「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

熊本県三角町  ・  近代土木遺産 「 三角西港 」

2012-11-26 00:15:34 | 近代化産業遺産・土木遺産











































































































所在地 /  熊本県宇城市三角町三角浦
竣工   /  1887年 ( 明治20年 )
設計者 /  ルーエンホルスト・ムルドル
■  国指定重要文化財 ・ 選奨土木遺産



三角西港は明治期に国策として整備された3つの地方築港のうちの1つである。
政府のお抱え外国人のルーエンホルスト・ムルドル(オランダ人技師)が大きく活躍する。
熊本に派遣されたムルドルは、県令(知事)の意向によって熊本市の百貫石港を視察したが、
そこが大規模な築港として適さないことを進言する。
そこで選ばれたのがこの三角西港である。

大矢野島の飛岳から切り出した砂岩を材料に埠頭や排水河川、そして橋までも造られた。
その背後には洋風の計画都市が形づくられた。
明治20年に開港を迎えると米や麦、麦粉、石炭、硫黄などが大陸に輸出されたが、
この港も約30年後には利便性の高い三角東港の開港にともない徐々に役目がなくなり、衰退していった。



三角西港へのアクセス
三角西港へは、国道3号線宇土バイパス宇土入り口交差点より国道57号線を
三角方面へ約40分。天草五橋の一号橋の手前右側の釣鐘島が目印になる。
JR熊本駅よりJR三角線で三角駅下車、タクシーにて約5分。
トイレ・無料駐車場完備。



熊本県三角町   「 三角港フェリーターミナル ( 東港 ) 」

2012-11-26 00:13:18 | 船 ・ フェリー ・ 港














三角駅の正面にピラミッドや巻き貝を連想させる
インパクトのある白亜の建物が目に飛び込んで来る。
それが三角港フェリーターミナルである。

三角港は西港と東港に別れており、1884年(明治17年)に西港の整備が始められ、
1887年(明治20年)に開港した。
近代的港湾としては、日本でも最古にあたる。
三角西港の建設には国費が投じられ、宮城県の野蒜築港、福井県の三国港とともに
明治の三大築港と呼ばれる。

西港周辺は背後に山が迫り敷地の拡張に難があることから、
やがて東港が整備されるようになり、
更に1899年(明治32年)に開通した九州鉄道の三角線も東港へ通じる路線であったため、
西港は急速に廃れ、物流や人口は東港へと移動していった。

1951年(昭和26年)には重要港湾に指定され、
1964年(昭和39年)に三角と島原を結ぶフェリーが就航し、
1971年(昭和46年)-9m岸壁が1バース延伸されて、ますます機能が充実した。

しかし、1966年(昭和41年)に天草五橋が開通して九州本土と天草諸島とが自動車で往来できるようになり、
天草への貨物・客船航路は次第に廃止されていった。
また、八代港、熊本港等の他の港の機能整備が進展したことにより、人流・物流が分散した。
2006年(平成18年)には三角島原フェリーも廃止され、
現在三角港から出ている船は御所浦港行きのみであったが、
2009年(平成21年4月1日)より、本渡港-前島(上天草市松島)-三角港間に高速船「天草宝島ライン」が就航した。




佐賀県神埼市  「 仁比山神社のクスノキ 」

2012-11-26 00:10:04 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



仁比山神社のクスノキ



































神埼市の仁比山神社にもクスノキの大木がある。
神社は隣接する「九年庵」、「仁比山公園」とともに桜・紅葉などの名所である。
クスノキは、推定樹齢800年と600年という。
神埼市指定天然記念物になている。
社殿の左下側の鳥居の前に立っている。





宮崎県高千穂町  ・  高千穂峡 「 七ツヶ池 」

2012-11-26 00:08:21 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



高千穂峡 「 七ツヶ池 」




















十社大明人(三毛入野命)が御塩井(高千穂峡)を散歩される時、
水鏡に映る美しい娘鵜ノ目姫と逢われた所です。
岩のうねりの間から泉酒が湧き出ると伝えられている。




佐賀県神埼市  「 仁比山神社の仁王門と仁王像 」

2012-11-25 00:13:02 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



仁比山神社の仁王門 ( 正面 )









仁王門( 裏側 )








道路から鳥居越しに見た仁王門








向って左側の阿形








向って右側の吽形





仁王門は、仁比山神社参道の入口に位置しており、
本来この地にあった仁比山護国寺の山門であったと考えられている。
仁比山護国寺は、寺院由緒書きによると天平元年(729)
聖武天皇の勅願によって僧行基が草創したといわれており、
現在は「地蔵院」と「仁王門」のみが残っている。
仁比山神社は山の神・農業の神として祭られており、
12年に一度申年に大祭「御田舞」が奉納される。
現在の仁王門は、江戸時代に建設され、3間1戸の八脚門の特徴を持つ。


