今日、TBSの報道特集で「医療的ケアが必要な子供たち」を取り上げていた。
内容的には鈴花ちゃん他、障害のある子が普通学級に通っている状況を、
ほんの少し紹介する簡単な内容ではあったけれど、
でもクラスの仲間が優しくなったというようなコメントもあった。
過去に障害児のケアが負担と門前払いしていた公共団体も、
最近は変わりつつあるようだ。
まだまだ一部かもしれないけれど・・・
前にブログに書いたとおり、チビの通った川和保育園も、
障害児は積極的に受け入れていた。
五体不満足の作者、乙武洋匡さんも教員になったようだし、
こうして世のなかは変わっていくのだろう。
私が通った小学校、中学校にも障害者の子はいた。
でも私自身が積極的に関わることはなかった。
言い訳すれば、家庭の事情で転校を繰り返した私は、
親しくなる時間的余裕がなかった。
プラス、障害者がまだ世間に認知されていなかったから、
いきなり同じクラスになってもどう接していいかわからなかった。
だから、幼稚園や小学校低学年から、
障害者が身近にいることが当たり前になれば、
私のような戸惑いはなくなるだろう。
横浜時代に知り合いの自閉症の子を預かったりした時は、
知識的に自閉症の子がどんな行動をとるかわかっていたから、
違和感はなかったけれど、
全く知らない状態で預かったら、
どうしていいかわからなかっただろう。
だから、障害者は隔離するのではなく共存するのが正しいと今は思っている。
けれど、そのためには周りの協力は不可欠で、
それが負担と思う人がいる限り、障害者の市民権は得られない気はしている。
ボランティアという言葉が特別と思われているうちは、無理と思う。
だって、例えば自分の子どものスポーツの応援ですら、
車だしや審判が負担という親がいるのだから、
他人のこの障害児ケアが負担と思わないはずがない。
そういう人がいなくなることを切に願っている。
内容的には鈴花ちゃん他、障害のある子が普通学級に通っている状況を、
ほんの少し紹介する簡単な内容ではあったけれど、
でもクラスの仲間が優しくなったというようなコメントもあった。
過去に障害児のケアが負担と門前払いしていた公共団体も、
最近は変わりつつあるようだ。
まだまだ一部かもしれないけれど・・・
前にブログに書いたとおり、チビの通った川和保育園も、
障害児は積極的に受け入れていた。
五体不満足の作者、乙武洋匡さんも教員になったようだし、
こうして世のなかは変わっていくのだろう。
私が通った小学校、中学校にも障害者の子はいた。
でも私自身が積極的に関わることはなかった。
言い訳すれば、家庭の事情で転校を繰り返した私は、
親しくなる時間的余裕がなかった。
プラス、障害者がまだ世間に認知されていなかったから、
いきなり同じクラスになってもどう接していいかわからなかった。
だから、幼稚園や小学校低学年から、
障害者が身近にいることが当たり前になれば、
私のような戸惑いはなくなるだろう。
横浜時代に知り合いの自閉症の子を預かったりした時は、
知識的に自閉症の子がどんな行動をとるかわかっていたから、
違和感はなかったけれど、
全く知らない状態で預かったら、
どうしていいかわからなかっただろう。
だから、障害者は隔離するのではなく共存するのが正しいと今は思っている。
けれど、そのためには周りの協力は不可欠で、
それが負担と思う人がいる限り、障害者の市民権は得られない気はしている。
ボランティアという言葉が特別と思われているうちは、無理と思う。
だって、例えば自分の子どものスポーツの応援ですら、
車だしや審判が負担という親がいるのだから、
他人のこの障害児ケアが負担と思わないはずがない。
そういう人がいなくなることを切に願っている。