って漁港の方へぶらり散策
ひと気の希薄な通りを下っていくと猫が空き家の前の日向で毛づくろいをしている
とにかくあちこちに空き家が目立つ
民宿の看板を掲げた建物も窓が閉鎖されて営業している様子はない
ここでも空き家問題は深刻のようだ
帰り際駅近くの外川ミニ郷土資料館に寄ってみた
多くの展示資料を前にブラタモリにも出演したという元気な90歳近いおばあさん館長さんがかつての栄華を熱く説明してくれた
もう少しゆっくり見たいところだったが時間的制約があったのは残念だった
続く
高速が無かった時代、千葉より先は非電化だったし、地図上では近くても遠い場所。特急は無く、両国の行き止まりホームの急行、キハ28だったと思います。勇ましい発進時のエンジン音が懐かしいです。
その後、新潟へ来てご無沙汰ですが。
引退したらいろいろ遊ぶつもりでしたが、なかなかねぇ。でも、何でも面白いと思えるだけ幸福なんでしょう。
父親と遠出したのは小学校4年の時に家族で上野動物園へ行った時しかありませんでした。
中央線から始めてみた見た富士山がとても印象に残っています。