仁比山神社は、天平元年松尾明神を勧請したことに始まり、
承和十年比叡山日吉山王社を文礼して合祀したと伝えられる古社である。
神宮寺である仁比山護国寺は、千手観音を本尊とし、往時には三十六の僧坊があった。

この仁王像は、左に阿形、右に吽形の二躯一対である。
鎌倉時代の作で、樟材の一木造りで、彫眼・彩色を施しており、
阿形は像高305.2センチ、吽形は像高311.2センチで、
全体に動きの少ない直立した姿勢をとっている。
二体ともに後補の補修が多く見られる。
面貌の硬い表情は鎌倉時代後期の特徴を持っているが、
構造や体勢、太い繩状の腰帯、掌、大腿部の浅く線的に整えられた衣文は
古様をあらわしており、製作年代は平安時代までさかのぼる可能性がある。
佐賀県下でも最大規模の仁王像として非常に重要である。




栗毛列伝 ④  イブキバレリーナ

2012-11-25 00:10:58 | 競馬・ボート






「 愛しのイブキバレリーナ 」




イブキバレリーナ
僕の夏はこの馬のためにあった
暑い 蝉時雨が降る小倉競馬場で
一年に一度この馬に逢う事だけを楽しみに
足を運んだ
その想いはまるで七夕さまみたいに
日ごと大きく膨らんで
僕を有頂天にした
薄く線を引いたように細く流れた流星が
グッと彼女を魅力的にして
美女の雰囲気を漂わせる

このほど生まれ故郷の北海道へ
繁殖にあがったことを知った
僕は失恋の思いでとても悲しかった
九州から北海道は遠すぎます

ならば あと五年待ちましょう
バレリーナの仔が
小倉の馬場に現われる
その日まで





イブキバレリーナ
父 ノーザンテースト
母 シャダイホープ



『 サガントス 』 応援酒 ・ のんのこ

2012-11-25 00:08:32 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒














先日、有田に行った時に買って来た 「 サガントス 」 デザインの焼酎である。
「 佐賀ん鳥栖 」 だから地域あげて応援しているのだろう。
飲み心地はフツーだが、ラベルや瓶に惹かれて買ってみた感じである。

サッカーは、J2のギラヴァンツ北九州を応援している。
三浦泰年監督になってチームは躍進し、
J1への昇格が期待出来そうなチームになって来た。が・・・
そのチームを牽引して来た三浦監督が今季で退任してしまった。
あと1年。あと1年いて指導してくれればJ1昇格も夢でないと思うし、
J1への足がかりを作ってくれると信じていたのに残念でならない。

サガントスのラベルに書かれている 「 夢超戦 」 で、
大分トリニータはJ2の6位からプレーオフで勝ち上がり見事にJ1へ復帰を果たした。
サガン鳥栖もギラヴァンツ北九州も大分に続いて、夢をカタチにしてもらいたい。

ちなみに現在サガン鳥栖は4連勝でJ1で3位である。
このまま行けばACL ( アジア・チャンピオンズ・リーグ ) 出場も夢ではない。
頑張れ!佐賀ん鳥栖。




熊本県三角町  「 JR三角駅 ( みすみえき ) 」

2012-11-25 00:02:57 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣






















戸馳島を出て宇土半島の先端を目指して三角線と平行して走り、
三角の街中に入ると右手に三角駅が見える。

JR三角駅は、宇土半島先端部にある三角港へ接続する路線として三角線が建設された際に、
その終点の駅として開設された。
ただし、本来の三角港は宇土半島の北側にあったが、
港周辺の土地が狭かったことから三角駅は宇土半島の南側に建設された。
また、建設予定地は埋立地であったが、
その手前に暫定的に1899年(明治32年)12月25日に開業し、
1903年(明治36年)9月5日に本来の予定地であった現在地に移転している。
駅前に近距離航路の港が開設され、
駅に近い利便性からやがて本来の三角港との立場が逆転することになった。

三角島原フェリーが1964年(昭和39年)に就航すると、
これと接続して観光ルートを形成するようになった。
その前年から準急「火の山」(1966年から急行格上げ)が乗り入れるようになり、
豊肥本線方面へ直通列車が走るようになった。
しかしモータリゼーションの影響などで需要は減少し、
1986年(昭和61年)11月のダイヤ改正で「火の山」の三角への乗り入れは終了した。
さらに熊本新港の整備が進んで需要が減少したことから、
三角島原フェリーは2006年(平成18年)8月に運航終了となり、島原方面への接続はなくなった。
2009年(平成21年)4月1日から本渡港との間に天草宝島ラインが就航している。


