「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

大麦工房さんのおやつ

2019-07-13 20:32:56 | お題

 

 

 

 

 

 

 

 

インターネットで注文した大麦工房さんの 「 おやつタイム 」 。

注文してから到着するまで少し時間が掛かったが、

どれも美味しくて、小腹を満たすおやつだった。

 

※ gooのお題を書いているが、旧バージョンだと 「 お題に反映されない 」 ことがある。

 


沖縄のおにぎり 「 あんだんすー 」

2019-06-22 19:12:52 | お題

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お題の 「 おにぎりの日 」 が6月18日だとは知らなかった。

日にちが経ってしまったが、沖縄のおにぎりについて投稿したいと思う。

 

沖縄ではフツーに食べられている油味噌。

これが入った 「 あんだんすー 」 のおにぎり。

アンダ ( 油 ) +ンス ( 味噌 ) 、豚味噌。

三枚肉を細かくきざみ、味噌、砂糖、酒、みりんを入れて混ぜ合わせたもの。

あつあつごはんに乗せたり、おにぎりの具にしたりしている。

沖縄では、 ” おふくろの味 ” として親しまれているので、

このおにぎりがあっても驚くことはないが、内地の人からみれば特別かも?

ちなみに久米島の ” あんだんすー ” が有名である。

 

 


青い紫陽花 ブルーハート

2019-06-12 17:52:45 | お題

 

 

 

 

 

そのカタチがハート型に見える青い紫陽花

雨に映える紫陽花が雨粒にキラリと光り

雨粒を得て自分を演出しているかのように自慢しいしい咲いている

 

紫陽花の花言葉は 「 浮気 」 「 移り気 」 「 冷酷 」 とか

冷たく移り気な不倫のイメージが付きまとう

だけど

花には罪はない

それを逆手に取って咲き誇ってほしい

青い紫陽花 ブルーハート

 

 


豆ごはんと卵焼き

2019-06-11 20:41:17 | お題

 

 

 

 

 

ダイエット中ということもあって、

今日の献立はいつもながらの質素なメニューだが、

それでも味わって食べれば素材の味が感じられて美味しい。

健康で美味しく頂けることに感謝している。

 

 


6月4日 ・ 虫の日のお題は  「 金運アップのムカデ 」

2019-06-04 20:45:41 | お題

 

 

 

 

 

今日、6月4日は語呂合わせで 「 虫の日 」 らしいが、

その語呂でのお題である。

 

以前にも書いたと思うが、ムカデは金運アップの虫だと言われている。

ムカデは漢字で書くと百足と書くように、足が沢山あり、刺されたら痛い。

そして、見た目グロテスクと言うことから、

 「 ムカデが好き、ムカデを見たい 」 と思う人は少ないと思う。

しかし金運アップやその他、勝負事などに良いとされ、

縁起のいい虫としてムカデは知られている。

何故ムカデがそのように金運アップ等の縁起のいい虫として好まれているのか?というと、

まず、ムカデと言うとその百足  ( ムカデ ) という名前の通り、足が多い事が分かる。

これによって、客足が多いと言う事になり、

商売ではお客さんが増える、それが商売繁盛につながるという事になり、

商いをしている者などにはムカデは金運アップの縁起のいい虫と言う事になっていたようである。

そして、お金が入ると言う事にもつながるので、

金運アップの縁起のいい虫としてムカデは喜ばれていたようである。

さらに、武士の時代にもムカデは金運アップではなく、

勝負師からも縁起のいい虫として知られていた。

いわゆるトンボ同様に、ムカデも前に進むことから勝ち虫と言う縁起のいい虫とされていた。

 


熊本市東区   「 遠回りして見た江津湖の花火大会 」

2019-05-30 18:37:50 | お題












































 
今回のお題は、 「 #思い出深い花火大会を教えて 」 であるが、
花火大会の思い出と言えば・・・
熊本市の江津湖で行われていた花火大会である。
 
江津湖で花火大会の日が佐世保競輪の最終日だとは知らなかったので、
佐世保競輪で優勝し、佐世保から気分良く帰って来たら、
東バイパスは帯山から江津方面は大渋滞で交通規制もあって、
なかなか江津湖までたどり着けなかった。
それで県庁通りから健軍廻りで秋津に抜け、大六橋を渡って、
画図小学校の前を通って裏道を抜けて帰ったことがある。
 
江津団地入口で 「 これから先は通行できません。 」 と、交通整理の警察官に言われ、
 「 その先に家がある。 」 と言って、江津塘  ( えづども ) に入って行ったことがある。
優勝賞金を懐に右手に打ち上がる花火の向こうの市民病院が
鮮やかに映し出されていたことを思い出す。



