何かの機会に美味しいものを食べに行こうとなった時、肉が好きな人はステーキ、和食派ならお寿司とか人それぞれだし、ステーキ派だって中華が食べたい日もあるだろうし。私が小学生の頃、家族で蕎麦屋に行ってみんなが天ぷら蕎麦でも、私は月見そばしか食べませんでした。当時の私には卵が最上級食材でしたが、親父には理解出来なかったようです。子供の気持ちを理解するのって難しいんですよね。
今日、このブログの下の方に登場する本。
ほしおさなえさんの三日月堂シリーズ。
まだ1冊しか読んでいませんが、
手に取った時に読んだ本の裏表紙に書いてある説明文から、
この本のテイストはみつばの郵便やさんシリーズと同じだろうと感じ、
その感覚が間違っていなかったことに嬉しく思っている私がいます。
さて、小さい頃から、親の仕事の都合で、
ほぼ3年前後の周期で引っ越しを繰り返していた私は、
前にも書いた通り幼馴染みはいませんし、
何より深い人付き合いが苦手な人間となっています。
ある意味屈折した人間なので、
折に触れ、
特に、上に書いたようなテイストの小説を読むと、
引き付けられる反面、自己否定と言うか、
本の主人公と違って、
世の中から自分は必要とされていないと言う思いを犇々と感じます。
(因みに犇々と言う漢字はひしひしと読むらしいです。自分では書けませんし知りませんでしたが、変換したら出てきました。パソコンの良いところ?悪いところ?ですよね。)
話を戻します。
こう言うテイストの小説の主人公って、
突出したスーパースターではないけれど、
色々な人から愛され、頼りにされ、受け入れられています。
たかが小説の主人公、架空の人物ですが、私が憧れる存在です。
だからこそ、現実の自分とのギャップに打ちのめされるのです。
落ち込んだからといって死にたくなったりする訳ではありませんが、
あんな人間になりたいと思いながら、なれない自分にがっかりする。
だったら読まなければ良いのにって思うけれど、
読んで、
やっぱりこんな人間になりたいなあって思うのが好きなんです。
こう言うところも屈折している感情なんですよね。
こう言う小説に出て来ることは少ないのですが、
デリカシーがなくて自己中心的な登場人物が出てくることがあります。
私は大嫌いで、
時にはそういう人物像が嫌いで、
小説自体を読むのを止めてしまったっこともあります。
嫌いなものはしょうがないですよね。
でも、最近はそういうものに対する耐性が減ってきています。
なので現実にそういう人がいるので、困っています。
さて、今年の目標である年間読書150冊。
123冊目です(今年136日目)。
「小料理のどか屋人情帖 幸くらべ」 倉阪鬼一郎
勝手に評価10点満点中7点
岩本町で焼け出された先の大火のとき、のどか屋の時吉とおちよは一石橋の蔵のかげで泣いている双子の赤子を見つけた。見拾てはおけないから、保護して江美と戸美と名づけた。赤子は有徳の人、井筒屋の善兵衛にあずけられ、十三年が経った。双子の娘は、のどか屋はじめ三軒の旅籠を掛け持ちの手伝いに入って…。折しも上方から偽薬の悪党らが江戸にやってきたのである。
安定の面白さでした。
さて、今年の目標である年間読書150冊。
124冊目です(今年136日目)。
「活版印刷 三日月堂 星たちの栞」 ほしおさなえ
勝手に評価10点満点中6点
川越の街の片隅に佇む印刷所・三日月堂。店主が亡くなり、長らく空き家になっていた三日月堂だが、店主の孫娘・弓子が川越に帰ってきたことで営業を再開する。三日月堂が営むのは昔ながらの活版印刷。活字を拾い、依頼に応じて一枚一枚手作業で言葉を印刷する。そんな三日月堂には色んな悩みを抱えたお客が訪れ、活字と言葉の温かみによって心が解きほぐされていくのだが、弓子もどうやら事情を抱えているようで――。
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