1899年(明治32年)12月25日 - 九州鉄道(初代)により初代駅が開設。
1903年(明治36年)9月5日 - 天草島原方面近距離航路の港が整備開設されたために現地点に駅移動。
1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道(初代)が国有化され、国有鉄道(帝国鉄道庁)の駅になる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR九州が継承。



宮崎県高千穂町  ・  高千穂峡 「 仙人の屏風岩 」

2012-11-24 00:05:21 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



高千穂峡 『 仙人の屏風岩 』



























五ケ瀬川上流域の高千穂の峡谷は、元々の渓谷に、阿蘇火山の火砕流が流れ込み、
そのまま冷えて固まったところに、又再び渓谷の急流が溶岩を侵食して深い谷を造ったものである。

その奇異変化に富んだ地形は、いつしか高千穂峡と呼ばれるようになった。
一般には、三田井地区の窓の瀬から下流2kmの地域を呼ぶ。
その一帯は、高さ80m~100mの見事な柱状節理の断崖が連なっている。
その河床の一枚岩をノミでくり貫いたような川筋が、岩盤を幾つかに分断している。
その岩々に、小橋が架けられ、あるいは削られ、縫うように遊歩道が伸びている。

歩を進めるほどに変化してゆく渓谷の景観は、ゴツゴツとした岩肌の男性らしさと、
湧き出る地下水が造る御塩井(おしおい)の池や、溢れて淵に落下する真名井の滝など、
優美な女性らしさを合わせ持つ。

特に夏の新緑、秋の紅葉の季節には、岩肌とのコントラストが見事な景観をなし、
渓谷の自然美を間近に堪能できる。
観光客も多く、国の天然記念物に指定されている。


岸に広がる屏風面の岩(高さ約70m)を 「 仙人の屏風岩 」 と言います。
上流の新橋付近から下流の真名井の滝・ボート乗り場付近までが、
自然の造形美の美しいところです。
昭和9年付近一帯が「名勝天然記念物」に指定されています。



ムサシと遊んだら気が晴れた。

2012-11-24 00:03:40 | 柴犬 ムサシとピース




















木曜日はマンホールを入れたが、水が出て残業になった。
それでもなんとかレジンまでリブ管を繋ぎ込んで埋め戻して帰った。
そして祝日でも仕事はあるので現場に出ると少しの雨なのに
怠け者が休みにしようと言い、監督が休みにした。
これから日中の時間も短くなるし、
天候も不順になるので仕事が出来るうちに進めばいいのだが、
どうも考え方が根本的に違うようである。

「 在る時の倹約は無い時の辛抱につながる 」 のだと思っているが・・・
毎度毎度のことながら、工期が押し迫ってからバタバタしたいのだろう。な、
怠け者が居ると、一生懸命働くのが阿呆らしく思える時がある。
俺も怠けてやろうと思う時もあるが、
性分だからどうしても怠けきらないのである。

怠け者はモタモタして一行に仕事が進まない。
しばらく放っておいても埒があかないので、
どうしても手伝ってしまう。

きつい事、汚い事、危険な事、この3Kを怠け者は極力避ける。
だけど怠け者に限って、義務を遂行せずに権利ばかり主張するのである。

結局仕事もせずに現場から帰って来たが、
モヤモヤ感は残ったままだった。
それでもムサシと遊んでいるとモヤモヤ感が晴れた。




我が家の紅葉

2012-11-24 00:01:27 | 日記 ・ イベント






我が家にはモミジの木がたくさん植えているので、
この時季になると庭がいっぺんに賑やかになる。
新緑の季節も良いが、やはりモミジの紅葉は味がある。





佐賀県神埼市  ・  紅葉の名所 「 九年庵・秋の特別公開 」

2012-11-23 00:08:27 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



九年庵の特別公開



































































九年庵は、佐賀の大実業家、伊丹弥太郎が明治25年に造った別荘と
明治33年から9年の歳月をかけて築いた6,800㎡の庭園である。
 
別荘は入母屋葦葺の屋根に杉腰張りの土壁、竹格子の連小窓や真竹を用いた周りの濡縁など、
野趣に富む外観を持ち、材質、色感、意匠、構造などのすべてに、
細心かつ充分な吟味が加えられ、茶室と書院の様式を折衷した近世和風の数奇屋建築です。

庭園は広く、多くのツツジやモミジ類などが植栽されており、
四季を通して美しい景色を描き出しています。
また、庭一面に広がるコケはまるでじゅうたんを敷き詰めたかのように錯覚してしまいます。