愛犬ピースから貰った、たくさんの思い出

2019-05-16 18:27:45 | お題














今のムサシを飼う前にピースという柴犬がいた。
ブログのハンドルネームのピースオレンジのピースは、
愛犬ピースから貰ったものである。
そんなピースの命の明かりが消えてから今年で8年になる。
 
ピースが亡くなる年の7月。
それまで夏バテだと思っていたピースが吐いたので 、
慌てて病院に連れて行ってレントゲンとエコーで検査すると 、
胃と肝臓に腫瘍が出来ていて、
肝臓は通常の3倍もの大きさに腫れあがっていた。
それでも助かる可能性があれば、
 「 どんなことでもして助けてやりたい! 」 。 その一心だった。

病気が発覚してから1分でも1秒でも、ピースと同じ時間を共有したくて、
仕事も沖縄行きも全てキャンセルしてピースの介抱をした。
日に日に弱ってくるピースに  「  頑張れ!頑張れ!  」  と声をかけながら、
 一緒に頑張ろうと一生懸命病気と闘った。

 目に見えて食が細くなって行くピースに 少しでも食べてもらおうと、
手をつくして口に持って行った。
ひと口、ふた口と食べてくれると嬉しくて、奇跡を願ったが、
数時間すると食べたものを全部吐いてしまっていた。
さらに一度吐いたメニューは二度と口にしなくなった。
 それでも内臓に負担をかけないで、栄養のあるものをと思い 、
テールスープなどを作って飲ませたが、
大さじ一杯飲むのがやっとで、最後は水さえも吐いていた。
 あれだけ食べるのが好きだったピースなのに、
 苦しい思いやひもじい思いをさせることが可哀想で 涙が止まらなかった。
 少しでも良くなればと、 家庭療法と平行して点滴にも通ったが、
 ピースは病院通いを嫌がった。
それでも 「  ピースごめんね!  」  と何度も何度も言いながら車に乗せた。
観念したように助手席に座るピースを見て涙が溢れて止まらなかった。

ピースの命の灯りが消える1週間前、
 「 もう苦しいことや嫌な思いをさせず、
涼しいところでピースの好きに過ごさせてやろう 」 と決め。
病院通いをやめた。 
その5日後の8月5日の早朝、ボクの隣でピースは静かに息を引き取った。
ピースの亡骸を愛用の布団に寝せ、1時間ばかり添い寝をした。
それから汗と涙でクシャクシャになりながら、
庭に1mほどの穴を掘って生前の品物と一緒に埋葬した。

ピースはかけがえのない家族だったし、ボクの生き甲斐だった。
そんなピースが生後2ヵ月で我が家に来たとき、
「 一生守ってやる! 」 って約束したのに、
一生守ってやるどころか、ピースの病気に気付いてやれなかったことで、
わずか5年の生涯に幕を閉じさせてしまったことを後悔している。

いつの日か、ボクが天国の階段を昇った場所にピースが待っていてくれたら、
約束が守れなかったことを詫びたい。
そして思いっきり抱きしめたい。



湯でカラダをほぐし、酒でココロを緩め、ストンと眠る

2019-05-12 19:05:36 | お題
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 「 休み明けの疲れはどう癒やす 」 というお題だが、
それは、ダラダラとぐうたらに過ごし、
どっぷりと湯に浸かってカラダをほぐし、
泡盛を片手に島唄を聴きながらココロを緩め、
ストンと眠ればスッキリして解決するさぁ~
 
 

伊集院 静さんの自伝小説 「 海峡 ・ 春雷 ・ 岬への 海峡三部作 」

2019-04-27 11:55:39 | お題
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
伊集院さんが岬への本に ” バンクの中には人生が在る ” とサインしてくれた
 
 
 
 
 
実写化してほしい小説は、
大好きな伊集院 静さんの自伝小説である。
関門海峡の潮流が瀬戸内海に続く防府の街での
少年時代が書かれている海峡。
 

琉球で初めて牛痘法を成功させた 「 仲地紀仁 ( なかちきじん ) 」

2019-01-30 18:12:38 | お題




波上宮にある仲地紀仁顕彰碑とベッテルハイム居住地跡の碑









仲地紀仁顕彰碑








ベッテルハイム居住地跡の碑








名護にある 「 なかちクリニック 」 の診察券






28日の宜湾朝保の逸話に続いて、同じ琉球の逸話である。
仲地紀仁 ( なかちきじん ・ 1789~1859 ) は、
那覇の泊村の医者の家に生まれ、若い頃から父について医術を学んでいた。
そして26歳のとき、中国に渡って4年間中国医学を勉強した。
その中国からの帰りに紀仁の乗った船が台風にあって薩摩まで流され、
紀仁は帰りの船を待つ間の1年間を薩摩の医者から内科と外科を学んだ。

