アマゾンわんわん日記 2018

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20年目のセナさん

2014年05月02日 | ブラジル雑記
昨日5月1日はアイルトン・セナがなくなってちょうど20年目でした。
日本のニュースでも、取り上げていましたね。

ブラジルではいろいろとイベントをやっているようなことを言っていましたが、とりあえず、テレビのスポーツ番組で特集しているぐらいかな?
サンパウロでは何か特別なことをやっているのかな?

セナさんが事故にあった日、私はリオの日系団体の運動会に参加していました。
リオデジャネイロのCajuの海軍グラウンド。
ちょうどはじめのラジオ体操が終わったところで「セナが事故にあったらしいというニュースが飛び込んできました。
どこから情報が入ってくるのか、「ヘリで病院に運ばれた」「車が大破し、その破片が落ちてきて直撃したらしい」等々、まるで、レースの行われたサーキットがすぐ近くにあるかのように詳しい情報がどんどん入ってきました。
その後、「意識が戻らない」「危篤状態のようだ」との情報が入り、運動会が途中で中止になるのでは?と思うような人々の動揺振りでした。

セナさんがなくなって、遺体がリオに帰ってきた日は、小雨模様の日でした。
遺体をのせた飛行機を操縦していたパイロットは、「人生で一番悲しい仕事だ」というような内容の話を報道に発表していました。

1994年はワールドカップの年でもありました。
ワールドカップのアメリカ大会?
ドゥンガがキャプテン。
ベベットの赤ちゃんが生まれて、ゆりかごダンスが流行ったのよね。
最初の試合のときに、ブラジルの選手たちが真ん中にセナさんの写真を掲げ「僕達は、あなたとともに戦う」と宣言していました。
最後はたしかイタリアとPK戦の後に優勝。
最後は「セナ この優勝はあなたとともに」という言葉を掲げて優勝を喜びました。





一時期、ブラジル中で、街の中に新しく作られる道路や橋などに「アイルトン・セナ」の名前が冠される時期がありました。
ブラジル中、どこに行ってもアイルトン・セナがいる。
もしかしたら、ブラジル人にとって、セナさんの存在は本当にそういうものなのではないかと思います。







コメント (2)
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