デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ネタ割れ注意です。

S・スピルバーグ監督・脚本の『未知との遭遇』を見た。見た本数は少ないながらもSF映画も好きな私ではあるが、この作品をずっと見すごしていたのは、どういうわけだろうと思う。
まぁ、「宇宙人」が空飛ぶ円盤に乗っていて、彼らが地球にやってきているとか、アメリカの砂漠の特定の地域で空飛ぶ円盤を開発中といった内容のTV番組を子供の頃に見ていつつも、いつしかバカらしくなり、そういった番組を見なくなったのは多かれ少なかれ私だけではないはずだ。それに「宇宙人」の(本来ならもっと地球外生命体といったほうがいいと思うのだが、)イメージとして、人間でいう頭部がデカく目は切れ込んでいて真っ黒、耳はとんがっているか穴が開いているだけか、鼻はあるのかわからないが顔の中心が凸上に盛り上がり、表情を表す重要な口がなぜかある、そして身体はドラえもんに登場する未来人の予想図みたいなガリガリという、誰もが見たことのあるあのイメージを決定付けた作品が『未知との遭遇』であり、なんか型にはまりすぎているように見えたのも、見なかった理由かもしれない。その他、「神隠し」をそういった宇宙人のせいにすることとか…。
しかし、今回、字幕版で、じっくりと2時間以上かけて見てみると、スピルバーグという人は本当に少年の心を持ったまま、この作品を手がけたのだなぁということが分かった。人類に対して好意的で関心を持っている地球外生命体、人類も彼らと敵対することなく無邪気にかつ粘り強くコンタクトを試みる好奇心と外交的な真摯さを持ち合わせている、という枠からははみ出ないものの、充分に夢を見させてくれる作品であるように思う。
印象に残った場面は、主人公のロイ・ニアリー(リチャード・ドレイファスが演じる)が、奇行に走り、とうとう彼から周囲が離れていくも、「イメージ」を探求しつづけるところだったかも。キリストやハムレットやドン・キホーテは周囲を不愉快どころか混乱に陥れるが、奇行の果てに後世が何度も採り上げる目的の成就や、それなりの偉大なる教えや真理といったものを周囲に投げかけ、少なからず共感者を獲得するに至る。そのことを少し思ったりした。

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