九年庵は平成7年2月に国の名勝の指定を受け、毎年秋の紅葉の時と春の新緑の時に一般公開をしています。


入園までかなり待たされたが、待ってでも観る価値がある庭であるが、
ただ、園内は人・人・人でごった返していて、
人が写真に入らないようにするのも大変だったし、
自分のペースで観れないのが残念だった。



熊本県宇城市 「 寺島灯台 」

2012-11-23 00:07:07 | 熊本の灯台



戸馳島から見た「 寺島灯台 」








三角港から見た寺島灯台







寺島の緑に白い灯台が映える

















所在地 / 熊本県宇城市三角町 寺島
塗色  / 白色
構造  / 塔形   構造材質 / 石造
灯質  / 単閃白光  毎3秒に1閃光
実効光度  / 26カンデラ  
光達距離 /  3.5海里       
頂部までの高さ / 11.24m
平均水面から灯火まの高さ / 10.30m
現用灯器  / LED灯器Ⅱ型 ( 白 )   電球 / LED
設置、点灯および業務開始年月日 / M31.5.10



明治時代に建設された戸島灯台・戸馳島灯台のようなハウス形とは趣が違い、
海の中に建つ灯台らしく、美しい塔型の造りをしている。
その姿は純白なドレスをまとった聖母の立ち姿に重なると言われており、
石積みのラインが気品あふれる灯台である。
海上保安庁の保存灯台Cランクに位置づけされている灯台である。



沖縄県国頭村辺戸 「 義本王の墓 」

2012-11-23 00:04:22 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所











墓の入り口にある墓碑銘





義本王の墓は、国道58号線の辺戸集落の近くの、
国道から右に階段を上った場所にある。

義本王とは沖縄最初の実在王統舜天の孫に当たる人物で、
1249~1259年に在位した王である。
1950年代、うち続く日照りで農作物が取れず、飲み水はなく、
伝染病が流行って琉球の国民の半数が死亡した。
これは人の上に立つ義本王に徳がないから天災が起きたのだと思われ、
有徳者に王位を譲って引退することにした。
群臣は、伊祖グスクの英祖は徳があると推挙した。
英祖が政治を行うと疫病は止み、民は豊になった。

それで義本王は王位を譲って隠れ、行方は知れないという。
これは中国の禅譲 ( 王が高徳の人に位を譲る ) を模しているが、
実際は権力者の英祖が追放したとも言われている。
義本は沖縄最北端まで落ち延びて逝去したのか?
それともこの墓は偽装だったのか?は、定かではない。
辺戸の谷川は大川 ( 神名 ・ 「 アフリ川 」 ) と呼ばれ、
王府は稲穂祭と年末に若水を汲みに来た。
公民館裏の 「 タハンナ丘 」 に辺戸の男全員が旧暦5月15日に悪疫退散を祈願する。
石灯篭や石香炉の他に、梵字 「 ア沙門太演 」 の石碑がある。
沙門は僧の意で、臨済宗妙心寺派の大演宗興と思われる。

現在はこの辺戸にあるのが義本王の墓だとして伝わるが、 「 国頭村史 」 によると、
義本王の墓と伝わるのはこの辺戸以外にも伊地・佐手・中城村仲順と4つあり、
また喜界島へ隠れたという伝説もあるという。
「 国頭村史 」 によると、佐手はテイチバーと呼ばれ、近年調査がされたが、
名だたる者の墓と推測される物は発見されなかったという。

この辺戸の墓も明治初年に尚家が作らせたもので、
現在ここを管理するのは義本王と縁があると言われる佐久真家だという。
いずれにせよ、これらの伝承・記述からは遺骨が発見されているわけでもなく、
義本王縁の地に関係者が後世になって作ったというだけの話のようである。




佐賀県有田町泉山にある 「 弁財天の大イチョウ 」

2012-11-22 00:23:36 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



佐賀県有田 「 弁財天の大イチョウ 」





































弁才天神社の鳥居






弁財天の神額







陶板で作られている 「 説明板 」






口屋番所跡






口屋番所跡に飾られている陶板










このイチョウの木は今まで見た中で、もっとも素晴らしいイチョウの木である。
今まで文化財や石橋ばかりに目が行って、このような木々に注目することがなかったので、
こんな素晴らしいイチョウの木が有田にあるとは知らなかった。

泉山弁財天社境内にある樹齢約1000年の国の天然記念物です。
高さ約40m、根回り11.6m、枝張り18mの佐賀県内一の巨木である。
イチョウの木では、樹高、姿の美しさは日本一だといわれている。
11月になると木全体が黄金色に変わり、落ち葉で黄色い絨毯の散歩道へと変化する。

口屋番所とは、佐賀藩の役人が、陶土や絵描き、細工人の流出を取り締まった場所をいう。