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国分寺市、姉妹都市・友好都市 文化交流イベントを見学。

2022-11-04 17:23:27 | Weblog

 国分寺設立の由来は、聖武天皇が全国に仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じたものと言われています。詳しくは諸書を紐解いてください。

 佐渡市は、島内真野地区(我がふるさと)に同じく “国分寺” があることから、国分寺市と姉妹都市となっております。国分寺市との友好都市は、鳩山町、長野飯山市だそうです。

 

現在の国分寺。

 

 昨日、文化の日を選んで、国分寺市は、史跡地区につくられた広場で、武蔵国分寺跡史跡指定100周年を祝い、首記のような文化交流イベントを開催しました。

 

 首都圏で組織されている我が郷土会(首都圏真野人会)は、毎年、国分寺まつりに駆けつけて応援していた関係で、今回のイベントに声がかかった。

 今回は、我が郷土会だけでなく、首都圏に組織されている郷土会の集まり団体にも我が会長から声をかけたところ、大勢の人に参加してもらえた。

 我が真野人会から参加した面々。中央のワイシャツ姿の人は前国分寺市星野市長(数年前の国分寺まつりで、星野前市長が開会あいさつ時首都圏真野人会をステージ上から紹介され感激、それ以来会うごとに声を掛けさせて頂いている)。半纏を着ている右端は佐渡市から来ている遠藤担当課長、また、半纏を着ている左端と右から4番目の人は佐渡市東京事務所駐在員。

 今回のイベントは、国分寺まつりとは比較にならず、規模が小さかった。物販コーナーのテントの数も国分寺市商工会、佐渡市、鳩山町、そして飯田市から参加のものだけだった。

 昼食は、史跡広場内で、持参したパンなどをかじった。

 昼食時、隣に座っていたMさんの手に留まったカマキリ。なぜかMさんから離れようとせず、椅子席に入る手前まで、Mさんと一緒だった。 Mさんは行列から離れ、広場脇の草むらに行き、放した。今日はいい日になりそう。とてもかわいかった。

椅子席を確保して、始まる前のステージの状態をカメラに収めた。

 13時から始まったステージイベント模様を詳細に報告したかったが、あらかじめ「カメラ撮影禁止」のアナウンスがあり、撮影禁止となったので、どんなことが行われたかだけを羅列します。

1 井澤国分寺市長の挨拶。

2 田中市議会議長の挨拶。

3 市観光大使「荒川ケンタウロス」の実演。30分間ほどの熱演だった。

4 佐渡市地域振興部地域づくり課遠藤課長による佐渡市の現状。

  特に課長から島内人口減による限界集落化率が40.6%と説明された時にはドキッとしてしまった。

  最後に遠藤課長から、会場内に首都圏から参加している真野人会そのほかの人たちに起立を との声がかかり、私共は一斉に起立、会場の人たちに頭を下げた。

5 鳩山町の○○主任による国分寺市との関係と町の現状。

  鳩山町は、武蔵国分寺の瓦を焼いた窯跡などがあることから友好都市となっているそうだ。

6 飯山市市長による飯山市の現状説明。

   飯山市とは,平成24年11月14日に「災害時相互応援に関する協定書」を締結したのをきっかけとし、平成29年5月,友好都市協定書を締結したようです。

7 飯山市の芸能、大々神楽「五束大々神楽」を披露。

8 また、同時に飯山市の老人クラブによる天岩戸の前で舞い、岩戸を開ける芸能を披露。

9 休憩の後、佐渡市を拠点にして世界各国を演奏して回っている「鼓童集団」8名ほどによる大太鼓や小太鼓と横笛の演奏。

  屋外演奏だったが、マイクの効果もあり、大太鼓は心に響いた。

10 最後に国分寺市古谷教育長による閉会の辞が述べられ、ステージでのイベントはすべて終了した。

 写真がないのが残念ですが、有名な団体による演奏ですのでやむを得ないと納得し、席を立った。

 終了後、私は、ステージ裏のテント控室に行き、鼓童の人たちに挨拶、労をねぎらった。

 今回の国分寺跡史跡指定100週年の記念行事は、国分寺市の紹介に始まり、それぞれの姉妹都市、友好都市の紹介と郷土の芸能を披露し、意義あるものと思った。

 国分寺市が末永く発展されることを願いたい。

 <注>

   先の6番目に鳩山町が芸能披露と記していたが、不明確のため問い合わせたところ、鳩山町は芸能披露がなかったとのことでした。

 国分寺市に問合せした結果、飯山市の方々が、2つの芸能を披露したとのことでした。お詫び申し上げますとともに訂正させていただきます。

 

  

 

 

 

 

 

コメント (2)
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