こうして新しい医学を学んだ紀仁は琉球王府の医者として迎えられたが、
そのころ琉球では天然痘という伝染病が流行っていたが、
当時の琉球は、まだユタやノロの祈祷や拝みに頼る琉球王府だった。
そんな時、アメリカ人医師のパーカーが那覇に立ち寄り、
パーカーの天然痘の本を借り、紀仁はこの本を一日で書き写した。
パーカーは3日で立ち去ったので牛痘法をマスターする事ができなかった。

その後、1964年にイギリス人宣教師のベッテルハイムが那覇に来ていた。
彼は医者でもあった。
しかし当時はキリスト教が禁止されていたので、
ベッテルハイムの周囲には見張りがついていた。
紀仁は罰されるのを覚悟で密かに洞窟の中のベッテルハイムに会い、
牛痘法を学んだ。

ベッテルハイムは、 「 牛痘法のワクチンなら牝牛の乳房に出来た膿から取れる 」 と教えた。
紀仁は琉球じゅうを駆けずり回るが、なかなか見つからなかったが、
国頭村の宇久で、やっとみつけた。
こうして1850年に紀仁は琉球で初めて牛痘法を成功させた。

そんな仲地紀仁の子孫である、仲地先生にグスク巡りをしているときに
名護で治療を受けたことがある。



生活が苦しくなったら 「 墓を売りなさい 」 と言った宜湾朝保 ( ぎわんちょうほ )

2019-01-28 21:11:41 | お題



首里大名町にある宜湾朝保の墓 









 「 尚家宜湾朝保の墓 」 と刻まれた脇の墓碑







沖縄が琉球から沖縄に変わろうとするときに、
薩摩藩から逃れようと琉球国から琉球藩に変わった。
それを提案したのが宜湾朝保 ( ぎわんちょうほ ) である。
当時、朝保は琉球王国の三司官であったが、
ある日、子どもたちを呼んで、
 「 もし、この宜湾家がおちぶれて生活が苦しくなったら墓を売りなさい。
生きてこそ、また出世が出来るのだから 」 と言ったという。

祖先を崇拝する気持ちが強い沖縄では、
墓は何よりも大事だと考えられていた時代の逸話である。


太宰府天満宮の天神さまにお参りを・・・

2019-01-21 19:15:04 | お題



学問の神さま菅原道真公を祭った太宰府天満宮








合格祈願をする人々







大臣など著名人が通った、お石しゃんの 「 お石茶屋 」







お石茶屋の梅ケ枝餅






受験の準備というか、
気持ちの拠り所は ” 神頼み ” だった。
高校受験のとき、学問の神様である菅原道真公を祭る
太宰府天満宮にお願いに行った。
その御利益で見事合格した。
幸運なことに今までいろんな試験を受けているが、
落ちたことがない。

苺といえば・・・ 「 ケーキにタルトにヨーグルト 」 かな?

2019-01-15 20:20:28 | お題






























いちごといえば 「 一期一会 」 を思い浮かべるが、
漢字の苺でいえば・・・
ケーキにタルトにヨーグルトかな。


長崎県長崎市  「 白水堂 / 桃かすてら 」

2019-01-08 18:00:50 | お題



思案橋の近くにある 「 白水堂 」








握りこぶし大の 「 桃かすてら 」


























お土産はどんな物でも頂けば嬉しいもの。
そんなお土産を買って帰るとすれば、
博多は明太子。佐賀は小城羊羹。
五島列島の五島うどんと、かんころ餅。
熊本は、すぎもとのレモンケーキだけど、
他には、からし蓮根やいきなり団子。
そうそう、同じ熊本でも馴染みの山鹿は、なんと言っても山鹿羊羹であろう。

色いろ悩んだが、貰っても差し上げても嬉しいと思えるものは、
長崎市にある 「 白水堂 」 の桃カステラである。


 年末は掃除をして飲酒。年始は飲酒して休養。

2018-12-28 17:45:11 | お題



今宵も琥珀に抱かれよう・・・






昨年末は身内に不幸があって、
今年の正月は喪中だった。

今年末は慌ただしく掃除をして疲れたカラダを
飲んで癒そう。

年始は何も考えず何も気にすることなく酒を飲み、
泥のように酔ってゆっくりと休もう。