“しなやかに、清々しく”

日常の出来事等を気ままに発信したい。

第1回「国分寺市すべての人を大切にするまち宣言」制定記念行事に参加。

2022-11-26 21:05:07 | Weblog

 先月3日の武蔵国分寺跡史跡指定100周年文化交流イベントに参加した折、国分寺市市民生活部人権平和課T課長並びにW係長から、「来る26日、西国分寺駅前の“国分寺市立いずみホール”に於いて、拉致被害者の曽我ひとみさん(我がふるさと佐渡市真野在住)が講演なさるのはご存知ですか。評判が良くてもう満杯で締め切りましたが・・・」とお聞きした。

 翌日、人権平和課W係長さんに電話し、「曾我ひとみさんを応援したい。満杯で締切ったとお聞きしましたが一番端っこでよいから出席させていただけませんか」と相談した。W係長「参加出席者は天候に左右されますので、2~3名であれば、たぶん大丈夫と思います」との返事だったので、首都圏真野人会N会長(代行)そしてK理事、私と3名で出席したい旨を伝え、今日を迎えた。

 今日の天気予報では、午後から雨となっていましたので、W係長が申したように前の席は、若干空席があった。

 午後2時開会となっていたので、私どもは、午後1時30分に西国分寺駅で待ち合わせた。定刻に集合して駅南口を出たらホール前にはもう行列ができていた。

 受付を済ませ、近くにいたT課長に御礼のあいさつ。T課長に「曽我さんはどちらに?」とお聞きしたら、「まず、席を確保してください。曽我さんは、署名受付におりますので、ご案内します」と。 

 T課長から案内してもらい、3人は拉致被害者を救う会あての署名をするとともにそこにいた曽我さんに挨拶。

 柱の左側が署名場所。曽我さんに柱の右にちょっと呼んで、全員マスクを外して記念撮影。

 曽我さんと別れ、W係長に御礼のあいさつをし、2時からの開会を待った。

 会場入口に居た案内者に「会場でのカメラ撮影は禁止ですか」と聞いたら、「はい、開会中は写真撮影は禁止となっています」と申すので、「それでは、始まる前にここから1枚撮らせてください」と申して撮ったのが次の写真です。

 

 定刻前に司会者の会場内での注意事項が述べられ、その一つ、会場では写真撮影禁止が告げられた。従ってこれ以降、閉会しロビーに出るまで写真は一枚もありませんのでご了解ください。

 定刻のベルが鳴り、まず開会の挨拶として、国分寺市井澤市長が挨拶。

 以下、式次第に則って進められたので、その概略を記しておきます。

 まず井澤市長は、首記まち宣言は、昨年12月10日世界人権デーに合わせて制定されたこと。「人はすべてかけがえのない平等な存在として尊重され、幸せに生きる権利を持つこと」、しかし、今なお数多くの課題に直面していることから制定に至ったこと等を述べられた。

 そして首記まち宣言第一回として、拉致被害者の帰国から20年と言う節目を迎えることから、今回曽我ひとみさんを迎えて講演会を開くこととなったこと、家族の苦しみ等を聞いて、私共に何ができるかを考える場としたいと締めくくった。

 次に国分寺市議会田中議長が挨拶に立った。

 田中議長は、まち宣言から一周期を迎え今回に至ったこと、北朝鮮の人権侵害が今なお問題解決に至っていないこと等について述べられた。

 続いて国分寺市の事業紹介が、市民生活部人権平和課課員からなされた。

 彼女は、①国分寺市バリアフリー基本構想

     ②障害のある方の外出を支援

     ③移動販売等により買い物困難者を支援

 等、6つほどの事業紹介があった。

 いよいよ、曽我ひとみさんが紹介され、ステージの右側から登場。

 曽我さんは、20年ほど前の帰国直後に一度国分寺市を訪ねたことがあり、それから20年を過ぎたことを述べ、演題は、『拉致問題を考えるーこの20年を振り返って思うこと』。

 皆さんと顔を合わせて進めるのが良いのですが、あらかじめ記してきたものを読みながら進めたい旨を述べ、ペーパーを出して読み始めた。

 まず20年経ったことへの思いを述べ、“ある日一瞬にして壊されてしまった”ので、母との思い出話から始まった。

 幼いころの母との食事のさま、盆踊り時の浴衣のこと、母が入院した時に、母に会いたい一心で妹と二人で裸足で(家に証拠を残すように考えて)病院に向かったこと等を話した。会場は咳一つせずシーンと静まっている。どこかですすり泣く声が聞こえた。近くの店まで母と一緒に買い物に出かけ、その帰り道、後ろから3人の男がついて来、家の100メートルほど手前で急に手足を抑えられ、袋をかぶせられ、近くの川で小さな船に乗せられた。

 ひとみさんが19歳の昭和53年8月12日のこと。沖で大きな船に乗り換え、暗い部屋に閉じ込められた。翌日、港に着いた時、「母は?」と問うたところ、「お母さんは、佐渡で元気にしているよ」との返事だったと。

 北朝鮮に着いてからの生活状況を述べ、いつも監視が付いていたから、どこへも出かけられなかったこと、そして子供二人の小学時の入学時や運動会にも私どもは出席できなかったこと等24年間の辛い気持ちを述べられた。

 会場は本当にシーンとしている。こんな会場ははじめではないかと自分に問う。

 残された時間はもう少ない、「早く早く拉致家族に合わせてもらいたい」と、「一日も早く親孝行をしたい」と述べ、「もう一度母に会いたい。母と今までのことを話し合いたい」と今の気持ちを述べ締めた。

 拍手が何度も繰り返された。約1時間の講演を終えた。

 司会者から閉会の挨拶があり、席を立った。

 私共は、井澤市長に挨拶しようと市長の後を追った。“市長”とうしろから声をかけると、振り返り、「ああ、真野人会」と言葉が飛び出す。会場でのシーンとした状況を伝え、感激した旨を述べ別れた。

 出口に向かったところ、T課長から内藤副市長を紹介されたのでこちらからN会長を紹介して挨拶。会場のあのシーンとした雰囲気に感謝御礼を申し上げた。

 ロビーには曽我さんの小さい時からの写真が紹介されていたので、閲覧。

 手前では、署名する人で行列をなしている。

 

 出口付近では、曽我さんと曽我さんに同行して佐渡から来ている小田さんが皆さんに挨拶している。

皆さんに挨拶する曽我さん。

 

小田さんに挨拶するN会長とK理事。

そしたら、小田さんは、私の中学同級生小田君の姪っ子だそう。これまたびっくり。

 私ども3人は、西国分寺駅近くの喫茶店でお茶をすすって今日の講演状況を振り返った。

 国分寺市は、“人権平和課”という特化した課を設けて人権支援をしている素晴らしい市と感じた。

 

 

 

 

コメント (4)
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